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麓に下りて数時間と歩くと集落が見えた。
山間にはそれなりの規模の集落が長く伸びており、人々が外で畑仕事をしたり洗濯をしたりと、いつもと変わらぬ日常を過ごしているように見えた。一輝たち三人はそのまま村へと入り中へと進む。村の建物は木造の茅葺屋根がほとんどで、石造りの立派な建屋は一つもない。ただひとつ面白いのは建物の構造である。建物はどれも二階建てになっており、一階の入り口のほかに二階にも入口がある。これはこの雪の国ならではの事情で、冬が来ると一階部分が雪で埋まってしまうのだ。もし一階建ての建物の中にいるとそのまま閉じ込められてしまう。
この村は畑のほかにも林檎などを栽培しているようだった。畑の収穫は自らが生きるためのものであり、林檎などの嗜好品を売った収入は村を維持するためのものなのだろう。
一輝たちは街を見まわりながら進み、やがて村の中央の開けた場所までくる。
するとそこでは騒ぎが起きていた。
動物の毛皮で作ったベストで身を包み、顔に山賊風のペイントをした男が……、
いや山賊が、四角い機械のようなものを両腕で抱えて持ち出そうとしていた。その右足首には中年の女性がすがりついており、「持っていかないで、お願いだから」と、感情が全く籠められていない口調で山賊を見上げながら繰り返し言っていた。
「うるせえぇっ! もう金目のものはこれしかねえじゃねえか! 盗るもんが他になくなっちまったんだからしょうがねえ、こんなものでもどっかで売れるかも知れねえしなぁ。やいっ、いつまでしがみついてるんだよこの憑かれものが! どうせすぐおめえらはすぐに諦めちまうじゃねえか!」
山賊はそう怒鳴ると、女性の足をふりほどいてこちらのほうに向けて歩み出した。その両腕には四角い機械が抱え込まれている。
(――あれが暖房機です、一輝殿)
精彩が小声で言ってくる。一輝は二人に隠れるように指示すると、自分も建物の陰に身を隠し、様子を見た。
山賊はそのまま谷を進んで岩山のふもとに向かっているようだ。一輝はしばらく様子を見ていたが、やがて、
「後を付けましょう」
と言った。
山賊が向かったのは険しい岩山に囲まれた窪地の、巨大な裂け目がある場所であった。広く大きく裂けた岩の肌は禿げていてコケ一つない。周囲は何やら硫黄のにおいが立ち込めて辺りに充満している。空気に湿気を感じるので、おそらく近くに温泉でも湧いているのだろう。
裂け目には見張りらしき男が二人、立ち並んでいる。そのどちらもが毛皮ベストにペイント顔といういでたちで、どこからどう見ても山賊だった。手にしている武器は鉄製の青竜刀だが、やたらとごちゃごちゃ飾りが憑いていた。暖房機を持った男はそのまま裂け目の中へと入っていく。
一輝はしばらく見ていたが、やがて二人にここで待つように言い、身を低くして裂け目の入口に近づいていく。ここには大きな岩がごろごろしており、ある程度までは簡単に近づけた。やがて見張りまで五メーターほどの距離まで近づいたのち、一輝は気功を使って俊足のダッシュを見せた。見張りの片方に一瞬で組みつき、相手の肩と首同士が密着して締まるよう締め上げる。こうすると首の頸動脈が圧迫されて脳への血流が止まり、人は一瞬で意識を失う。一秒か二秒、それで山賊の意識は落ちた。隣にいた山賊が、
「な、なんだてめえは!」
と驚いた顔をしつつも青竜刀を構え、こちらに向けた。一輝は一足飛びに剣の間合いの内側、相手の懐に飛び込んで組みつくと、相手の手首を掴んで回り込み、ひねり上げる。
「痛でてててっ!」
と山賊は刀を取り落とした。そのまま先ほどと同じように締め上げ、気絶させる。
一瞬で決着がついた。
この気功と言うのは黒衣に伝わる独特の技術である。本来外に向けて放つ気脈の力を体内に放ち、自らの神経節を刺激して爆発的な運動性能を得る。しかし身体への負担は軽いものではなく、よほど鍛えた人間でなければ使った瞬間、足が折れる。腕が外れる。
見張りを倒すと一輝は身をかがめ、深く大きい裂け目の中に侵入していく。すると奥にはちょっとした村と同じくらいの広さの空間が広がっていた。円形に広がりがあり、周囲には建屋がいくつも並んでいる。奥のほうにも何やら設備や建屋があり、そこからは湯気が昇っていた。中央には広場が広がっており、そこに毛皮を着た男たちが三十名ばかり集まってなにやら騒いでいる。そして広間にはいる入口には立て看板が立てており、文字が書いてあった。
[温泉盗賊、青竜団のアジト、地獄谷温泉]
「……」
