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一輝たちと青竜団、それに四百人ほどの村の若者たちは、今から城塞都市に入ろうとするところだった。朝である。周囲は明るい。もしこっそりと潜入するというなら間違いなく気付かれるだろう。だが桜花は作戦会議の折に
「大丈夫だって」
と念を押した。
「彼らの行動パターンは分かっているのさ~。書類や手続き上の不備がなければ問題視しないし、出来ない。この国の戸籍札さえ持っていればいいんだ。かれらは見た目で判断はしない。――まあ上からの命令が下っちゃうと攻撃対象にされるけどね」
あれから一輝たちは次々と村を解放して回った。そして事情を説明し、手助けを求め、いまはそれなりの人数か集まっている。しかし数だけは集まっても、まだ戦うことなど論外だった。彼らは皆、鋤やクワしか持ったことしかない、戦うことなど考えたこともない人々なのだ。この危険を伴う行動に参加してくれる以上、それなりに勇気と責任感のある人々ではあるが、敵が兵を差し向けてきたら確実に逃げ出し、四散してしまう。それゆえに今回は、慎重に行動しなければならない。
一輝たちは城塞都市の城門の列に並び、普段通りに行動している人々と同じように順番待ちをしていた。列は次第に消化され、そろそろ一輝の順番であるのだが、一輝の一つ前には青竜団の元お頭が並んでいる。彼は相変わらず毛皮のベストにペイント顔といういでたちである。どこからどう見ても山賊であった。彼ら青竜団の面々は正式な戸籍札など持っていなかったが、その戸籍札は途中で解放した村から借りてきた。
列が消化され、やがて元お頭の順番が来る。彼は番兵に戸籍札を渡すと、
「にっ、新瑚村の乍勉来っちゅうもんです。親戚に会いに来やした」
と、汗をかきどもりながら、明らかに挙動不審な態度で言った。兵士は受け取った戸籍札を眺めることしばし――、やがて戸籍札を山賊に返すと、
「はい、お通りください」
と、なんら気にした風もなく山賊を通した。
一輝も通る。彼も戸籍札を村人から借りていた。自分の持つ戸籍札は黒衣のものだ。流石にクルトーも、いずれ黒衣が現れることは予想しているだろう。なにせ正当な王のいる国を乗っ取ったのだ。許されることではない。
おそらく一輝の正体が黒衣とばれると城門で止められる。いや下手をしたら攻撃するよう命令されているかもしれない。それゆえ一輝は念のために村人から借りた服に着替えて、装備一式は手荷物にしてまとめてある。
一輝も問題なく通されると、そのままの足で城塞都市内の寺院へと向かう。作戦では、まずは寺院に全員集まることになっていた。城塞都市の寺院は規模が大きくそれなりに広いので、これだけの人数でも収容できるはずである。
寺院に着くと、すでに数十名の仲間が境内に集まっていた。一輝はまず寺院に侵入すると住職以下、寺院の関係者全員を治療して回った。そして事情を説明する。歴史的に死を司る者同士、寺院と黒衣の繋がりは深いものがあるのですぐに信用され、この寺院のなかで一番広い部屋を解放してもらった。あとは対刃スーツに着替えて刀を腰に差す。
仲間は次々と集まってくる。その中には精彩や桜花の顔ぶれもあった。桜花はまたも両手に大荷物を抱えている。これは追加で届けられた治療銃である。いまでは合計で約千丁を越えている。十分な数とまでは言えないが、時間をかければこの城塞都市の全住民を解放できる数であった。
ある程度の人数が集まると、桜花や精彩らの指示でさっそく行動が開始された。同じく一輝も行動を開始する。
作戦は事前に話し合って決めていた。まず仲間たちは五人から十人規模のグループに分かれて、この寺院の周囲にある家々、商店、宿屋など、目立たぬよう室内にいる者から治療していく。その者たちは寺院に連れて来て説得し、それが済むと、今度はその者たちにも治療銃を渡して知り合いなどを治療、説得してもらって安全な場所を次々と確保していく。
