新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その3
「うわ……そういえば充電し忘れてた。ったく最近の若い機械は根性がない」
地図頼りだというのに、空気も読まずにスマホが電池切れ。最悪だった。デートの誘いで浮かれまくって徹夜してモテる男のポイントだとかを調べて充電をし忘れた自分が悪いのだが。
しかし道を聞けそうな人などいくらでもいる。新宿なのだ。いつだって大量の車が信号に引っ掛かっているし、デパートと直結した巨大な駅は無限に人が湧く。それに見合った巨大な家電量販店に、そこへいざなう立体歩道。下に住むホームレス、女子受けしそうなワッフル専門店。
そして喫煙スポットに設置された優衣の家の玄関扉。開けた道の脇、多くの人が怪訝そうに扉を見つめながら、無視して煙草をふかしていた。煙が独特のにおいを帯びて周囲に漂う。
「……は?」
いやいやいや、と、冷静な思考が現実を拒絶する。なんで新宿に向かいの家の玄関扉がポツンとあるのだ。いささか奇怪すぎる光景で、現代アートとか言われてしまったら納得できそうな絵面。仁は首を傾げながらも、とにかくその扉に駆け寄った。
皆不自然には思っているみたいだが、あまりにも堂々と設置されてるものだから逆に触れないでおこうみたいな空気になっていた。普通だったらそうする。けどその扉には明らかに見覚えがあって、深い色合いの木材で出来たその扉は紛れもなく狐川家のものだった。ドアレバーに刻まれた『ヤウルB』の文字。
押し売りがしつこいと言われて、子供ながらにネットを駆使して描いたものだった。意味はヤクザ、ウルサイ、ブラックリストでローン申請が通りにくい。無論後日謝罪する羽目になった。
「……似てるドアとかじゃないな。俺の文字だ」
「ちょっと退いてくださぁい。そこの人ぉ」
独特の訛り掛かった言葉。音声ドラッグみたいな中毒性のある声を真後ろから掛けられた。背中をつんつんと指で触られ、慌てて振り返る。そして硬直した。
一回りほど背の低いスーツの女がいた。長い黒髪が風に靡いていて、それだけだったら見惚れていたくらいだが、彼女が招き猫のお面をつけているのと、すぐ後ろに警官のような制服を着たアメリカ人がいたので冷静さを保てた。くすんだ金髪の男で、ナンパしたら相手のほうから連絡先を求めてきそうなイケメン。女の人も含めて、腰にはホルスターを下げていた。
「あはぁ? ごめんなさぃ、ちょっとその扉についてぇ確認したいことがあるのでぇ離れて欲しいですぅ!」
その発言は周囲にいる全員に向けて告げられていた。さすがは日本人と言ったところか、皆軽く会釈して従っていった。いつもの人だらけの道が開けて、狭い場所に密集していく。野次馬も増えてきて、映画のワンシーンのようだった。
すぐに離れよう。ああ、けど優衣の家の扉だって一応言っておかないと回収業者とかだったら困るな。――だなんて、あほなことを考えてしまった。
「ええと、この扉。向いの家の人ので昨日? 盗まれたとか―――」
「すまないが問題を起こしたくなければ彼女から離れたほうがいい」
外国人の男が目の前に立ち塞がって、話を強引にぶった切ってきた。腕を強く引っ張られて、見物客の群れに押し入れられる。不愛想な態度。顔がいいと性格が歪むというのは間違いではないと、こういうことがあるたびに思わされる。
女の人はずっとお面を付けたまま、クンクンと、オノマトペを声に出しながら扉の臭いを嗅いでいた。ちらりと見える首筋、それと擬音に合わせて小さく動く顔が色っぽい。
やがて嗅ぎ終えると、一呼吸おいて彼女はガッツポーズをした。表情はわからないが心底嬉しそうだった。大勢の野次馬がぼんやりと眺めるなかお面の女が喜々とする光景は、たぶん新宿といえどそうそう見かけないはずだ。ラッキーなものを見てるのかもしれない。
そもそも、優衣の家が巻き込まれてる時点で他人事だと思えたのは暑さで頭がやられていたからだと思う。すぐにその場から離れるべきだったのだ。そんな後悔を抱くことになったのはもう少しあとだった。
「――隕石反応の臭いですぅ。間違いなくこの扉と……この青年からですぅ」
そう言って彼女に指を差された。その指先は間違いなく仁に向けられていた。外国人の警官らしき男も目をパチクリとさせて反応にいささか困っていた。隕石反応? 隕石反応ってなんだ? そもそもこいつらは警察なのか? いや、公務員があんなアホな恰好をしててたまるか。ならじゃあ一体誰なんだ……?
考えたが思いつくのは宇宙人だとか、どこかの国のスパイだとか残念なくらい馬鹿丸出しな内容ばかりだった。