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千代五星異聞奇譚 白光の焔  作者: トヨタ理
第四章 さようなら、青葉ヶ山
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39 守るもの

 白狐に連れられるまま沼の奥にある茂みを進んでいくと、そこはもうホムラの知っている白狐沼ではなかった。



『だぁれ、だぁれ』


『しらないよ』


『しらなぁい』


『いいの』


『いいの?』



 丸いオーブのような何かが群れをなしてホムラ達の横を通り過ぎていく。ケラケラと笑いながら追い越していくそれにもう驚きはない。自分たちが歩いている周囲には常に薄い霧が漂い、そしてそこにある林も、草木も、まるで雪にさらされているかのように白く染められている。


 現実味のない幻想的な風景が広がるここは、聞かずとももう自分のいた現世ではなく違う次元の場所だという事が分かる。


 ここに来る前に「決して私から離れぬように」と白狐が念を押して言っていた理由がよく分かる。迷子になってしまえば自力でここから出ることは叶わないだろう。


 言葉を一度も交わさないまま二人きりで歩き続け、ようやく雪白の森林を抜けた時――。


「わぁ……!」


 目の前に広がった景色にホムラの口から思わず嘆息が漏れた。


 視界一面に広がる純白の彼岸花。


 肌を優しく撫でるそよ風が吹き、白い花弁が舞う先には遙か天まで高く伸びている白い大樹が根を張っている。ホムラの身体の何十倍、いや、何百倍の太さもある神聖さと荘厳さを併せ持つ太い幹は、この空間を支える柱のようにも思える。


「此処は、私と山の精霊のみが棲まうこの地唯一の神域――。私が許した魂のみが立ち入る事のできる不可侵の領域です」


「それって白狐しか入れない場所って事だよな? なんでオレをここに?」


「貴方様にだけ、お伝えしたい事があるのです」


「オレにだけ?」


 すると白狐は静かに頷いて、意を決した表情で口を開いた。


「この人里で語り継がれている九尾白狐の伝説は、ホムラ様もご存知でしたね。その伝説に登場する九尾白狐は私の祖先で、そして私はその血を引く三代目なのです」


「三代目……って九尾白狐って一匹だけじゃねぇの?! だって言い伝えじゃ家族の話なんてなかったぞ?」


「そうでしょうね。この話は私どもと一部の民にしか言い伝えられていない秘匿された話なのですから」


「もしかしてそれ、前に白狐が話そうとしてた……」


「はい。何れ貴方様に打ち明けようと思っていた事の一つです」


 白狐と初めて和合をしたあの日――SHM会から青葉ヶ山に降ろされた直後、白狐は「こうなってしまった以上、貴方様には打ち明かさねばならないでしょう」と言っていた事をふと思い出す。


「今からおよそ千年前の事です。神から命を授かりこの地に降りた初代の九尾白狐は、度々人里に降りては小さな悪戯を繰り返しておりました。悪戯と言っても人の子に化けて遊んだり、夜中に人を驚かしたりといった程度のものだったようです。

他の神使よりも特に人への興味があった初代は、そうして人との繋がりを持ちたかったのでしょう。しかしそれから数百年後、初代の噂を聞き付けた悪人どもに神獣狩りの標的にされてしまったのです」


「神獣狩りって凪良とおじさんが言ってた話か?」


「数百年前の民には、永遠の命を強く欲するがため神獣を狩らねばならぬと考える者も少なからず存在したと聞きます。初代は特に悪目立ちをしていたようですからその餌食に遭ってしまったのでしょう。

ある日巧妙な罠によって消滅寸前に追い込まれた九尾白狐は、とある人間に救われました。以降その感謝の礼としてこの青葉ヶ山の守護を司ると誓い、青葉ヶ山を魔の脅威から守る影の守護神として彼の地に棲みついたのでございます」


「やっぱり、オレの知ってる話と全然違う……」


「恐らくその人々は態と醜聞を広めたのだと思います。悪の妖怪はすでに打ち滅ぼされたと偽りの伝承を作り、これ以上神獣狩りが起こらないよう伝承と共に呪いの話を広めたのかもしれません」

 

 この地で言い伝えられていた白狐沼伝説は「青葉ヶ山で畏怖されていた暴れん坊の九尾白狐は妖狐で、それを通りすがりの旅人が討って平和が戻ったものの、その屍体は白狐沼に沈められ今でも沼に呪いが残っている」というものだった。

