新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その5
【新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その2】
デートは多少おかしなところはあれど順調だった。いや、デートの練習か? けど練習としてデートをしてるんだからそれは結局デートか?
……デートだな! お面をつけてて変な子で、名前も知らない人だけどめちゃくちゃ美人で胸を押し付けてくれるすごいひととデートしてるんだ。
映画館に行って、少し洒落たイタリアンで映画について話しながら昼食を取る。めちゃくちゃデートじゃないか。何度恋愛アニメや映画を観るたびに願っていたか!
観た作品が『劇場版流星の魔法少女ムプレ☆』だったり、彼女がお面を付けたまま昼食を取ったり、ましてパスタを七品も食べるなんてしなければ、完全に120%デートだったと思う。
「合計二万八千円デース」
お店のシェフが金額を見せる。そもそもこのイタリア人は言葉の最後だけ無駄に伸ばすのか。雰囲気は薄暗い蝋燭の灯りとか、白いテーブルクロスがいい雰囲気を醸し出してるのに彼の口調が気になって仕方ない。
「予算から引いといてくださぃ」
「かしこまりマシータ。ついでに予算とシーテ、女の人トォ、交渉するためのお金欲しいデース」
「前向きに検討するですぅ」
予算? なんの? 彼女の一言で会計が終わった。二人は知り合いなのか、無駄に親しげだった。
デートしてるのはこっちなのに、いやいや、でも彼女は壁ドンまでしてあの耳元から下腹部にかけてゾクリとさせるドラッグボイスでナンパまでしてきたんだ。なにも嫉妬することはない。
そう、ここでキープすべきなのは大人のミリキってやつだ。せっかく洒落てるイタリアンに案内してくれたのだから、いままで無駄に慌てふためいた分を払拭しなければ。そう、汚名挽回。
仁は含み笑いを浮かべ、大人っぽく脚を組んだ。ぶっちゃけ二人の話の内容もよくわからなかったので黙って待っていた。
するとそのイタリア人は不意にこちらに歩み寄ってゆっくりと手を伸ばした。つられて握手をすると、彼は酷く深刻そうな表情を浮かべて、顔をにじり寄せる。
「彼女とはどこまで進展したのデースか? あの人は僕の女神デース。不用意に手を出したら夜は気を付けとけよ」
脅された。最後の台詞だけ似非外国訛りが抜けてドスの利いた、カタギじゃねえ感が露わとなった。
――――壁ドン。今日二回目だった。そして刃のような瞳で睨まれる。怖い。脚が一瞬でガクブルだった。ちらりと垣間見える首筋のタトゥー。あ、この人やっぱりただの料理人じゃない。下手すれば料理される。肉料理になる。そんな確信すらできる。
けど思い通りにビクビクしてしまうのは絶対に嫌で、唾を呑みこんで奥歯を噛み締める。あいにくデート中だ。いい匂いがして、声が魅力的で蟲惑的なお面の奥の笑みがもう、すんごい女性。滅多にいない。絶対夜も強い。
もうすでに致命的なくらい格好悪いとこを見せた気もするが、今更ながらに仁は格好つけた。恐怖心を噛み砕いて、歯に衣着せぬ度胸を宿す。
「はっ、俺がこの人とどうしたって関係ないだろ。あれ、……関係ないよね?」
「ないですぅ。こいつはただの部下ですぅ」
拳銃を携帯していて、玄関扉を回収してイタリア料理店のシェフが部下の仕事って一体なんなんだろう。同じ国にいるとは思えない。この人やっぱりどこか……不思議だ。
「ほら、彼女も関係ないって言ってる。なら別に何したってかまわないだろ。二人で映画観ただけだ。あー、移動のときに手は繋いだな」
めっちゃドヤ顔で言ってやった。そうだ。手も繋いだのだ。完全にすぐ横からキョドりまくってたですぅとか言われたが気にしない。
「……ップ。お子様のお遊びデスーカ。てっきりモットォ、やっちゃってるかと思いましターヨ。いやぁ、安心デスネ。中学生レベルデース」