ある程度の人数になってきたら、今度はそれを引きつれて街の小さな警備兵舎などを確保していく。そこで兵士たちを説得して廻り、ある程度の戦力が集まったら、それを指揮して精彩が城塞都市の兵舎の解放を目指す手筈になっている。
一輝も家々を巡っては、次々と治療や説得を繰り返した。だがやがてそれが一段落して日が傾きかけた頃、一輝は一人、宮城へと向かう。一輝には特別な役割があった。
作戦会議の時に、桜花は言った。
「いいかい一輝君。クルトー君は馬鹿じゃない。何かあったときの対応策を事前に用意しているはずなんだ。それがなんであるかは分からないけど、おそらく領主や兵士には特別な命令がなされている。特に王の白陽様の確保命令は絶対されている。だから今回は白陽様はここで待っていてもらわなきゃならないんだ。
それと後は、ある程度の規模の騒ぎやら異変があったら自動的に発動するような命令かな? だから兵士たちの解放は慎重に行わないといけない。彼らが一人でも領主に報告に行ったら、下手をすれば領主の攻撃命令が下されるようになっているのかも知れない。
――ただこれはこちらにとって利点でもある。彼らは上からの命令がないと他人を攻撃しない。絶対にしない。だからある程度のところまで城塞都市の解放が進んだら、クルトーが仕掛けてあるであろう余計な命令を兵士が実行する前に、一輝君は宮城と領主を押えてしまうんだ。これはおそらく力ずくでないと無理だね。出来るだけ騒がれず出来るだけ迅速に。そして誰も死なせないように。
となると下手な兵士を引き連れていくよりは――」
宮城ともなると護衛がいる。こちらは城門と違い、民間人は入れてはもらえないだろう。一輝はそれらを全員気絶させるなりして領主を治療し、領主の口から住民の治療が円滑に出来るような命令を出させねばならない。
噴水広場を越え、一輝は宮城前の大階段を上る。登りきると、そこで一輝はぴたりと足をとめた。目の前には宮城前の大広場があるのだが、そこには兵士がいた。すでに大勢の兵士が並んでいた。総勢で百名ほどだろうか。それが綺麗に縦列をなして並んでいる。
そして兵士の前には二人の人物が立っていた。一人は細身で、丈の長い白衣を着た男。もう一人は藍色の長袍を着た長髪の男である。
――まさかっ、片方はクルトーかッ?
一輝は思う。精彩から聞いていた特徴と良く似ている。彼らは一輝に背を向けて兵士のほうに何やら命令していたが、兵士の一人が一輝に気付き、
「クルトー様っ! 後ろにっ!」
と叫ぶ。クルトーと長袍の男はすぐに振り向くと、クルトーが一輝を見て「――ほう」と、特にあわてる様子もなく、言った。
「黒衣か。ずいぶんと動きが早いな。死霊山には雪の国の死者などほとんど行っていないはずだから永遠に来ないかとも思ったが、やはり現れてしまうか、黒衣」
クルトーは、クククッと、嗤うように言う。一輝は問答無用で即座に切りつけようとするが、クルトーは手のひらを開いた手を突き出し、
「おおっと! 動くなよ黒衣君。動けばここにいる兵士どもにこの場で自殺するよう命令する。――あるいは住民の虐殺を命じるという手もあるか。まあどちらでもいい。わたしは少々、黒衣君に話がある」
言われて一輝は、とりあえず動かなかった。クルトーは一輝に向け、静かに告げる。
「お初にお目にかかる。わたしは天才科学者のクルトーだ。白陽の捜索の段取りをするために来たのだが、まさか黒衣と出会うとはね。――ふむ、アスモデウスの実験には丁度いいか。しかしまずはお互いのためにも会話を優先しようか。なにせわたしは天才だからね。インテリというものは争いが嫌いなのだよ」
そう言い、クルトーは指を立てて眼鏡の位置を直した。
一輝は鋭い視線を向け――問う。
「……お前、なぜこんなことをした。何を考えている!」