 しかし白狐の話が事実なら「そもそも九尾白狐は妖狐でもなければ死んでもおらず、嘘の伝聞で身を隠しながらその血を脈々と受け継いだ」という事になる。



――言い伝えなら、そうだなァ。だがそれも所詮は言い伝え。そいつが真実っつうのも言えねぇだろうよ


 ふと、曽祖父の手帳に挟まっていた写真をホムラに見せた時の俊蔵の言葉が蘇る。


――本当のお狐様は、ただ人に化けるのが大好きだった青葉ヶ山の守り神。心からこの町と民を愛していた、ってな



 あの写真には、白狐とそっくりな顔だちをした白い狐耳の女性がはっきりと映っていた。だとすると、あの女性は白狐と血の繋がりのある祖先という事になるのかもしれない。


 そう考えれば曽祖父がよく俊蔵に言い聞かせていたという話と、今白狐から聞いた話の辻褄は驚く程にぴったりと合う。


 真の九尾白狐かどうかはともかく、男性の隣で幸せそうに微笑む女性とホムラを常に気遣っている優しい白狐。少なくとも邪悪な呪いを残すような悪い怪物ではないとホムラにはよく分かる。


「私の母は初代が誓いを交わした後に誕生した二代目の神獣白狐であり、初代の魂が天に還る直前に始祖神から授かった力を受け継いだ真の九尾白狐です。しかしながら私は……その力の全てを母から継ぐ事は、ございませんでした」


「神力が弱いとか何とかってそれが理由なのか?」


「未熟故に私自身の神力を上手く扱えていない事もその要因でしょう。ですが始祖神の力は私が元々宿している力とは別のものです。それを持ち合わせていない私は他の神使と比較すると明らかに力が劣っているという事です」


 そう目を伏せる白狐の言葉には、微かに翳りがあった。


 悪鬼に襲撃された女子高生の事件現場を見た時。

 白狐と二人きりで学校の話をした時。

 

 白狐の内に降り積もった悲しみがひしひしと伝わるあの悲痛な表情だ。


「なあ、白狐。どうしてオレに話してくれたんだ? そんな大事な話……だってオレ、全部忘れるかもしれないのに」


「ホムラ様にお伝えしたいと、私がそう思ったからです」


 ふとした問いに、白狐はゆっくりと柔らかな眼差しをホムラに向けた。


「ホムラ様は命を賭して私を救って下さいました。そればかりか異なる次元の存在たる私を受け入れ、お側に居る事を許してくださいました。信頼できる貴方様に、ほんの一時でも知って欲しかった……」


 朧げな白い空に溶けてしまいそうな微笑に、ホムラは気付いてしまった。


 白狐は、孤独だった。

 否、孤独にならざるを得なかった。


 誰にも見つからないように身を隠し、一人で生きなければいけなかった。それでも白狐は自分を信じ、秘密を打ち明けてくれたのだ。


 本当ならここで、正直な気持ちを伝えるべきなのだろう。

 だが、自分はまだ何も返せない。

 答えをいえる程の気持ちが固まっていない。


「ごめん。すげぇ大事な事話してくれてんのにどうすりゃいいか迷っててさ、だから今日は白狐の気持ち聞きに来たんだ。どっちを選んだって白狐には一番、迷惑かけると思うから」


 すると白狐は黙って首を振って、それからホムラの両手を包み込むように握った。


「ホムラ様がどのようなご決断をされても私のすべき事は変わりません。私をお救い下さった貴方様を、今度は私が全身全霊を掛けてお守りする事。例え全てを忘れてしまっても、私が貴方様の楯になります。ですからどうか、ホムラ様にとって最良の選択をなさって下さいませ」


 白狐の真紅の瞳が、柔らかく、けれども強い意思を秘めた眼差しでホムラを見つめる。

 白狐は、託したのだ。ホムラの選択に自分の未来を委ねた。

 黙って頷くと、白狐は柔らかく微笑んで頷き返した。

 儚くもここで確かに感じる手のぬくもり。ホムラを思う白狐の優しさをずっと近くに感じた。

 



 ホムラが白狐沼を出た時、まだ外は日暮前だった。あそこには随分と長居をしたように思ったがあの神域という場所は、もしかすると学校の境界のように時間の流れ方が異なっているのかもしれない。

 そのまま自分の家にまっすぐ帰ると窓から明かりが見えた。俊蔵はもう帰っている。


 駆け足で玄関に入り、引き戸を開けた途端ふっと線香の煙の匂いがツンと鼻をつく。一抹の寂しさを誘う香りに導かれるように、奥の仏間に目がいった。仏壇の前、ホムラの祖母――初子の遺影の前に俊蔵はいた。


