坂上妖怪屋敷4
蛍光灯の光がなければ、部屋の中に入ってくる明かりなんて月の光くらいなんだな。
普段夜になると電気をつけるから気付かないけれど、月が昇っているのをただぼうっと見ているのも……ん?
「月が、青い……?」
あれ、でも僕ずっと月を見ていた。たしか最初はいつものように黄色とも白ともいえない色だったはずだ。
それが今では、まるで青いペンキをぶちまけたかのように、青くなっている。
まるで、僕をそこへ誘おうとしているかのようにも思える。きっと気のせいなのだろうが、昨日の会話があるだけにただの偶然などではないと思わざるを得ない。
たしか、彼女は……青い月が昇る夜に外に出ろと言っていた。
委員長に知れたら、きっとどやされるんだろうなあ。
「行くか。お前はどうする?」
澱みは首をふるふると横に振る。どうやら今日はもう外に出たくないようだ。
ん? そういえば尻尾が出たと思ったら今度は耳が出てる。形は……猫みたいだな。
ま、猫好きだからいいけど。
澱みの頭を三回ほど撫で、部屋を出る。
両親は、僕の行動に興味が無いのか夜中にいきなり出かけるというのに声一つかけず、僕を玄関へと送り出す。
本当、いやになるよな。こんな家。
玄関をのドアを開けると、視界がぐにゃりと歪んだ。
意識が何かに喪っていかれそうになるが、なんとか意識を保つ。
歪んでいた視界も次第にもとの形に戻ってゆく。
が、決定的に違うことがあった。
夜なのに、灯が無い。なのに明るい。星もなく、ただ青い月だけが世界をゆらゆらと照らしている。
「なんだこれ……」
建物はまるで影絵のようで、立体なのに平面に見える。
なんだこの世界。変だ。
ふと自分の家の玄関のほうに振り返ると、そこにもやはり立体でありながらも平面として存在するなにかがあった。
ここは自分の世界ではない。そんな気がしてくる。
《ヴァアアアアアアアアアア……》
なんだか不気味なうめき声が聞こえた。
周囲を見渡すと、黒い澱みがわらわらと集まり始めていた。
その目は赤く、大きさにして人間より少々大きいほど。
ゆっくりと、重たい枷でも嵌められたかのように歩くそれは、確かに何かを探している。
その探し物は……僕だ。
それに気付くのと同時に、赤い目をした澱みが一斉にこちらを向いた。
「ああ、なるほど。だから……」
逃げろって言ってたんだな!?
ゆっくりとだが、わらわらと赤目の澱み(大)が僕のほうへ迫る。
当然、走って逃げ出す。
背後からは無数の澱みが追いかけてきており、澱み同士がぶつかり合い互いに互いの進路を邪魔しているのが幸いしてか、すぐに追いつかれるようなことはない。
が、路地からもわらわらとやってきて、やっぱり逃げる以外の選択は残されていない。
それにしても、今まで見てた赤目の澱みはあんなに大きくなかったし、動きも鈍くなかった。
小さくてすばしっこい。いわゆる、ゴキブリみたいなのが僕の知っている赤目の澱み。
「どうなってんだよ、この世界は!」
ふと時計をみると、走り始めてからまだ一分も経ってない。
くそぉ……三分って長いぞ。ていうか、一〇〇メートル走った時点でもう息切れし。本当に体力ないなあ。体育サボるんじゃなかったよまったくッ。
後ろからは、やっぱりついて着てる。あまり早くは無いとは言え、走っていないとあっという間に追いつかれてしまいそうな速度ではある。
どうするか。次の交差点を右に行けば市街地。左に行けば隣町へ続く橋へ向かう道。真っ直ぐいけば……委員長の家のほうだったかな。
が、この場合選ぶべき道は左右のどちらか。直線だけはあり得ない。
不必要に怒鳴られることもないだろうし、それにこの程度の動きならなんとか撒けるはずだ。
が、しかし……交差点に差し掛かったとき、絶望的な光景を目にする。
「なっ……!?」
黒が七、赤が三。
道路がすべて、澱みで埋まっている。
反対側も同じ。唯一、正面の道だけが開いている。
「畜生!」
そこしか逃げ道が無いのなら、そこへ向かうしかない。ぼうっとしていると、あっという間に囲まれてしまう。
とにかく前へ走る。
流石に数が多いのか、少しずつではあるけれど道が細くなってゆく。
まずい、取り囲まれる!