「こんなこと、とは国を一つ乗っ取ったことかな? それは単純に自らの欲望のためだよ。国ひとつを自由に出来るなら、これほど面白いことはないだろう? 天才のわたしだって人間だからね。人並みの欲望くらいはある。金銭欲や支配欲、研究欲、あとは性欲かな? 国を丸ごと頂いてしまえばそれらは全てが叶う。とくに研究欲を満たすためにはこうするのが一番だった。木の国では大地の気脈を使う実験は許可制だ。大量に気脈を使うには何年も順番待ちをしなければならない。自分の好きなようにやるにはあの国では駄目だ」
クルトーは続ける。
「――しかし黒衣君、論理的に考えてみても、君はこの国に来るべきじゃあない。いま君がここに立っているというのは黒衣の行動原理に沿っていないと教えておこう」
「……どういう意味だ?」
「簡単な理屈だよ。論理の帰結というやつだ。 ――黒衣が地上に降りてくる目的は、これ以上死者を増やさないために、だ。でなければ死霊山が悪霊で溢れて大変なことになるからな。それを目的として理論を構築してみたまえ。
いまこの雪の国では国民同士が争わない。暴動も反乱もまったく起きない。となると死霊山に悪霊が溢れることはない。少なくとも雪の国からは。ならば黒衣は雪の国に来る理由がない。違うかね?」
淡々と、クルトーは告げてくる。一輝は即座に返答した。
「この国には正当な王がいる。その王がいまは玉座にいない。このままでは気脈は荒れて妖魔が出、いずれ大勢の民が殺される」
「だからそのために白陽を捉えに来たのだよ、黒衣君。白陽を捉え、王城に監禁してしまえば計画は完了だ。――考えても見たまえ? 彼は無能な国王だ。何一つできず何一つ変えられない。わたしは三年仕えて心底思ったものだ。女神アフレイアは何を考えているのか? ひょっとして人選ミスか? 神でも間違うことがあるのか? とな。白陽はこの五十年間、自分ではろくになにも出来ずにいる。ずっと他人任せで人の顔色ばかり伺っている。だからわたしのような天才が現れると頼る、任せる。
……これでは国を乗っ取られても仕方がないのではないかね?」
「わたしは白陽や他の家臣たちが長年かけても出来なかったことをした。民衆に豊かさを与えてやれたのだ。彼らは喜び、歓声を上げた。争いもなくなり、この国は平和になった。――どうだね黒衣君。君がここにいるのは正しいのか間違っているのか?」
一輝は少し考え、思う。答えは決まっている。
「――この世界には長年守られてきた決まりごとがある。おれはそれに従い、お前を滅ぼすだけだ」
一輝は強い口調ではっきりと答える。するとクルトーは「……やれやれ」と両手を開いて首を振った。
「これだから頭の固いカタブツは困るのだよ。まったく論理的ではない。わたしは争いを避けようとしたのだがね。――まあ実験成果を試すには丁度いいか。ゼロス、見せてやれ」
クルトーは隣にいる長袍の男に命じた。するとゼロスと呼ばれた男は何やら魔術文様の入った缶を取り出すと、派手なポーズを取りつつ「変身っ! 魔装機兵アスモデウスッ!」と叫び、その缶を自分の足元に投げつけた。途端に湧きたつ藍色の煙がゼロスの身体を覆い隠す。少しして風が煙をかき消すと、そこには奇怪な金属の鎧に包まれた男が立っていた。
――いや、これは鎧ではない。全身を覆うフルプレートではあるのだが、何かが違う。丸みを帯びた装甲板を幾重にも重ねたものではあるのだが、それ以外の部分に何やら複雑な機械も付いている。特に右腕の上、あそこについている機械は大砲のような形状だ。肩口から見ると、背中のほうに何かを背負っているように見える。各部には藍色のラインのデザインが所々に描かれているが、それが光を放っていた。気脈の光だ、間違いなく。
それにこの鎧、隙間が見当たらない。普通の兜は眼の部分は開いていなければならない。でなければ外が見えない。しかし眼の部分には横長のガラスのようなものがはめ込まれており。それが薄く黄緑色に光っている。
