65
「ちょっと待ちなさいよ」
サラは今の今まですっかり忘れていたアシュリーを振り返った。
「貴女、まだいたの?」
「もう帰るわ。テオのことでなにかわかったら教えてとガイに伝えて」
諦めきれないようすを見て、サラは溜息を吐いた。
「ねえ、テオって何のお仕事をしていたか、本当に知らないの」
「知らないわ」
「宝石などを扱っていなかったかしら。それを持ってふらりと……しばらく姿を消したりしなかったかしら」
アシュリーは僅かに眉を動かすと、ふいに砂粒を零すように話し出した。
「……仕事は何でも屋のはずよ。頼まれれば犬の散歩から運び屋までやるって。でも見たことはないから本当かはわからない。……口のうまい人だったから」
(おや?)
アシュリーの中で、テオの印象が少し変わってきたのかもしれない。
「テオがもし……戻ってこなかったら……ひとりで子供を育てなければならないのね。結局、私も母と同じ生き方をすることになるんだわ。こうやって地に這いつくばるような生活を繰り返すしかないのね……」
もしテオが本当に黒うさぎだったら、とサラは考えた。
なんの確証もない、ただの妄想である。ガイの考えに影響されたのだろう、怪しいと疑いだしたらそう思えてきた。
「もしテオが犯罪に関係していたとしたら父親としてどうかと思いますわ」
サラは諭すように話し出した。
「子供にも悪影響が出るかもしれませんもの。ガイのように育てばよいけれど、貴女がしっかりしなくてはいけませんわね」
アシュリーの顔面から血の気が失せ、まなじりに皺が浮かぶ。若くても皺はあるのね、と思っていたら、次の瞬間、爆ぜた栗のような激しい言葉がサラめがけて飛んできた。
「何の苦労もしてこなかった貴女に何がわかるの! クズ男だってわかってても、寄り添わないと生きていけない、そんな暮らしをしたこともない貴女に!」
「落ち着いてちょうだい。わたくしは……別に……」
「あなたにはテオどころかガイやトールの苦労だって理解できないんだわ。しょせんは蝶よ花よと育てられたお嬢様の成れの果てじゃないの。私のことをみすぼらいい卑しい存在として蔑んでいたでしょう。こんなフラットに住むのも珍しくて面白いと思ってるんでしょう。貧乏人ごっこは、どう、楽しいかしら?」
「……」
屈辱でサラは言葉を失った。反論する言葉がひとつも頭に浮かばなかった。
クズ男とわかっていても寄り添わないと生きていけない暮らしなど、無論、サラには想像できなかった。うわべだけの理想を安全地帯から語るのは簡単なことだ。
顧みれば今は安全地帯にもいないではないか。
離婚間近で手に職もない無一文の中年女性に過ぎない。
いつだったか、教会のボランティアを手伝うと申し出たときにガイに断られたことが脳裏に浮かびあがった。迷惑だ、と言われたのだ。上流階級夫人の意識が抜けていなかったサラを、アシュリーのように見抜いていたからだろう。
(アシュリーが腹を立てるのも当然だわ。なんと恥かしいことを口走ってしまったのかしら……)