時計を見ると、さっきからまだ二分しか経ってない。
あと一分。
その一分も逃げ切れる自身なんてない。けれど、止まれないんだ。
「ちっ」
もう人一人通れるかわからないほどの隙間しか残されてない。
咄嗟に、近くにいた澱みの頭を掴み、澱みたちの頭の上を足場にして走り出す。
ぶよぶよして走りにくいが、既に道が無いのでそこを使ったほうが確実だ。
澱みたちは頭の上にいる僕を捕まえようと、頭の方へ手を伸ばすが、大きな頭の上までは彼等の短い手が届く事はなかった。
よし、こうすれば逃げ切れる。
そう思った矢先だ。
「えっ……」
澱みの中からのびる白い手。
「みぃつけたぁ」
そして、澱みの群の中に引きずり込まれる。なんだこれ。凄い力でひっぱられてる!
地面に叩きつけられる感覚。
激痛と共に視界がゆらぐ。
「キミ、面白いねえ」
「女の声……!」
声に怯えたのか、周りに居た澱みが逃げてゆく。
はっきりと見えた女の顔。
三白眼に、サメのように尖った歯が並んだ口。
「あ、あんた……!」
赤い斑点のある黒地の振袖と、肩までで切りそろえたような髪。
そして……その女から放たれる異常なまでの圧迫感。
「ああ、私? 私はねえ」
左手の袖に右手を入れると、そこから袖の長さからは考えられないほど長い針が現れた。
「湯麻。油取りよッ!」
殺気を感じ、咄嗟に身をよじる。
と、先ほどまで頭のあった場所に針の先端が突き刺さる。
「っ!? あっぶねえ!!」
「チッ。一思いに死ねばよかったのに!」
一度針を引き抜き、それを再び構えて僕の胴体めがけて放った。
が、それを転がって回避する。
その後も、何度も引き抜いては突き刺すという動作を行う相手に、ただ僕は道路の真ん中でごろごろと転がってそれを避けるしかなかった。
というか、なんでいきなり凶器持った女に襲われてるんでしょうか、僕!!
「ああ、もう。なんで逃げるのよ!!」
「こんな所で死にたくないからだよ!!」
一瞬の隙に立ち上がり、走って逃げる。
「あ、待てぇッ!!」
長い針を地面に投げ捨て、両手を交差させるようにして袖に手を入れる。
イヤな予感しかしない。
「げっ!」
案の定、湯麻と名乗った女が袖から手を抜き取ると、これでもかといわんばかりに大量の針を手に持っていた。
ま、当然それを構えて……投げるわなあッ!
「死ねぇぇぇ!!」
「あんたは一体なんなんだああああああ!!」
目的があるならまだいい!
だが無意味に、ただそこに居たからと殺されるなんてゴメンだ!!
「アンタみたいな虚ろな人間、滅多にいないんだからさあ!」
虚ろ。
その言葉がなぜか胸に突き刺さった。いや、なぜかなんて言葉は適切じゃない。僕はその理由を理解している。
「虚ろな人間の魂は、私に力をくれる! だから、死ねぇッ!!」
世界は無意味で、面白くない。ならば死んだほうがいい。
だからどうやって死ぬのか。
痛いのはイヤだし、死体がハデに傷つくってのも嫌だ。
じゃあ薬か、とも考えたけれどやっぱりそれも嫌だ。毒なら死ぬまでにタイムラグがあるし、その間苦しみ続けなくちゃいけない。睡眠薬という手もあるけれど、最近のはそこまでキツいのはなかなか手に入らないし不可能。
全く、嫌になるね。
生きるも地獄なら、死ぬも地獄か。
もうどうでもいいや。
ここで死ぬならそれでいい。ただ、自分の死に方くらい自分で選ぶ。
「……お前にだけは、殺されてやらないいくら虚ろだろうとも!!」
「関係ないんだよ、こっちにはァ!! 虚ろなんだろ? 世界がつまらないんだろう? 死にたいんだろう?」
ケヒヒ、と笑うように女が近づく。
「ならば、死ねぇッ!!」
突き出された長い針をしゃがんで避ける。
くそっ。女まで軽く見積もっても五メートルはあるぞ。あの針どんだけ長いんだよ。
次に突き出されたそれを、前に転がって避ける。
無様だけれど、今は逃げるしかない。
逃げて、逃げて。逃げまくってやる!!
が、何かに躓いて転ぶ。
はっとして振り返るとそこにあったのは、小さな針。あの女が投げた針がアスファルトに突き刺さり、僕の足に引っ掛かった。
「チェックメイト、ね」
ひゅっという音がしたかと思うと、僕の右脚に突き刺さる針。
痛みもなければ、血も出ていない。でもしっかりと地面まで突き抜けていて、動く事ができない。
「ケヒヒ、動けないでしょ? そりゃあそうよね。足と地面が繋がっちゃってるんだものぉ。
あ、それと痛くもなく血が出ないのが不思議って顔してるわね。それも当然、神経の隙間を通して、かつ血管を外してるからよ?」
「んなアホな!?」
普通神経か血管かのどちらか貫くだろ!?