「分かるかね、黒衣君。この機能美、艶やかな光沢の見た目。これは万が一黒衣が来たときのために用意していたものなのだよ。名付けて[魔装機兵アスモデウス]だ。
……ま、こいつは最初に作った試作型ではあるのだがね。それでも黒衣三人分の戦力を想定して設計してある。こいつは大地の気脈を吸収しながら戦う魔科学の発明品だ。力も早さも常人の比ではない」
さて、とクルトーは眼鏡の位置を直した。
「巻き込まれてもつまらないからね、わたしはこれで失礼させてもらう。いまはあれの最終調整に忙しい。――ゼロス、お前は黒衣を始末したら白陽を捉え、王城まで連れてくるのだ。ちゃんと黒衣を始末するまでの時間はカウントしておけよ? 今後の研究の参考にする。――おおっと、兵士たちは動くな。その場で待機だ。でなければ正確な計測は出来ない。
それでは諸君、失礼――」
クルトーは一方的に言い終わると、白衣の中から魔術文様の描かれた缶を取りだした。それを自分の足元に投げつけると、地面には黒い空間の円が広がる。その空間にクルトーの両足は消えていき、やがて全身が呑みこまれると黒い空間は消滅した。離れた場所に転移する禁呪、時空間魔法であろうか? だがあの缶はなんなのか?
ガアアァァァァンッ!
大きな金属音が響く。魔装機兵アスモデウスが両拳をぶつけ合った音だ。拳からは火花が飛び散る。やつのほうからは何らかの機械音が聞こえてくる。
「魔装機兵アスモデウス、参るっ!」
言うと、魔装機兵アスモデウスはいかにもパンチを打つような構えを見せた。だがお互いまだかなり離れた位置だ。一輝はカウンター狙いで踵を浮かせて柔らかく構える。
魔装機兵アスモデウスは叫んだ。
「必殺っ!ブーストアタックッッ!」
叫んだ途端、魔装機兵アスモデウスの背後から青い火炎のような噴射が見えた。直後、凄まじい速さでアスモデウスは突っ込んでくる。その速度は早すぎた。完全に意表を突かれた。
ドゴォォォォッ!
アスモデウスの金属の拳は深々と一輝の腹筋に埋まり、一輝の身体はそのまま後方へ吹っ飛んだ。大階段も全て飛び越え、そのまま石壁に背中を強打する。
「――がはっ!」
とてつもない衝撃を、腹部と背中にほぼ同時に受けた。内臓に衝撃が伝わる。横隔膜が麻痺する。
(――呼吸がっ!)
それでも刀は放さなかった。前を見ると、アスモデウスが大きく跳躍し、一輝に殴りかかろうと突っ込んでくる。
「終わりであるッ、黒衣ッ!」
一輝は見る。しっかりと敵の姿を見続ける。(――落ち付け)(――考えろ)(――大きく振りかぶっている)アスモデウスの攻撃軌道を予測し、一輝はぎりぎりで身を翻した。
ドオォォォンッ!
凄まじい轟音とともに、アスモデウスの鋼鉄の拳が地面に埋まる。一輝はかわしたが、破壊された石畳の礫を大量に被った。
(どうする?――)
一輝はとっさに前方に跳躍し、アスモデウスの金属の身体に飛びついた。両腕でしっかりと抱きついて固定する。もし離れて距離を取ったとしても、先ほどの技をくらったら今度こそ終わりだ。相手の身体からは(ウィィィィン)という不思議な機械音がする。ともかく今は呼吸することだった。何としても呼吸が必要だった。ひと呼吸でも、ふた呼吸でも。
(―――はっ、はっ、はっ)
ダメージのせいでで小さく浅くしか呼吸ができないが、なんとか一輝は酸素を取り込めた。やつに組みついてから五秒か六秒、攻撃を喰らうことは覚悟していたが、来ない。視線だけでちらりと確認する。どうやらやつは肘打ちを背中に落とそうとしているのだが、出来ずにいる。鎧の関節の駆動部分が限界のようだ。ならばこのまま後もう少し――
「必殺ッ!サンダー――」
やつが何か言おうとし。一輝は(まずいっ!)と両腕を放してアスモデウスから離れた。何が来るかは一輝にも分からないが、直感的に危険を感じた。
「――ボルトォッ!」
バリバリバリッ!