 じーちゃんの背中、あんなに小さかったっけ。


 静かに合掌をしながら斜陽に照らされる俊蔵の背を見ながら思う。

 ホムラがこの家に来た時の俊蔵は、ずっと大きく感じた。しかし今では白髪があの頃よりも増えて、背中が随分と丸く縮んだように見える。


「おう、ホムラ。いつけぇったんだぁ?」


 襖の前で立っていたホムラに気付き、俊蔵はゆったりと振り返った。


「あ、うん。今帰ってきたとこ」


「なぁに突っ立ってんだ。ホレ、こっちさ座れぇ。せんべぇあるどぉ」


 仏壇前の座布団から立ち上がり、テレビ前の座卓の方へ手招きする俊蔵の姿に、胸のあたりが苦しくなる。


「なあ、じーちゃん」


「ん?」


「オレがもし、ウチから出てくっていったらどうする?」


「おぉ? 一人暮らししてぇって事かぁ? オメェにはまだ早いんでねぇか」


「そうじゃねーけど、多分じーちゃんと離れて暮らすっつーか……」


「まさか都会の学校さ入りてぇのか? あんなに嫌がってたべ?」


「いや、東京じゃなくて……なんつーか……」


 説明が、上手くできない。

 施設の事をどう俊蔵に伝えるべきなのか、今のホムラには難題に等しい問題だった。


「よくわからんが心配すんな。金ならある。行きてぇ学校あんなら行けばいい」


 頭がぐちゃぐちゃで何を自分が伝えたいのか分からなくなる。


「じーちゃんは不安じゃねぇの?」


「いいやぁ、何も」


「オレは、不安だよ。じーちゃん一人にすんの、すげぇ怖い」


 自分一人が遠くで暮らす事に抵抗はない。


 俊蔵はいつか自分の側からいなくなってしまう。

 大好きだった祖母が突然亡くなってしまったように。

 可愛がっていたタロが急に姿をくらましてしまったように。


 いつかはその時が来るんだと子供ながらに覚悟を決めていたつもりだった。


 だが、いざそうなるかもしれない状況に立たされた今、俊蔵を一人きりにする決心がなかなかつかない。

 もしも自分がいない内に<何か>があったら? 急に俊蔵が倒れてしまったら? 誰かがすぐに助けてくれるとは限らない。


「何だぁ、んな事気にしてんのかぁ? オラぁホムラの成人式までくたばんねぇよ。ばーさんと約束してんだぞ」


「でも……」


「じーちゃんの事は何も気にせんでいい。後悔しねぇようにやりたい事思いっきりやってこい。暁美もそうやって美術の学校さ行って、そんで画家さなった。んだからオメェもなーんも気にしねぇで飛び出してみぃ」


 渦巻き続けるホムラの不安を吹き飛ばすように俊蔵はカッカッと笑って、そしてニッとしてホムラの頭を撫でた。

 




 

 コオロギやスズムシ達の涼しげな合唱を聞きながら、布団の上に寝転がる。時計の針はすでに二十二時である事を指し示していた。

 灯りが消えた仄暗い部屋の中で、何度も繰り返していた考えに耽る。


 自分はどちらを選ぶべきか。

 答えはもう、ずっと前から分かっていた気もする。


 それでも、どれだけ考えてもどれが正解かは、分からない。


 自分があの夜白狐沼に行かなければ――見てみぬ振りをして逃げ出していれば、今も俊蔵と二人、青葉ヶ山で平穏に暮らせていた未来もあったのだろう。

 

 しかし自分が白狐を助けて和合ができなければ、白狐沼で悪鬼と対峙していた架美来も、学校で悪鬼に襲われそうになった笑花や妖怪も、学校に残っていた生徒や先生も――誰も浄化ができず悪鬼の餌食になっていた。



――ありがとう、ホムラ。私を助けてくれて


――まだ未来のある君にこんな苦しい決断をさせる老いぼれを許してくれだなんて言えないが、僕はこれから君が決めたどんな事も応援したい。検非違使としてではなく、大切な友人の一人としてね


――これまでの事は全部綺麗さっぱり忘れろよ。裏の事なんか覚えてたって何も良いことないんだ。本当に、何もさ……


――じーちゃんの事は何も気にせんでいい。後悔しねぇようにやりたい事思いっきりやってこい


――例え全てを忘れてしまっても、私が貴方様の楯になります。ですからどうか、ホムラ様にとって最良の選択をなさって下さいませ



「あとはオレが決めるだけ、か……」


 小さく息を吐いて、目を瞑る。

 微かに聞こえるそよ風の音を聞きながら、ホムラはふっと儚い夢寐へと落ちていった。






「待っていましたよ。ホムラくん、白狐様」


 朝の陽光に青葉ヶ山の校舎が輝く。


 いつもは子供達のはしゃぎ声が聞こえるこの場所も、今だけは朝を告げる鳥たちの鳴き声のみが響く。

 ホムラと白狐、そしてたつジィの三人だけがそこに立っている。


 今日はたつジィとの約束の朝――決断の刻だ。


「答えを、聞かせてくれますか」


次回、【白光の焔 第40話】の更新日は【10月中~11月上旬】の予定です。

(投稿日については、決まり次第作者のSNSにてお知らせします)


どうぞお楽しみに!

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