「トニー、あなたと違ってこの子はまだピュアッピュアのピュア子なんですぅ。可愛いんですよぉ? 映画観てるときも肩に頭を置いただけで固まって、上映終了しても動かなくなっちゃったんですぅ」
そんなの誰だって固まるにきまってる。首筋に髪の毛のくすぐったさ。女の人の甘い匂い。どうして平然としていられる。否、いられない。無理だ。むしろ湧き上がるリビドーを抑制し続けたことをぜひとも褒めて欲しいくらいだった。
「店をそろそろ出ようか。この辺に確かクレープのお店があったはずだ」
二度とこんな店行くものか。さっさと出て行きたかった。ずっとここにいると常識が壊れる。もうすでに狂った世界に片足突っ込んでしまった気がしてならない。
「下のバナナも食――――」
「うるさい黙れ」
食い気味に発言して彼の言葉をかき消した。それでも馬鹿なんじゃないかってくらいフレンドリーに下世話なことを言ってクイクイと下品なハンドサインをするのでとっとと店を出ることにした。出てから、せめて彼女の名前を聞けばよかったと思った。
しばらく地下にいた所為か、外に出たとき日差しがより一層眩しく思えた。それになんだか街全体を覆うように潮の臭いがして違和感を覚えた。
「……なんか臭くないか?」
何気なく尋ねた次の刹那、彼女の態度が急変した。お面越しからでも分かる翡翠の眼光。揺らめく炎のような輝きを発していた。いままで見たこともないくらい……綺麗な光だった。
「この能力はあなたの力ですぅ?」
能力? あなたの力? 何の話か身に覚えがなかった。……この海の臭いのことだろうか。でもそんな臭いを撒き散らした記憶は間違ってもない。
「いや、何のこと言ってるか分からないけど俺は何もしてないぞ」
「……まさか!」
彼女が初めて余裕のない声を上げた直後、ノイズと耳鳴りのようなハウリングが鳴り渡った。うめき声をあげて仁は耳を抑えた。彼女は平然とその残響が消えるのを待ってから、騒音を発した無線機を手に取った。
『Bestätigung der Mutanten. Der Ort ist Tokyo Medical University Hospital!』
流暢な外国語が響いた。その中性的な声の奥、何人もの悲鳴と荒波の音もハッキリと聞こえた。何かが起きていた。最初から分かりきっていたけれども、やはり彼女はただの一般人ではなかった。
「マニュアル通りに動いてくださぃ。被害はどれくらいですかぁ?」
『Zwölf bewusst unbekannt. Drei Menschen sind mild mit Umsturz durch Panik etc!』
「分かりましたぁ。今応援を派遣しますぅ。私もすぐに向かいますぅ」
『verstehe!』
日本語とどこかの国の言葉が交差して、その連絡はぷつりと切れた。面倒臭そうにため息をすると、彼女はこちらに顔を向けた。
「これ、私の連絡先ですぅ。急に仕事が入っちゃってぇ、これから向かわなきゃいけないのでお別れですぅ。それともうすぐ新宿周辺の電車が全部緊急停止すると思うのでさっさと帰ったほうがいいですぅ」
そう言うと唐突にYシャツのボタンを二つほど外しだした。艶やかな空気に仁は咄嗟に顔を逸らす。一瞬ばかり見えた色香のある光景は離れそうにない。
「受け取ってくださぃ」
名刺だった。なんで胸に? と尋ねても、答えは返って来なかった。それに名刺とは言っても彼女がお面をつけている写真と、電話番号が書かれているだけだ。仕方なく受け取ったが人肌の生暖かさが残っていて、艶めかしい。
「すぐに帰るんですよぉ?」
――――地震のごとき衝撃と轟音。彼女がアスファルトの地面を蹴り上げて跳躍した音だった。地面に亀裂が走るなか、彼女は空を舞っていた。黒髪が靡き、その体は猫のようにしなやかに曲がる。そして五階建てのビルを裕に超えて、一瞬にして姿をくらませてしまったのだった。
「……人間?」
誰もその疑問に答えてくれる人はいなかった。仁は一人残されて、目を丸く見開いて呆然としていたが、築き上げた常識と日常がいままでの現実をもろもろ否定していたために一人首を傾げた。