新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その9
【新宿デート野郎は蜂と宇宙人と手を繋ぐ その3】
「病院に沢山匂イがすル。我々と同ジ存在……沢山。石ヲ狙ってイるかもシれぬ。早ク向かウ。急降下するガいイか?」
――――おいおいおい、マジで行くつもりか? 絶対やばいだろ。今一度病院を見下ろすと頭のなかで馬鹿丸出しな声が響く。
……確かに沢山の鮫が泳ぎ回ってもはや幻想的ってくらいに別世界だが、もうどこだってやばいんだ。それに蜂女の力を借りれなきゃもっと面倒臭いことになってたのはわかるはずだ。
『パトカーは全部動かなくなっているようですね。どうやら耐水性のない機械がまともに機能しないようです。ですがワタシは今や完璧なスマートフォン。絶対に壊れません』
「俺も構わない。それ以外の選択肢が今の俺にはないからな。時間を食っても時間の無駄だ」
瞬間、空を貫くような急降下。心のなかで叫び声をあげる自分と、それを戒める今の自分がいた。
白い病棟がすぐ隣で通り過ぎて、清々しいくらいの風を正面に受けながら病棟裏の工事現場へと向かった。工事現場の地下深くまで掘られていた。鉄骨の壁に仮設的な足場。
着地する直前、水もないのに飛び込んだような水音が盛大に響いた。ぶわりと舞う砂塵。しかしゆらりと鮫の背鰭が垣間見えて急上昇。
瞬間、鮫が地中から飛び出した。仁の足元で幾重もの牙が煌めき、アギトが閉じる。食いつかれるスレスレだった。仁は淡々と眺めていたがやはりその心は喧しい。
――そもそもなんで俺はこんな落ち着いてられるんだ? よく見てればギリギリで喰われないと分かるからだ……と自問自答。なんでこんな心のなかは騒がしいのか。女の脚に少し触ればわめきだす。まったくみっともない男だ。
「……このマま匂イの所ヘ向かウ」
『進行方向から無線の音がします。ご注意ください。軍用のものです』
上昇して、工事用の重機と鉄骨で出来た道を糸を縫うようにくぐり、または飛び越えていくと誰かがいるのが見えた。背は高くなく、男か女か分かりかねる中性的な顔をした外国人だった。栗色の髪が揺れる。表情筋は強張っていて、鋭い翡翠の双眸がこちらを見上げ、そして睨んだ。
「Mutant. Ich wünschte, könnte kommunizieren.……僕は軍人だ。一般人であれば君たちを避難させたい。ここは――――」
言葉が水飛沫で掻き消される。無数の鮫の怪物がその人へ飛び掛かった音だった。ビチビチと巨躯がねじれるようにその軍人に向かう。しかし彼? はすべての牙を華麗に避けてしまうと何事もなかったかのように会話を再開した。
「……ここは危険だからね。でも君たちは一般人じゃなさそうだ。なんの目的があってここに来た?」
流暢な日本語だった。軍人と言われてもなんら違和感のない立ち振る舞い。制服。彼は手に持っていた拳銃を自然な動きでこちらに向けた。危険を感じてか、蜂女がツンとするような臭いを発した。警戒心を煽るような臭い。
脚にしがみついたままでは何もできないから地面に飛び降りた。十メートルほどの高さはあったが今のこの体はなんとも思わなかった。仁はすたりと着地して、その軍人と対峙する。
「貴様ハ石を持ってイるはズだ。ソれを寄越せ。さモなくバ命は保証しナい」
ガチガチと音が鳴り響く。少女の警告だった。目に見えるんじゃないかと思うほどの殺気。ビリビリと、肌を苛む感触は分かりやすかった。軍人のなかで何かが底冷えていく感覚がわかって、背筋が凍った。
――――おいおい死んだわ。家に帰るつったって死んだらどうしようもねえだろ。
喧しい。今更なに言ったって無駄だ。それともどこまで広がってるかわからない鮫を避け続けるか? あー、……それは無理だな。だなんて、頭のなかで自分自身とやり取りをした。不毛だ。
「ギャハハハハ! やるか!? やっちゃう!? 早速オレちんの出番かぁ!?」
突然、拳銃が荒い口調で汚らしく笑った。口や表情があるわけでもないのに。隕石の影響だということはもはや説明されずとも分かった。ただそれはそれとして聞き苦しい言葉だったせいで、その場にいた全員が眉間に皺を寄せる。
軍人はしばし閉口すると、拳銃をスッとホルスターにしまい込んでしまった。今の仁としては気持ちはよく分かった。彼は可哀想な人だと思う。
「おい! しまうんじゃねえよ! 六発までならどんな状況でも当ててみせるからな! あの飛んでるやつとか絶対お前のへっぽこエイムじゃ外れておわりだぜ!?」
拳銃がギャーギャーと喚くなか、蜂女が不意に急降下した。一瞬の飛翔。翅が突風を生み出して吹きつけて、仁が咄嗟に目を守ったときには、彼女は身をかがめて腕を伸ばし、軍人の喉元にあの鋭利な針を突き付けていた。
対して軍人もどこから取り出したのか黒光りする鋭刃を持って、それを彼女の背中にいつでも突き刺せるように構えている。プロだから……の一言で説明できるとは思えない反射神経だった。鮫のときもそうだ。明らかに彼も何かがおかしくなってきている。
「隕石を見つけるたびに装備の新調が必要だな。…………それで女。これは我々に対する敵対ということで間違いないな」
「貴様ノ背中のそレに石がアるナ。寄越せバ殺さナい」
翡翠の睥睨。鈍く光るナイフには冗談の欠片もなかった。少女の針も同じだった。腕から生える生理的嫌悪を帯びた針。ピクリと揺れる触覚。ガチガチと鳴り続ける華奢な手が殺意に塗れていた。
『こちらルカ! 隕石を発見しましたが変異体と思われる人間に襲われています。迎撃許可をください!』
彼は決死の声で叫んだ。瞬間、何度目か分からない水飛沫。鮫の怪物が開戦の狼煙のごとく二人の足元から飛び上がった。
目が、牙が光る。
荒れ狂うような波音と共に、二人は鮫を避けて瞬時に距離を取ったかと思うと、次の刹那には地面を蹴り上げて互いの刃を交えた。
――――甲高い金属音。どちらも命令に従う冷徹な機械の顔をしていた。




