宙から地へ
エピローグ:狂乱の収束
『もう力は補給された。僕は宇宙の果てを見てくるよ。じゃあね。一分もない時間だけど楽しかったよ』
核ミサイルが無邪気な声で別れを告げた。俺は抱擁をやめて腕の力を下ろす。地球の重力を超えて暗闇のなかを突き抜けるロケット噴射に反して、この身体はゆっくりと、しかし段々と速度をつけて地球へと落ちていく。
加速。加速。加速。音速を超えて頭から落下していく。凍える静寂の世界のなかで全身が炎に包まれた。暗黒の果てから見下ろす青い地球が熱で揺らぐ。轟々と狂ったような風と炎の音が鼓膜から脳みそまでぐちゃぐちゃにしてしまいそうなくらい音を響かせる。
「はは、今の俺達はまるで隕石だ。皮肉なもんだと思わないか? ……生きて戻れるか不安か? 安心しろ。スマホの能力がある限り、俺がいる限りは死なない」
大気圏の業火が来た道を描くように炎の一線を描いていく。抑えていた地獄ののような激痛が戻ってきて、笑わないと気が狂いそうだった。核ミサイルに力を注ぎ過ぎてガタが来ている。はらりと涙が空を上った。それは一瞬で凍り付いて、次の瞬間には蒸発して消えていく。
『危険を感知しました。私に対して異常な数値の変異能力を放出していますね? 仁様の魂の重量が低下しています。あなた自身を考慮して能力を使うべきです。もう一人の人格を考慮しなければ簡単な話でしょう。心身にダメージが行かないようにしてあなたが消えてどうするのですか?』
スマホが余計な警告を告げた。そのせいで、達成感に浸っていた頭のなかが急に焦燥感に騒ぎ立てた。どうやら俺は、俺が思っているより大事に思われてたらしい。
(おい。スマホの発言はどういうことなんだ? 大丈夫なのか?)
「……お前は俺に全て任せればいい。絶対に無事に帰す」
(無理をするな! クソ、せめて痛みだけでも俺に寄越せ! 俺をここから出せ!!)
「暴れんなよ。お前の能力を押さえ込むためにもっと磨り減るだろ……。散々無理させたんだ。今更無用な心配だぜ。それにこの痛みはお前じゃ即死する。そもそも俺が必要以上に能力を使ってるのは傷一つなく優衣に会わせたいからだ。じゃないと、デートって雰囲気じゃなくなるだろ?」
(デートはいつだって出来るだろ!! 骨が折れてもいい! 痛くてもいい! 傷だらけになったっていい! お前を優先しろ!)
面白い冗談だ。ミサイルにハグをしてるときだってデート、デートって喚いてたくせに。頭が馬鹿になるくらいデートを楽しみにしてたくせに。このチェリー野郎が、デートはいつだって出来る……か。
「今のお前なら確かにいつでも出来そうだな。けど嘘をつくのも大概にしろよ。来週の日曜日は一度しか来ないんだ。一人の友人としてよ、手助けぐらいさせてくれよ。この二日頑張った意味がなくなっちまうだろ」
こんなときになってようやく決心がついた。時折、俺はどうして自我があるのかとか、事が終わったら俺に役目はあるのかなんて余計な考えをして、挙句に身体を乗っ取ってしまおうかと画策したときもあったけど、俺はこのときのためにいたのだ。なら今死力を尽くさないでどうするのだ。
「最初に言ったと思うが、俺はお前が嫌いだ。だから、お前が嫌いなことをする。こうやってお節介をしてやる。はは、ハハハ! 見ろ。もう空が遠い」
落ちていくなかで空を見上げた。さっきまで自分がいた場所があまりに遠く、手で掬える場所にあった青天が広く見えた。
「おっと、海に落ちないようにしないとな。……仁、お前はどこに落ちたい? 優衣の胸のなかか? なぁ、黙るなよ。感情的になるなって。冷静になれ。元に戻るだけだ。あと十秒もないんだ。話をしよう」
もう真下には海と真っ白な砂浜があった。沖縄だろうか。着地の衝撃で死なないように、傷の一つだって残らないように能力をさらに強めた。思考力が薄れて、冷静さが無くなっていく。限界はとうに超えていた。
(……そうだな。なら一つ聞いてやる)
「手短に頼む。もう時間がない」
八、七と頭の中で秒針を刻みながら応答した。頭のなかは達観したように、酷く落ち着いてしまった声を響かせる。
(お前、自分が消えるつもりで格好つけてるけどさ――――)
六、五、四と、長い時間こいつは黙り込んだ。何故黙るのかと問うのも野暮ったくて、俺は待ち続けた。全身に纏う熱と暴風の縫い目から潮の匂いが香る。懐かしい臭いだった。
(もし俺達が無事だったとき――――)
三秒。二秒。衝撃波によって波がうねり砂が舞って宙で溶けていく。すぐ真下にクレーターが形成される。残り一秒。しかし次の刹那、詠唱と魔方陣が身を包んだ。
「【宙の揺り篭】!!」
業火と槍のごとき風だけが砂を抉り、塔を作るかのように炎と砂塵が宙に打ち上がった。身体をふわりと包むような浮遊感。瑠璃色の魔力の渦が叩きつけようとする重力を断絶していた。
「ふふ、ヒーローは助けを呼ぶ声には来るものよ」
魔法少女は砂浜で仁王立ちをして、玉虫色の髪を衝撃に靡かせながらドヤ顔でこちらを見据えていた。パチンと軽快に指を鳴らして魔法が解ける。俺はこてんと軽く尻餅をついて着地した。
死ぬつもりだったのに、思っていたよりも大したことのない着地に反応できずに、呆然と空を睨んでみる。夕方になりそうだった。
(――――無事だったとき、相当恥ずかしいと思うが平気か?)
「…………応えかねる質問だな。とりあえず、……しばらく休んで気が向いたら返答する」
スマホの能力を解除した。頭の中に逃げて、倦怠感と筋肉痛で砂浜をのた打ち回る自分を嘲りながら、このまま質問に答えないでいることにした。