やつの鎧の表面に雷が奔った。一瞬だが全身が輝きに満ちた。それは魔術の雷攻撃に似た光だった。やつはそれを自分の身体に放った。
(……まさか、あれで自分は平気なのかっ!)
見るとやつは、その後も平気で動いていた。とくにダメージを感じさせる動きではない。ならばやはりあれはただの鉄鎧ではないのだ。いまだかつて見たこともないような何かだ。
少しずつ一輝の呼吸が戻ってきた。少しだがさっきより動ける余裕を感じる。だがまだ駄目だ。やつの兵装は正体不明だ。迂闊に攻撃できない。……正直、やつが何かを叫んでから攻撃してくるのが有難かった。何のつもりかは知らないが……
アスモデウスは駆けだした。一輝に向かって突っ込んでくる。なぜあんな重たい鎧を着てあれほど素早く動けるのか? 分からないが、とにかく構える。
アスモデウスは両の拳でパンチを次々と繰り出してきた。素早くスムーズな動きである。一輝は体捌きでかわすと、拳の振り終わりを狙ってアスモデウスに斬りつけた。
ぎゃりっ、
胴体を横薙ぎにしたが、表面に傷が入っただけだった。一輝の刀は魔力を帯びた魔道器である。かつて黒衣の長である玲花から与えられた特別な武器であった。一輝の腕前と合わせると、この刀なら鉄も妖魔も斬り裂ける。なのに切断できなかった。
アスモデウスは構わず攻撃を続けてくる。(――ならば関節部をっ!)と一輝は伸びきった左拳の関節部を狙って斬った、が、傷が入るだけで斬れない。さらにアスモデウスは攻撃を続けてくる。(――ならば眼をっ!)と、今度はカウンター気味に黄緑色に光る両眼部分を狙ったが、斬れない。不思議な作用で弾かれた。
「必殺ッ! ブーストアタックッ!」
(――またそれかっ!)
一輝は今度は大きく跳躍して身をかわした。やつは勢いそのままに付近の住居に突っ込み、壁を破壊して内部に突っ込んだ。大量の石埃が舞ってやつの姿は見えなくなった。
一輝は少し距離を取り、呼吸を整えることに専念する。だいぶ戻ってきた。腹部にズキリとした重い痛みはあるが、何とか戦える。
やがて舞い散る石埃が薄まると、やつの姿が確認できた。やつは両足を大きく開いて腰を落とし、伸ばした右腕に左手を添えて構えている。なんだ―――?
「波動砲、発射ッッッッ!」
ギュオオオオンッッッ! と、聞いたこともないような奇音が響くと、アスモデウスの右腕に付いている機械装置から藍色の光の波のようなものが発射された。
光が迫る――
一秒あるかないかの刹那の時、
一輝は気功を使って横に大きく飛んでいた。考えての行動ではない。身体が勝手に動いた。
藍色の光の波は一輝には当たらず、その後方にある石壁の二階建ての邸宅に命中した。直後に響く爆音。石材も、家具も、何もかもバラバラに吹っ飛び、さらには火災が発生する。
(――なんて威力だっ)
直撃したら終わりどころではない。至近距離の地面に撃ち込まれても終わりである。
「――一輝君っ!」
その時、一輝に向けて叫ぶような声が上がった。桜花である。桜花は両手を口の前で広げると、
「一輝君、あれは今の攻撃で間違いなく排熱するっ! 背中に排熱のための穴があるはず!」
(背中っ、排熱?)
