新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その4
「レオン、その扉を市ヶ谷駐屯地まで運んでくださぃ。殺されたりしないようにしてくださいですぅ」
「了解だ。HAHAHA、お前から離れられることだけがうれしいよ」
レオンと呼ばれたその外国人の男は乾いた笑い声を発して、置かれていた扉を持ち上げた。
直後、ガチャリと音がした。それでドアレバーが一人でに扉が勝手に開いたかと思うとそのままどこかへ消えてしまった。そう、消えたのだ。マジックみたいに、けれど種も仕掛けもあるようには思えない消え方だった。
「……うん?」
仁は首を傾げた。目を擦って大げさに瞬きをしても、消えた扉が戻ってくることはなかった。鮫のヒレのときと感覚は近い。レオンも意表を突かれて固まってしまっていた。
「あちゃぁ、逃げちゃいましたね。GPSはつけましたかぁ?」
「……追い掛けてくる」
彼は電子端末で地図を見つめると、人混みのなかに消えてしまった。見物していた女子高生がパシャパシャと写真を撮って狂喜しているのが微笑ましい。
見物客は扉が消えてしまうと段々と散って行った。円を描くように出来ていた人のない空間も、ただの混雑した大通りに戻っていく。
お面越しからでも分かる視線。ジッと見上げられていた。その女の人はちょこちょこと小さな足取りで近付いていく。近付かれると、思っていたより背は低かった。
……近い。異様に近かった。すぐに数歩下がって距離をおいても、また距離を詰められる。
「……ど、どうしたんですか?」
か、関わりたくない。日本人精神が助けてと叫ぶ。髪は凄い綺麗で、スーツ越しでも分かる色っぽさ。けどお面をつけてるような不審者は嫌だ。まして無言で近付いてくる。怖い。ただただ怖かった。
けどこういうときに日本人は決して関わらないもので、ご丁寧に道だけ開けて一瞥をくれるだけだった。仁はついにデパートの壁に追い詰められた。
「ま、マジでなんです? お、俺なんかやっちゃいました?」
「壁ドンってこうでしたっけぇ」
――――ドン!
建物が壊れるんじゃないかってぐらいの衝撃と轟音と共に華奢な手で壁ドンされた。遅れて、狂風が彼女自身の髪さえも強く靡かせる。
反射的なもので、周囲全員の目線が向けられた。仁は狼狽えて、腰を低くした。額から冷や汗が流れ落ちていく。
「……ふみゅう、怖がらせるつもりは無かったですぅ。ただちょっとぉ、あなたに興味ができちゃっただけなんですぅ」
手を握られた。小さな手は柔らかくて、ひんやりとしていた。
――――やばい。初めて女の人に手を掴まれた気がする。こんな状況なのに心臓の脈動が激しく波打って、赤面しそうになるのだ。恥ずかしいし、人の目が、ひそひそとこちらを見て話す声が気になって仕方がない。
「な、なんだよ唐突に」
知らない人だというのに敬語が剥がれた。でも仕方ないことじゃないかと自己肯定。呂律が回っただけでもほめてほしいくらいだった。なにせ手を掴んだかと思うと、もう一方の手でしっかりと握ってきたのだ。いささか刺激が強かった。
お面のせいで表情は見えないが、それはそれで妖艶さにも似た何かを醸し出していた。手を握ったまま彼女は沈黙した。奇妙なものを眺める視線が焦らされて、より一層濃くなっていく。日差しがきついのに、この瞬間だけは忘れれた。
「――――ランチ、一緒に行きませんかぁ? 奢りますよぉ?」
「……ナンパ?」
半信半疑だった。言葉だけ聞けば、新宿だし、ナンパだと思ってすぐに食いついてた。スタイルもよさそうだし、髪すっごいサラサラだし、それに声が独特で心地よくて中毒になりそうだ。
けど腰に拳銃、顔にお面。壁ドンの威力がデパートを揺らす。魅力以上にイレギュラーが多すぎる。彼女はお面をつけていたまま顔を近づけると、そっと吐息を吹き付けるように耳元で囁いてきた。
「私ぃ人の心が読めるんですぅ……デートの練習ぅ、したほうがいいんじゃないですぅかぁ? ほら、私手伝いますよぉ?」
「なっ!? なんでそのことを! あ、いや、そのことってのはつまりっ――――」
咄嗟にデートのことを認めて、けどすぐに取り繕ったが言葉に詰まった。いつデートの話を聞かれた? いや、本当に心が読めるのか? いやいやいや、冷静になるべきだ。そんな奴がいてたまるか。でも確かにテレビに出てくる心理学者は何でも言い当てるしありえないことはないのでは?
仁は困惑を隠せなかった。口が震えて、目が泳ぐ。手が助けを求めようとしたがそこにあるのは目の前の女の人の華奢な手で、微熱が実感するだけで心臓が爆発しそうだった。頭がめちゃくちゃになって何もわからない
その人がニヤリと笑った気がした。直後、とどめとばかりに体を摺り寄せられた。熱が、柔らかな感触が腕やらなんやらに当たる。彼女はスーツを着ていたがそんなの関係ない。やわらかいところはやわらかいし、むしろ体の形がわかりやすくて、頭が完全に馬鹿になった。心臓の爆動が絶対向こうにもバレていた。
「ちょ、当たって! 当たってる! 胸が!」
「叫ばないで欲しいですぅ。それに当たってるんじゃなくて当ててるんですよぉ?」
グイっと、さらに密着させられる。……これはもう一目惚れされたってことでもいいんじゃないだろうか。分泌されていく性欲と脳内ドラッグを吸引して、ラリった結論に仁は至った。冷静にだなんて考えれば考えるほど離れていった。
「ええと、マジでデートの練習してくれるの?」
「もちろんですよぉ。家も見てみたいですぅ」
家……? 家だと。いきなりそこまで発展するのか? 大人の女性は皆そんな感じでステップを踏むのが早いのか? けど優衣にデートを誘われていて、いや、でもそもそもまだそういう関係じゃないならいいのか? いいのか!
仁から焦りが消えた。恥ずかしさで耳まで赤くなっていたのに、都合のいいような解釈を得ると心がすっとしてドヤ顔が滲み浮かぶ。モテ期が来たのだと思うだけで優位に立てた。
「じゃ、じゃあ行こうか」
「ちょろいですぅ」
一瞬そんなことを言われた気がしたが、もう浮かれていた耳が聞こえないフリをした。