一輝は身を低くしつつ声が聞こえる位置まで前進し、積まれていた窃盗品かガラクタか分からぬ山の陰で身を隠す。男たちの集団の大半は地面の上に胡坐をかいて座っているが、一人だけ虎皮模様の大きな椅子に座っている者がいた。その男はひじ掛けに腕をついてほほを支える姿勢で座りつつ、前方にある四角い機械を顎で示して、何故か怒っていた。
「だからなんでおめ―はこんなもん盗ってくるんだよっ! 売れるわけねぇじゃねぇか。少しは頭を使えよこの野郎!」
「でもお頭~」
「支給品なんだよこれは! 国からの支・給・品! 国に頼めばくれるもんを誰が買うっていうんだ、ええっ?」
「……でももう他に盗る物なんて、もう――」
「ばかやろう。それでも何か探して来るんだよ! もっと離れたとこ行きゃあ他にも村はあるだろが! なんとかしねぇと俺ら青竜団はやっていけねぇじゃあねえか。そうなったらこの温泉郷から出ていかなきゃならねぇだろうが! 入りたくねぇのか、温泉!」
入りたいです~、と、何やら情けない男の声がする。
彼らの一人を見つけた時は盗賊団としか思えなかったが、どうやら盗賊団のようである。雪の国は治安が悪い。貧しく人口も少ないので守備隊や警察の数も少ない。だから必然として法の抜け穴を使って生きている者も多く、彼らのような者たちはこの国ならどこにでもいた。
一輝はしばし目を閉じ、上を向く。そして、ふう、と一息吐くと、そのまま歩み出して彼らのもとへ歩み寄って行った。
「――ん?なんだてめぇは?」
お頭と呼ばれていた男が一輝の姿に気付き、声をかけてきた。一輝は「俺は鳳一輝と言うものだ」と返答する。
一輝は続ける。
「君たちは今、この国にとって必要な人間だ。大切な人材でもある。今から君たちはあるお方に仕えて、この国のために働く気はないか?」
「なに~っ!いきなり現れて何言ってんだおめー!」
「だから仕事をしないかと言っている。先ほどの話を聞いたが、このままでは食いつめるのだろう? 今から紹介するお方は大金持ちだ。かなりの額の報酬を約束する」
うるせえっ、とお頭と呼ばれる男は一輝に向けて叫ぶ。
「こちとら物心付いた時から山賊稼業よっ! 生まれてこの方、働いたことなんてねぇのが自慢だ。俺らはこの山の温泉山賊、青竜団よっ! 戦い、奪い、食う、入る、それしかやったことがねぇんだ!」
一輝はふっ、と薄く笑うと、それでいいと言った。それでいい。今はその技術が必要なのだと。
だがお頭は、山賊の流儀に人に仕えるなんて文言はねぇ、と突っぱねる。あるのは腕っ節。一番強い奴が頭になる、と。
「――ならば」
一輝は静かに言う。
「今日からは俺が温泉山賊、青竜団のお頭となる。俺がお前らの指揮を執る。―――いま、お頭の座をかけてお前に挑戦を挑む」
「なにっ!」
集まっている山賊たちの輪がざわめく。いきなり現れたこの黒ずくめの男はいったい何を言っているのか? 盗賊団のアジトに一人で乗り込んできてお頭に挑戦? しかし盗賊団の掟では挑戦されたら逃げてはいけないことになっている。それが誰のどんな挑戦でも。
にわかに場が騒然としたが、お頭は部下に命して場所を広く開けるよう指示した。二人を囲むよう輪のように広がる部下たち。お頭は拳を組んでぽきぽきと指を鳴らすと、椅子に立てかけてあった青竜刀を手に取り、立ち上がる。大柄な男であった。身長二メートルはあろうか。胸に着ている毛皮の服は前がはだけており、そこから大きく盛り上がった腹筋が見えている。腕も太い。一輝の倍はあろうか。
お頭はドシンドシンと音を立てて歩みながら一輝の目の前まで歩んでくると、青竜刀の切っ先をこちらに向けたまま言ってくる。
「青竜団じゃあ掟によって仲間内での殺生は禁じられてるが、おめぇは青竜団の一員じゃねぇ。殺されても文句は言うんじゃねぇぞ!」
ああ、文句は言わない、と一輝は言った。
二人は向き合い、お頭が構え、一輝はただそこに立っている。そのまましばし時が過ぎていき――、
一向に戦いが始まる様子はなかった。するとお頭が業を煮やしたのか怒鳴るように言った。
「なんでぇ、おめぇ!早く構えろよっ! そうじゃねえと始まらねぇだろうがっ!」
「構えている」
「そうじゃねぇって、もうーーーっ!」
お頭は何故か地団駄を踏んで怒る。
「早く武器出して構えろって言ってんだよ! その腰のものは飾りかっ!」
「――必要ない。打ち込んでこい」
一輝は涼しい顔をして言う。お頭はしばらく地団駄を踏んでいたが、やがて
「もうっ! どうなっても知らねえぞっ!」
と、大上段から全力で斬りかかってきた。一輝は眼にもとまらぬ速度でお頭に組みつき、青竜刀を奪い、その刃を横に向け、剣の腹で、
――ゴォォォンッ!