意味を完全に理解したわけではない。だがしかし、背後に回り込むなら、やつが家屋の中にいる今がチャンスだ。
一輝は駆けだすと、体内で気脈を精製して気功の準備をする。やつは波動砲の構えを解くと、こちらに向けて歩みよってくる。やつが瓦礫の山を越えて壊れた家屋から出た。お互いが交錯する一瞬、一輝は刀を振り上げ迫り、アスモデウスは拳を振り上げた。
だが一輝は刀を振り下ろすことなく、気功を使って跳躍し、壊れた家屋の壁を蹴ってアスモデウスの背後に回った。アスモデウスの背後には巨大な箱のような機械部品が取り付けてあったが、その一部がふたを開けて開いていた。そこから熱による靄が排出されている。
一輝は構えると、その穴に渾身の力で刀の切っ先を突き込んだ。ばしゅと何かを破壊した感触の後に、柔らかいものを貫く感触が手元に伝わる。
「ぐばっ!」
アスモデウスからうめき声が漏れた。一輝はさらに刀を動かし、念入りにかき回す。アスモデウスからは苦痛の絶叫のようなものが何度も漏れた。排熱口からは大量に血が溢れ出ている。
やつの動きから生気が抜けると、一輝は差しこんでいた刀を抜き放った。やつはふらふらとよろめきながらこちらを振り向こうとし、
「……必…殺……ブース…ト……」
と口にしてがしゃあぁぁんッと地面に大の字になって倒れていった。それを見届ける一輝。痛む腹部を押えながら一応、アスモデウスに蹴りを入れて死亡を確認する。アスモデウスは動かなかった。どうやら倒したようだ。
「一輝君、無事かい? ――精彩君が兵舎の兵士たちを押えた。もう大丈夫――」
そう言う桜花の声を聞き、一輝はその場に崩れ落ちた。
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「一輝様っ!」
良く知っている男の声に呼ばれて、一輝は見る。するとそこには長い布で茶色い髪を包んでまとめている若い男の姿があった。カブツである。カブツは死霊山の補給係である。さまざまな局面で黒衣の支援をしてくれる。一輝とカブツは古い仲であり、過去さまざまな国を共に渡り歩いた。そのカブツが一輝のもとを訪れていた。
ここは城塞都市の兵舎の中である。一輝はいま打撲傷の治療のために、衛生兵に薬を塗ってもらっているところであった。城塞都市は陥落し、いまは雪の王の支配下となっている。領主はすでに正気に戻っており、その指示で街中の暖房機が集められ、燃やされている。その指揮は精彩が取っていた。
「お久しぶりです、一輝様。――なんでも苦戦されておられるとか? 玲花様が気にしておられましたぞ」
「……気にするだけじゃあ意味がない。援軍を寄こして欲しいと頼んだんだがな? もしかしてお前がそうなのか?」
いえいえ、とカブツはあわてて手を振り、
「死霊山の鎮魂に手間取っているので、少々遅れる、が、必ず行くとの玲花様の言葉を伝えに来ただけですよ。なんと玲花様ご本人が来てくださるようです。ただもう少し時間がかかるようで……」
「玲花様が?」
一輝は少なからず驚いた。玲花は死霊山の黒衣たちの主であり、滅多に死霊山を離れるお方ではない。――ならば今回、この雪の国で起きている危機はそれほど重大ということか。――当然である。国が一つ乗っ取られたのだ。
あとこれを……、とカブツは小さな袋包みを取りだした。受け取り、中を開けて見る。
そこにはくるくると巻かれて小さく納められた白い包帯がいくつも入っていた。だがその包帯、ただの包帯ではない。表面に特殊な呪がいくつも描かれている。霊峯山でしか作られていない特殊な包帯であった。黒衣は死霊山で負傷した折にはこれをよく使わせてもらった。これを巻くと特殊な呪のおかげで傷の治りが多少早くなる。しかし高価なものなので数にそう余裕は無い。
