38 それぞれの想い
たつジィと玄関で別れて教室に向かうと、やはり架美来が一番乗りに来ていた。
架美来はあいも変わらず、窓際の自分の席でつまらなさそうに本を読んでいる。その席から机一つ分、間を挟んだ自分の席に座り横目で架美来を見る。
頭や太ももに巻かれている真新しい包帯――間違いなく昨日の悪鬼との戦闘で負傷したものだろう。
あの時、一人で行こうとしていた架美来を強引にでも引き止めて「一緒に行く」と言えていれば、こんな怪我を負わずに済んだのだろう。
「ジロジロ見るな。気持ち悪い」
ホムラの視線に気づいたのか、不愉快そうな架美来の低い声と目がホムラを罵った。元気そうでよかった。怪我させてごめん。言いあぐねている内に、架美来は続けざまに「別に、お前のせいじゃない」とまたホムラの内心を見透かしたように言った。
「オレがもっと早く着いてたら凪良も笑花も……」
「アホか。イレギュラーを予想できなかったのも、負傷も全部俺の実力不足のせいだ。原因を自分にするなよ」
本当にそうなのか?
素直に頷けもせずどう答えていいか迷っていると、不意に架美来が「お前らの浄化は、確かに本物だった」と、ぽつりと呟くように言った。
「お前らが和合できなきゃあの悪鬼は討伐できなかった。あのままもし俺一人だけだったら討伐どころか宮本を現世に帰せなかったかもしれない。今回の件だけは感謝してるよ」
「凪良、お礼とか言うんだな」
「あ?」
しまった。ついポロリと本音が漏れた。
しかしそれも無理はない。何せホムラは架美来に出会ってからと言うものの、罵られ蔑まれてばかりだった。まさか自分が感謝される日がくるとは微塵も思っていなかったのだ。
口をぽかんと開けるホムラの心境が分かったのか、架美来はわざとらしく軽く咳払いをして「けど、お前らはこれ以上首を突っ込むべきじゃない」と話を続けた。
「防人の仕事ってのは、ああいうヤツの相手を毎日するって事だ。今回ので懲りたんならガキはガキらしくギャーギャー学校で騒いでるんだな」
「お前だって同じガキじゃねーか」
「俺は、違う。祓師には大人も子供もない。普通の暮らしなんて生まれた時からとっくに捨ててる」
「凪良は俺がもし全部忘れるってなったらどうすんだよ」
「さあな。まあ、検非違使が介入する以上、今後一切青葉ヶ山の仕事は請け負えなくなるし立ち入りもできなくなるかもな」
「かもなってお前それでいいのかよ? 笑花とだってまだ仲良くなったばっかだろ?」
「良いに決まってる。そもそも俺は学校の奴らにとって余所者の異物なんだよ。分かるだろ」
「良いわけねぇよ! 笑花は人付き合い多い方だけど、でも、凪良とは話しててマジで楽しそうだったんだ」
笑花は昔から人当たりがよくて、みんなから何かと頼りにされている。しかし親しい友達が多いかと言われるとそうでもない。ああ見えて意外に人を選ぶ性格で、休み時間でも芳樹とホムラ以外と過ごす事はほとんどない。
そんな笑花が、架美来と仲良くなれるといいなと言っていた。
架美来とグループで話す笑花は楽しそうで、架美来の教科書がなくなった時は誰よりも怒っていた。
笑花はきっと、架美来と友達になりたいと心から思っている。
しかし、架美来にとっては意外だったらしい。口を小さく開けて、それからふっと静かに笑った。
「お節介馬鹿もここまで来ると病気だな」
「オレはマジで言って……!」
「学校は伯父さ……親戚が心配するから仕方なく通ってるだけ。表の人間の場所に裏の人間が混ざるなんてあり得ないんだよ」
そう目を伏せて薄く笑う表情には、やはり寂しさが淡く入り混じっている。夕方の図書室で見た、あの顔と同じだ。
「これまでの事は全部綺麗さっぱり忘れろよ。裏の事なんか覚えてたって何も良いことないんだ。本当に、何もさ……」
あえて突き放すような言い方をするのは、それが架美来なりの優しさなのだ。その優しさに甘えて何もなかった事にするのは簡単だ。架美来の言う通り、きっとその方がホムラにとって良い事なのだろう。
けれどそのひどく虚しそうな微笑みを見ると、それが正しいのかホムラには分からなくなる。
その日の学校は、胡乱げな気持ちを抱えたまま何事もなく始まった。
変わった事と言えば、朝早く熊野に生徒指導室に呼び出され「なぜ何も言わず勝手にいなくなった?」と過去類をみない鬼の形相で詰められたぐらいだが(必死の弁解でなんとか許してもらえたのは奇跡だろう)、学校で過ごすいつもと変わらない日常がそこにはあった。
朝に熊野に聞いた話では、笑花の失踪について表上は「集団幻覚」とされているらしい。保護された女子達は錯乱状態で笑花本人も「よく覚えていない」と証言している事から、医師の見解をもって学校側ではそう結論付けたようだった。しかしこれも架美来が言う「隠蔽」なのだろう。でなければ、こんな無茶苦茶な説明がまかり通るはずがないのだ。
だから、つい一昨日まで巨体の悪鬼がこの学校で暴れていた事も、その悪鬼とホムラ達が死闘を繰り広げた事も誰も知らない。
否、この学校では最初から何も起こっていないのだ。
ただ一つだけ違う事があるならば、笑花と架美来の仲がこの前よりもずっと縮まった事だろう。いつの間にか架美来の事を名前で呼んで「架美来ちゃん」と休み時間も以前より積極的に話しかけているようだった。
当の本人は素っ気ない反応をしているが、頬を少し赤くして話している架美来をみると満更でもないようにホムラには見える。
それから後でこっそり笑花に聞くところによると、架美来の教科書を隠した女子グループは、学校を休んだリーダー格の女子を除いて架美来に謝りに来ていたらしい(架美来本人は心底どうでもよさそうだったらしいが)。笑花が仲介しながらではあったものの、これで架美来に対する嫌がらせはほとんどなくなるだろう。
やっと架美来が、交流生らしく学校に溶け込み始めている。
けれど、そんな光景も来週にはなくなってしまうかもしれない。
紛れもない自分自身のせいで——。
自分の選択一つで、誰かの行末を変えてしまう。
それがその誰かにとってどんなに小さい事でも、大きい事でも。この小さな手で抱えるにはあまりにも重すぎるものだ。
だからこそ、今度は自分一人の勝手な考えで決めてはいけない。
一昨日の騒動で有耶無耶になった放課後のグループ学習は、架美来の都合がつかず来週へ持ち越しになった。その上放課後近くになって一斉登校の校内放送が入り、ホムラ達も下校を余儀なくされたのだった。
それならば、やるべき事がある。
青葉ヶ山に沈みかけている太陽を眺めながら、橙に染まった村の中を一目散に駆けてゆく。
彼女は、きっと自分を待っている。
繋がっているからだろうか。そう分かるのだ。
「白狐、いるんだろ」
白狐沼の奥に感じる気配に向かって叫ぶと、突如ホムラのすぐ横に白い獣が一匹、姿を現した。
「お待ちしておりました、ホムラ様」
大きな三角の耳をぴんと立てた白い獣——白狐は、二又の尻尾をゆらりと揺らし、続けてこう言った。
「少しだけ、私にお付き合い頂けますか」
次回、【白光の焔 第39話】の更新日は【9/27(土)】です。
どうぞお楽しみに!