一輝は振り抜き、お頭の頭を平たい部分でぶっ叩いた。その衝撃で気絶するお頭。一輝は開始位置まで戻ると、青竜刀を手にしたまま静かに立つ。すぐに部下の山賊がお頭のもとに駆けより、ほほを叩いて起こす。お頭の頭にはたんこぶが出来ている。
「――ありゃ、なんだ?なんでおりゃこんなところで寝てんだ………、痛っ、痛てえ。何か頭が痛てえ。どうなったんだ? 開始前に寝ちまったのか? そういや最近は今後の青竜団のことで悩んでて、あんまり寝てなかったからな」
お頭はそう言うと身を起こし、目の前の一輝を見た。するとお頭は突然怒り出し、
「汚ねぇ! 汚ねぇぞおめえ! 寝ている間に俺の青竜刀を盗みやがったな~っ! 盗賊団から物を盗むとはふてぇ野郎だ! 成敗してくれる」
「ならば返す」
言って、一輝は青竜刀の柄を相手に向け、手渡した。お頭はしばらくぽかんとした表情をしていたが、やがて――
「……おめぇ、結構良い奴みてぇだな、おい。でも諦めるこった。お頭の座は譲らねぇ!」
言って、お頭は再び斬りかかった。一輝は再び眼にもとまらぬ速度でお頭に組みつき、青竜刀を奪い、その刃を横に向け、剣の腹で、
――ゴォォォンッ!
一輝は振り抜き、お頭の頭を平たい部分でぶっ叩いた。その衝撃で気絶するお頭。一輝は開始位置まで戻ると、青竜刀を手にしたまま静かに立つ。すぐに部下の山賊がお頭のもとに駆けより、ほほを叩いて起こす。お頭の頭のたんこぶが大きくなった。
「――ありゃ、なんだ? なんでおりゃこんなところで寝てんだ………、痛っ、痛てえ。何か頭が痛てえ。どうなったんだ? 開始前に寝ちまったのか? そういや最近は温泉の効能とか美肌作りのことで悩んでて、あんまり寝てなかったからな」
お頭はそう言うと身を起こし、目の前の一輝を見た。するとお頭は突然怒り出し、
「汚ねぇ! 汚ねぇぞおめえ! 寝ている間に俺の青竜刀を盗みやがったな~っ! 盗賊団から物を盗むとはふてぇ野郎だ! 成敗してくれる」
「ならば返す」
言って、一輝は青竜刀の柄を相手に向け、手渡した。お頭はしばらくぽかんとした表情をしていたが、やがて――
「……おめぇ、結構良い奴みてぇだな、おい。でも諦めるこった。お頭の座は譲らねぇ!」
言って、お頭は再び斬りかかった。一輝は再び眼にもとまらぬ速度でお頭に組みつき、青竜刀を奪い、その刃を横に向け、剣の腹で、
――ゴォォォンッ!
一輝は振り抜き、お頭の頭を平たい部分でぶっ叩いた。その衝撃で気絶するお頭。一輝は開始位置まで戻ると、青竜刀を手にしたまま静かに立つ。すぐに部下の山賊がお頭のもとに駆けより、ほほを叩いて起こす。お頭の頭のたんこぶがかなり大きくなった。
「――ありゃ、なんだ? なんでおりゃこんなところで寝てんだ………、痛っ、痛てえ。何か頭が痛てえ。どうなったんだ? 開始前に寝ちまったのか? そういや最近は………」
――ズドンっ!
