蜂は忠誠と自由と愛を唄う その8
【蜂は忠誠と自由と愛を唄う その4】
「裏切ったと……連絡していいのか? お前の帰る場所はなくなるぞ。マフィアからも、国からも追われる身になるんだぞ」
ブロンド髪を乱しながら、少女が外見になわない口調で仲間であるはずの男を脅していた。状況が、理解できない。
カリーナ? 我はカリーナという名前の人間なのか? やはり元々は蜂ではなくヒトだったから人間の記憶があったのか? しかしあの人間……トニーと呼ばれた男の言葉を信じるべきではない気がする。
訳もわからず困惑しているうちに、彼らの間に入りがたい対立が迸っていた。
「もう誰も殺したくないから逃げたんデスヨ。オレは。……それに怒られてしまいマース。あんな子を撃ち抜いてでもしたらネ」
次の刹那、二人は同時に引き金を引いた。轟音に、びくりと優衣の身体が震えたのが分かる。弾丸は互いの頬を掠めていた。
確かな出血。血しぶきが舞ってアスファルトを飾る。二人は吹っ飛ぶような勢いで身体を回転させ距離を取り、なにも無いはずの場所から無骨な軍用銃を手にとってハンドガンを道に捨てる。
「二人はそこで見ていてくだサーイ! この決闘に勝ってあなたを絶対に助けマショウ」
トニーはこちらを見ずにそう叫びながらフルオートで弾丸をばら撒いた。金髪の少女も走りながら弾丸の嵐を生み出す。異様な光景だった。何故かお互いに弾丸の一つだって当たっていない。見ていると心を鷲掴みにされてしまいそうな感覚がする。
「優衣。今ノうチに、移動シてくレ。彼ラを信じルべきでハない」
いつあの銃口が我々に向くか分からない。女王様の自己犠牲を無駄にはしたくない。だが優衣は動いてくれなかった。それどころか青い瞳はキラキラと、幼い少年のように輝いてトニーを見つめているのだ。
「と、トニーさん! 頑張れ! 頑張れ!」
恥じらいのある応援。致命的な違和感がした。ぶんぶんと腕を振って紅潮する彼女の姿は、彼に向けられるべき感情じゃない。おかしい。
「貴様ッ!! 能力を……使っタな!」
湧き上がる怒りに声を張った。麻痺してきた痛覚が振り返して悲鳴をあげる。
「アクション映画は好きデスか? オレは大好きなんデスヨネ。何が言いたいって、今この瞬間だけはクールになりたいんデスヨ!」
彼は遮蔽物に身を隠しながら銃口から火を噴かせた。道路を挟んで対峙する二人の間の空間が、重く連続的に鳴り渡る銃声によって断絶される。別世界のようだった。
それこそ映画のワンシーンのような、
「うぐッ、頭ガ! 裂けル……!」
フッと蘇る記憶の欠片。我は一度、この場所に来たことがある。映画を観た。誰と? まさかあの男とか? いや、違う。カリーナじゃない。カリーナは忘れろ。カリーナは罠だ。絶対に違う。
とにかく離れるべきだ。あの男の能力の全貌が掴めない。洗脳? ではなにもないところからいくつも銃を出したのは何の能力だ。
「優衣、頼ム。正気にナってくレ。我は、我は女王様ノ決断を無駄にシとうナい!」
必死に腕に力を込めて、全身で彼女を揺すった。痛いくらいに抱擁して、我に返らせようと耳元で叫んだ。
「大丈夫ですよ。トニーさんが絶対に! 助けてくれますから」
分かっちゃいない。そう思わせる力が一番危険なのだ。優衣は確実に能力の影響を受けている。ならトニーと対立したあの女は?
我はセシリアなる女を注視する。彼女は鬼気迫った顔でショットガンを撃って、撃って、撃ち続けながら早口で激怒していた。
「トニー、お前は間違っている。アメリカには死体のサンプルだけでも渡すべきだ。じゃないとあいつらが我々の国にどんな制裁をしかけるかも予測できない。そんなこともッ! お前は分からないか。情熱のために人生を狂わせといて、いまだに狂わせるか!? いいさ。レイモンドの手を借りるまでもない。ぶっ殺してやるッ! そもそもお前は何度も私のことを子供扱いして――」
冷静じゃない。途中までの冷徹な瞳は完全に激昂に呑まれている。そういう能力な気がした。精神に干渉するような、おぞましい力が周囲に働いている。
「我ハ、我はどうスれば……! 優衣、頼ム! 我の言葉を聞いてくレ!」
「トニーさんが絶対に助けてくれます! 信じてください!」
トニートニーってあの男がなんなんだ。今の優衣を見て信じられるはずがない。いやだ。怖い。怖い。死にたくない。我が死ねば女王様は無駄死に。それだけは、それだけは絶対に嫌だ。
「アの男を信じるナ!! 危険ダ!」
咄嗟に吐き出した言葉が空気を震撼させた。ビリビリと自分自身の耳に声が残響する。その命令が力に変換されていく。優衣がびくりと全身を振るわせたのが分かった。そして彼女は凛とした瞳に戻って、我に顔を向けた。
「に、逃げます! ごめんなさい!! トニーさん! 応援はしてるんですけど、あなたのことをわたしは信じられません!」
命令に優衣は従わざるを得なかった。それでもまだ能力の影響下にあったのか、彼女は酷く申し訳なさそうにペコ、ペコリと二度頭を下げてから踵を返した。我を落とさないように強く背負い、疲労しているはずの脚で駆け出す。
嬉しかった。困惑もしていた。身体が揺れるたびに女王様との距離が離れていくのを実感して、言葉が詰まりそうでもあった。感情の波に呑まれていく。
我が心はひとまずの脅威を乗り越えたことに安堵する一方で、真っ白になってしまいそうな戦慄と焦燥が疼いていた。
……この力は、女王様の能力だったはずなのだ。
「我が……我が女王にナったノか? 子を成せル……女王に」
しかしこの身体は人間そのものだ。そもそもなぜ他の変異体は、女王様でさえ原型は留めていたのに我だけは全く別の生物になったのだ。人になったとしても、なぜこんな脆弱な体でありながら何十発もの弾丸を受けて生きている?
いくら考えても答えは出てこなかった。そうしているうちにも優衣は道路を蹴って、走って、我を助けようと病院のあるところへと向かっていく。
だが、虹を掴むような奇跡はもう起こりそうにない。海を越える巨大な橋に差し掛かったところで、優衣は苦渋をかみ締めて立ち止まった。
地面からゆらゆらと背びれを見せる数百匹もの巨大鮫が橋の行く先にたむろしていたのだ。そのうちに十匹程度が橋をすり抜けて空へと上がる。
八つの蛍光する瞳に、獰猛な牙。見るにもおぞましい醜悪な怪物だった。
「高さん。ぼくはこれで仕事はした。約束どおりお父さんとお母さんの居場所を教えてね」
鮫の渦の中心に一人の男と、少年が立っていた。その少年は冷め切った態度でスーツ姿の男を見上げる。二人ともアジア系の顔立ちをしていた。
「ええ、約束しますよ。ひとまずはこの状態の維持を頼みます。……さて、狐川優衣さん。蜂女さん」
彼は長い黒髪を整えて、細い双眸で見下すように視線を向けた。優衣は臆して、一歩、また一歩と後ずさっていく。
「わが国の繁栄のため、捕まってください。変異体を意図的に作れれば、新たな技術革新となりますので」
いつのまにか背後にいた同じ顔の男が、肩を掴みながらそう囁いた。