一輝はそれを取り出すと、自らの腹部の打撲箇所に巻いていった。これで数日すれば治る。どのみちまだ進軍は先の話だ。正規の兵は得たが、精彩のもとで軍団として運用するには組織図を組み直さなければならない。さらには訓練も必要であり、次の城塞都市を落とすための作戦も考える必要があり、それらは今すぐどうこう出来る話ではなかった。たとえ王を一刻も早く玉座に戻さねばならないとしても、まだ準備不足である。
(――さて、と)
一輝は立ち上がると、カブツを連れて兵舎を出る。桜花に話があったからだ。昨日の戦いの礼もしたかったが、他にも聞きたいことがあった。
寺院の傍にある市民公園。そこに桜花はいた。公園には子供たちや家族連れのすがたもあり、辺りには適度な静けさと喧騒が重なっている。
こんな戦乱の只中でも人々は生きている限り日常を過ごす。日常の風景と言うものは確かにあった。公園の中央には土の地面がむき出しの円形の広場がある。そこには多くのハトがいた。初老の老人がおり、なにやらハトたちに餌を撒いているのが見える。
桜花は公園のベンチに座り、両ひざを抱え込む姿勢でただ、ぼーっとそれらを眺めていた。
「……桜花」
一輝は桜花を見つけ、声をかける。だが桜花は答えない。呆けたようにじっとハトを眺めていた。
一輝は桜花の隣に腰掛け、言う。
「昨日は助かりました。あれがなければ、おれはやられていたかも知れません」
「……気にしなくていいよ、一輝君……」
桜花は答えるが、その言葉には元気がなかった。何かに悩んでいるかのようだった。
一輝は桜花の表情を覗き込むようにして、問う。
「どうしたんです?」
「……責任を感じちゃっているのさ~。多分わたしのせい。雪の国がこんなことになったのは、多分わたしのせいだ」
「……?」
どういうことだろう? と一輝は思う。桜花は憑かれものの治療法を持って、危険を顧みずにこの国に来た。さらには昨日の一輝とアスモデウスの戦いの折、間一髪のところで一輝を救ってくれた。
桜花は悩んでいるようだったが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。
「あの魔装機兵アスモデウスってやつね、あれの基礎技術を設計したのって、実はわたしなんだよ」
桜花は視線を落とし、言う。
「わたしが設計したものは、もちろん戦闘を目的としたものじゃあない。両足の不自由な人が自分でも歩けるよう、人体の外部に機械的なサポート装置を取り付けたらどうかなって開発していた。
ただ動力に気脈を使うと熱が溜まる。排熱が問題になる。今はまだいろいろ問題もあって研究途中だけど――研究費や大地の気脈の使用許可は順番性だからね。いろいろと書類や論文を提出し、許可が下りるまで何年も待たなければならない。木の国の研究所には多くの研究チームがあるから、予算の取り合いでなかなか研究は前に進まない。それで研究室を辞めて霊峯山に籠る者も多い」
「それでわたしは、研究費は溜まるまで待つとして、せめて大地の気脈の件だけでもどうにかならないかなって思ったんだ。なんとか大地の気脈を使わずに実験が出来ないかなって。
そこで思いついたのが人間の中にある、無駄な余剰分の気脈を空気中の水分を利用して回収し―――って、どこかで聞いたことがあるだろう? 一輝君」
一輝は頷く。それは桜花が地獄谷温泉で説明してくれたこと。あの暖房機のことだ。
なるほどそれで――と、一輝は納得した。桜花に聞きたかったことはそれであった。なぜ魔装機兵アスモデウスの弱点が、一目見ただけで分かったのか。
当時、研究チームには魔科学者クルトーが参加していたのだという。実験は出来ないが研究は続けられた。仮説と理論は構築されて行った。
「もう最悪だよ~。まさかこんなことになるなんて思わなかった。わたしは研究に夢中だった。クルトー君が研究所を辞めていった時も、深く考えようとはしなかった」
