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新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その10

 鍔迫り合い。ギリギリと金属が摩擦を続けながら、軍人は沈みん込んだ態勢からもう一本のナイフを取り出し横薙ぎした。鈍色の剣閃。その一撃が脇腹を切り裂く直前、蜂女は冷静にもう一方の針刃で攻撃を防ぎ止めた。


 そして両腕を力強く振るい軍人の腕を逸らすと、首元を狙い澄ました刺突を何度も殴るように放った。軍人はそれを並外れた反射神経のみで避けて、避けて、避け続け、それでもついに避けきれなくなってその針尖が急所を捉える刹那、がら空きになった腹部に軍人が容赦なく蹴りを放つ。厚底の軍用ブーツが少女の鳩尾を捕らえた。


 鈍い炸裂音とともに彼女は吹っ飛ばされたものの、すぐに受身をとって回転し体勢を立て直す。顔は苦痛を噛み締めて笑っていた。十数秒で行われたやり取りとは思えなかった。二人とも人間とは思えない。それを冷静にすべて見ることができた目も狂っている。


「ナるほド……痛イという感覚を初めテ知った」


 ――飛翔。不快な虫の羽音とともに少女の身体が浮かび上がった。彼女を狙おうとしていた鮫がこちらと軍人に向かう。


『敵接近中……3、2、1.今です』


 スマホの合図に従って仁は身体を真横に跳ねた。跳躍して蹴り上げた地面から鮫の怪物がアギトを開けて飛び出す。そしてイルカのようにしなって、また地中に潜っていく。――うひょー! 死ぬって死ぬって。よく避けれたな今の。


 嗚呼、うるさい。何がうひょーだ。心のなかでバカな声を上げるな。


 そんなことを思っているうちに少女は急降下して針刃を振るった。速力と重力が刃に掛かる。軍人は咄嗟にその獰猛な一撃をナイフで防いだが、翅の有無が劣勢を強いた。


 宙を浮き、剣撃を振るう慣性に全身を委ねた一撃はあまりに重く、そしてしなやかだった。連撃、連撃、連撃。蜂女は呼吸をつく間もないほど連続的に攻撃を続けた。どれもが急所を狙った鋭利な殺意に濡れている。刀風が軍人の皮膚をじんわりと切り裂いていた。


「Verdammt!」


 軍人は瞬間的な反応だけで攻撃を捌き続けながら、悪鬼のような形相で何かを叫んだ。鼓膜が破れてしまいそうな轟音。その小さな喉から発せられていた。蜂女は目の前で爆弾でも投げられたかのように怯んだ。一瞬の隙をついて軍人はナイフを突き伸ばした。それは確実に少女の心臓を捉えていた。


 ガチン! と、ありえない音がした。甲冑を殴ったかのような頑強で重い音だった。突き立てられたナイフが少女の皮膚を貫くことはなかった。刃はその場で止まり、蜂女は勝利の笑みを浮かべた。


「我ノ甲殻は依然とシて健在」


 そう一言だけ告げて、彼女は軍人の腕を蹴り払った。軍人の手からナイフが弾かれ、その黒刃が宙を舞った。立て続けにもう一本。カランと軽快な音を立てて刃は地面へと落ちた。


「Weil die Waffe kaputt war……!!」


 彼の顔が焦燥で歪んだ。しかし少女はあまりにも冷徹で、決着は明らかについていたにも関わらず攻撃の手を止めようとはしなかった。加速していく針刃は残像を伴って振るわれ続けた。刺突。一閃。旋風を纏った一撃一撃が軌道を描き続け、彼女を中心の球さえも描いていた。


 軍人はコンマ1秒の遅れさえも許されない回避を続けた。だが限界は遠くなかった。彼の足元に這い寄る背びれ。もはや一刻の猶予もなかった。


 彼の額から流れ、地面に落ちる汗の一滴が仁にはひどくゆっくりと見えた。理性や合理的なものではない何かが体を突き動かした。瞳孔が縮む。咄嗟に何か声をあげようと口が半開きになった。



 ――――やばいぞ。マジで殺すつもりだ! すぐに止めろ! 頭を貫くような声。喧しくて耳鳴りと頭痛がした。何が出来る。助けて得は? 冷徹な自分が質問を重ねて、――いいから行け! と、一蹴された。