「油取りってねえ、本当は人攫いの妖怪なの。子供を攫って、串を刺して殺し、油を搾り取る。だから油取り。でもねえ、最近は人間も妖怪を信じなくなった。だから私達はこうして青い月の夜に外に出て、人間を襲うの」
「だからって……!」
「あなた達人間は、動物愛護だとか、生態系の維持だとか綺麗な言葉を並べて動物を守ろうとしているけれど……あなた達が虐げているのは、別に動物だけじゃないでしょう?」
ケヒヒ、という耳障りな笑い声が不気味に木霊する。
「だぁぁからぁぁぁぁ! 東北の妖怪が関東に、近畿の妖怪が九州に、四国の妖怪が東海に!
自分の住んでいるところなんて関係なく暴れまわる必要があるのよ!! げひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「……」
そんなこと、僕に関係ない。
僕はただの人間だ。
人間として生きて、人間として死ぬ。そんな一生を送るはずの、ちっぽけな存在だ。
そんな僕が何をした。僕が何でこんなことになる。
「そうその顔。絶望、失望。それに満ち満ちている顔! たまらないわあ」
でもなんでだろうか。妙に落ち着いている。
むしろ今すぐに意識が消えてしまうかもしれないということを喜んでいる。
ああ、そうか。僕は死んでしまいたいんだ。
何もかもが嘘で塗り固められた世界がイヤなんだ。
大人たちの勝手な都合で、僕たちが酷い目にあっているこの社会がイヤで、失望していて……だから。
死にたい。
「さて、と」
でも……生きたい。
生きていたい。
どんなに辛くても、死にたくても。まだ死にたくない。
生きていたい。
人間として、坂上智也として生きていたい。
「お前の命を寄越せぇッ!!」
「ひっ!?」
その声はきっと、僕が生きることに執着しているからこその叫びがこぼれた。
目の前に迫る切っ先に何も出来ず、ただそれを見つめる。
針は首を狙い角度を変え、喉を貫かんとする。
その様子がはっきりと見え、とんでもない拷問を受けている気分にさせる。
鋭い針が、僕の喉に触れる寸前。何かがその針を寸断した。
「何ッ!? 誰だ、お前!!」
そこには、和服を着てマフラーを巻いた男が立っていた。その手には木刀……いや、たぶん長ドスが握られていた。
「俺、参上!!」
かっこいい、のかどうかは別として長ドスを振り回してポーズを決める男。
なにこれ、イタい。
「おうおうおう、随分と好き勝手やってくれたなあ、油取り」
「邪魔をしないでもらえるかしら、飛頭蛮」
「そういうなって。俺ぁ鈴鹿から頼まれてんでねえ。この坊主を、無事に妖怪屋敷に連れてこいってな」
男がそういった直後、油取りの表情が曇る。いや、これはあせっているというべきか。
「おい坊主」
「は、はい!」
「足の針、抜けるか?」
そうだ、今なら針を抜ける。
「は、はい!」
あまり深く地面に刺さってないし、すこし力を入れてやれば……と思ったが抜こうとすると激痛が走る。
動かしたせいで神経に触れたか。おまけに刺されたところからじんわりと赤いのが染み出てきてるし。
「ええい、ままよ!」
一気に引き抜いた。当然、声にならないほどの痛みが襲い掛かり、悶え苦しむ。
歯を食いしばり、それに耐えながら立ち上がる。
「よぉうし、上出来だ。いいか、坂上智也。お前は俺の後ろから……」
「余所見を……」
「動くんじゃ……」
「してんじゃ……」
『ねえぇぇッ!!』
針を突き出す油取り。が、その針を中ほどで切り裂き、一気に距離を詰める男。
「行くぜ行くぜ行くぜ行くぜェェ!! 俺の必殺技ァァ!!」
長ドスが油取りの左脇から右肩まで一気に通る。さらに、くるりと円を描くような軌道で左肩から右脇へと抜ける。
「一式ィッ!!」
最後に頭の真ん中から地面まで一気に長ドスが通り抜けた。
「あ、が……ぎゃああああああ!!」
断末魔の叫びをあげると、油取りは黒い煙となって消えて逝った。
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい。えっと、貴方は?」
「俺か? 俺は椿折ってんだ。よろしくな、坊主」
手を差し出され、それに答える。
「あの、椿折さんも妖怪なんですよね?」
「ああ。俺は首のない妖怪でな。ま、それを言わずに首のない男が飛び出してきたら、お前が慌てるだろうと思ってな」
握手を交わし、にひひ、とイタズラが成功したことを喜ぶ子供のような笑顔を見せる椿折さんを見て、少し安心した。
これで僕は、助かったんだと。
「さあ、て。妖怪屋敷に連れて行くが……覚悟はいいな?」
「……」
そうか。僕がわざわざこんな目に遭ってるのはそれが目的だったっけか。
なら、迷う事なんて無い。
「はい、お願いします」
ていうかこの人、日曜日の朝に見た気がするんだけど……気のせいか?