桜花は抱えた両ひざに顔を埋めて、言う。
「わたしが考え出したものって、結局まだ完成してない。誰一人救ってない。でも人を傷つけることには使われている。救うよりも何倍も多くの人を傷つけることに使われてる。わたしがあんなもの思いつかなかったら雪の国はこんなことにはならなかったのに。
―――ねえ一輝君、一輝君から見て科学ってどう見える? こんなもの無くても、実は人は困らないんだ。普通に生きていけるんだ。なのに―――」
桜花は泣きだしそうになっていた。いや実際、顔は見えないが泣いているのかもしれない。
一輝はしばし考え、答える。
「……昔、火の国で財布を摺られそうになったことがあります。相手は子供で、まだ十二歳かそこらでした。兵に引き渡して何日か牢で反省させようかと思ったのですが、見逃してくれ、どうしても自分は捕まるわけにはいかないのだと言う。話を聞き、その子供の家に行ってみると、そこには病気で動けぬ母親と、幼い妹が二人いた。その子供は必死になって家族を守っていた」
「火の国は戦乱が多い。その子供の父親は戦死したそうです。どこかに雇ってもらおうにも十二歳ではどうにもならず、彼は追い詰められてやむなく犯罪を犯したわけですが、行為自体は悪であっても、彼の性根や心持ちには同情の余地があった。おれは寺院に掛け合ってその家族を引き取ってもらい、その子は寺院の小間使いとして働くことになりました」
一輝は桜花に向けて、言う。
「技術に善悪はないと思います。どう使われたかということでもないと思います。すべては使用したその本人の性根や心持ち、考え方、そこで善悪という答えが決まると思います。――少なくとも桜花はこの雪の国を救いに来た。危険であることを承知の上で。雪の国の民は桜花に感謝していると思いますよ」
「―――うん、……そうだといいね」
ありがとう一輝君、と桜花は言う。声に少し元気が戻っていた。
「……ねえ、一輝君。一輝君はどのくらい生きているの? わたしと同じ百五十年くらい?」
「いえ、そろそろ四百九十年になります」
「すごっ、そんなに?」
桜花は驚く。それではこの黒衣は、地上のどの王や人々よりも長く生きている。
桜花は少し考えていた。
考え、言った。
「一輝君、実はさ~、わたし、今回の雪の国で起きたこと、本にしてみようと思ってるんだ。今回のことは本当にいい教訓になったからね。とくにわたしたちのような人間にとっては。だからそれを出版して世間に広めて、二度とこんなことが起こらないようにしようって。まあ売れなきゃ世間に広まらないから、実際よりちょっとくらいは脚色するかな。……もし売れたらそれで研究費用の穴埋めになるか、うん。なら他にも出したほうがいいかもね。
―――一輝君、今度木の国に来てくれない? 他の話も聞いときたいし。まだまだあるんでしょ? 今回みたいな話」
「……嫌ですよ、世間に広まるなんて恥ずかしい」
「え~、いいじゃない別に、減るもんじゃなし」
「おれにはお役目があります。簡単に遊びに行ける立場じゃあありません。死霊山の鎮魂もしなければならないので」
ぴしゃりと言われたが、桜花はしばし考え、粘る。
「じゃあさ、死霊山の鎮魂に役立ちそうな発明品を、それまでに作っとくよ。何十年かかるか分からないけど、それが出来たら呼ぶから。一輝君はその代金としてわたしに話をする。これならどう?」
「……」
それは、一輝を沈黙して考えさせるに十分な話であった。もともと黒衣は霊峯山で珍しい武器や道具を買い付けて戦いに利用している。それが木の国の研究所の作ったものを使えるというのは、悪い話ではない。
「……分かりました」
一輝は頷く。桜花は「約束よ。――一輝君用の黄鳥紙ちょうだい。いつか必ず文字が届くから。黄鳥紙の約束」
一輝は懐から黄鳥紙の束を取り出すと、それを何枚かより分けて桜花に渡した。