 だから仁は駆け出した。頭の雑音をどうにかしようと地面を蹴り飛ばした。到底間に合わない距離に二人はいたが、この体はどうしてか超人のごとき怪力と敏捷さを兼ねていた。鉄骨の束を台にして跳躍。背後でガラガラと騒音。だが一瞬で距離を縮められた。


 軍人はついに攻撃を避けきれずに尻もちをついて、蜂女が針刃を振りかざそうとしていた。


『馬鹿な。ワタシの能力を受けながらそんな非合理的な判断は――――』


 手に持っていたスマホが愕然とした様子で声を発した。ああ確かに、こんな思考回路になったのは彼女が声を発した瞬間からだった気がする。


「その話はあとできちんと聞かせてもらう」


 そう告げながら遠慮なくスマホをぶん投げた。直線軌道を描いたそれは、肉を貫こうとした針に直撃した。カン! と心地よいくらいの音がして、なんとか攻撃を中断させることはできた。


『精密機械に対してなんという所業でしょうか……ああ』


 どうしてか、色香のある声をスマホが発するなか、蜂女がゆっくりとこちらを睨んだ。触覚がこちらに向いた。風に揺れる警戒色の髪の毛に生理的嫌悪が湧いていた。


「やめろ! 殺す必要はない!」


 喉が千切れん勢いで叫んで二人の間に割って入ると同時、軍人を狙っていた鮫が地中から大きく飛び出した。避けきれずにすぐ背後で呑み込まれる軍人。彼をなんとか仕留めようともう一方の腕を突き出す蜂女。歯を噛み締めて、狂った形相を浮かべていた。だが明らかに間に合っていなかった。スマホをぶん投げた時点で防げていたのだ。


 だから割って入るなんて馬鹿だったし、その振りかざされた針を手で受け止めようとして――――手のひらを貫かれたのは大馬鹿だった。ずぶりとあまりにもたやすくそれは肉を裂いた。手に耐えがたい熱と染みるような激痛が走って仁は声にならない苦痛の叫びをあげた。


「――――ッ!」


「ナ、貴様にスるつもリでハ……! 毒がアるノに……! わ、我ハ知らヌ。貴様が、貴様が勝手に……!」


 少女は目を見開き、慌てて針を引き抜いた。我に返ったのか機械のような表情は消えて、弱々しい少女の顔をしていた。ただ突き刺された手はタダでは済まなかった。ぬめりと、耳にするのも痛々しい音と共に鮮血が地面に流れ落ちる。鉄臭さが腕を伝って広がっていく。


『仁様。どうか耐えてください。ワタシも可能な限り最善を尽くしました。救急車への通報も完了しましたが、そちらは来れるかどうか怪しいです』


 すぐ近くに落ちていたスマホが淡々と喋っていたが、急激に意識が朦朧としてほとんどが頭に入らなかった。手の痛みが限界を振り切って麻痺している。視界もぐわりと歪んで、仁はそのまま地面に伏した。夏の地面はジリジリしていて熱かった。


 呼吸が荒くなっていく。見れば手は血に濡れて、毒とやらで真っ赤に腫れていた。視界が黒く霞んで、目を開けているのも辛くて瞼を落とした。


 炎天下のなか思考が微睡に溶けていく。傷ついた手を誰かが触れた。痛くて、その手を振り払おうとしたが怪力で押し込まれた。そのまま布のようなものが巻かれていく。


『ワタシの持ち主を刺しておいて、その程度の介護で去るというのですか』


「――黙レ。黙れ黙れ黙レ! わ、我は知らぬ! 知ラぬ!!」


 スマホが蹴り飛ばされたらしい。積んであった鉄骨辺りまで飛んだのか、金属音がした。それからすぐに響く羽音。吹き荒れる風。やがてその音は遠くへと行ってしまった。花の残り香が血に消える。


『あなたはこの異常事態へ対処している人間ですか? どうか彼を助けてください。今は藁にでも縋りたいのです』


 誰かが来たのかスマホが呼びかけた。けどそれへの返事はなく、乾いた靴音が近づいてくるのがよく分かった。その人は多分、目の前で立ち止まった。太陽光が隠れる。そして、


「しょうがにゃあ……」


 聞き覚えのある独特な、麻薬みたいな声で彼女は囁いた。

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