お頭の顔面の真横にいきなり青竜刀が現れた。地面に生えている。かなり深々と。見るとそれはお頭自身の青竜刀であった。一輝が投げつけたものだ。
「……もう勘弁してくれないか」
一輝は言う。お頭と部下たちは声もない。刀がこんなに深々と土の地面に突き刺さるなどありえないことだった。
――さて、
と一輝は二人を呼びに行こうと、岩の裂け目のほうに踵を返す。するとそこにはすでに二人の姿があり、こちらに視線を向けていた。
だがそれだけではない。もう一人、見知らぬ女性が彼らの前に立ってこちらを見ていた。カラフルな配色のベレー帽を被ったカジュアルな姿の人物である。年のころは十七、八だろうか。眼には何やら特殊なゴーグルをかけており、両手には袋に入った大荷物を抱えている。荷物は背中にも背負っており、そちらは大きな道具箱のようだった。
その女性は一輝の姿をまじまじと見て、言ってくる。
「いたいた~、黒衣君だ~。いや~、あたしって黒衣を見るのは初めてなんだよね~、けっこう長く生きてるけど」
その女性はつかつかと一輝の目の前まで歩んでくると、「よいしょっと」と両手に抱えた大荷物を地面に下ろした。「さて」と女性は言い、手をパンパン叩くと、右手を一輝の前に差し出し――
「わたしは桜花。木の国の研究所の人間よ。雪の国との約束を守るためにこのゴーグルで王の気脈を追いかけてここに来た。約束通り治療法を持ってきたわ」
彼女はそう言った。
4
温泉盗賊、青竜団のお頭である一輝は地獄谷温泉の建屋の中にいた。中には粗末な木製の長机と椅子が備えられており、そこには四人の人間が座っている。一輝、精彩、白陽、桜花である。扉をノックする音がして、一輝はどうぞと答えた。すると上半身に派手な毛皮のベストを着込んで顔面に厳ついペイントをした大男がお盆を片手に入ってきた。
大男は長机の上に四つ、お茶の入った湯のみを置いていく。「どうも」、と一輝が声をかけるとペイント男は礼儀正しく一礼して退室した。
桜花は湯気の出ている湯呑を口元に運ぶと、そのままズズッと音を立てて呑む。だがすぐに「熱っ!」と叫んで湯呑を長机に戻した。猫舌なのだろうか? 四つの湯呑からはまだ湯気が上がっている。
――さて
と桜花は呟き、両手を机の上で組み合わせて言う。
「何から聞きたい? 何でも答えるけど?」
桜花は気楽な口調で皆に向けて言った。一輝は、ただ黙って桜花を見ていた。白陽もそれは同じ。しばらくして、
「……あの、それでは――」
と精彩が桜花に質問を始めた。
「あれは何なのでしょうか? あの……憑きものと言う病は? どういう現象なのでしょうか?」
「簡単に言えば体内に呪を仕込まれたんだよね~。生体魔科学の分野だけどさ」
桜花は答える。
「彼らは何らかの機械を使って体内の大事なところ、霊魂の器の生体機能部分に弱く小さな呪を仕込まれたんだよ。その位置は生命活動に関する気脈が常に流れてて普通は呪を仕込むことが出来ない。でもされてた。
そのせいで生命活動用の気脈が流れる水位が、器となる霊魂内で呪の焼き付けられた位置まで上がると呪の効果が活性化し、本来は弱く小さな呪に過ぎない力が強くなってしまうんだよ。
呪に刻まれていた命令の種類は(クルトーたちへの絶対服従)(いつもの通り活動をせよ)(他人に無関心になり互いに争わない)(雪の王たちには従うな)(三年目の春が始まったら開始せよ)の五つ。普通はこんな複雑な命令は書き込めないんだけど、時間をかけてじっくりやれば別。こりゃ相当時間かけてるわね~」
桜花は言い終わり、組んだ両手を頭の後ろに回して反りかえり、背もたれに身を預けた。それを見て精彩は困ったような表情を見せる。桜花は説明を終えた気になっている。だが精彩には桜花が言っていることの意味がさっぱりわからない。
「……あの、出来ればもう少し分かりやすく説明を――」
「ん?」
桜花は背もたれにもたれかかったまま精彩のほうに顔を向け、
「どういう現象かって聞くからそれを答えたんだけど? ……でもわたしもまだ全てを説明することは出来ないんだよね~、なにせこの国で起きたことの内容を知らないから。
……だからこうしない? まずあなたがこの国で起きたことをわたしに説明する。次にわたしが全てを整合して分かりやすく説明する。これでどう?」
桜花はそう言い、体重移動で椅子をふらふら揺らし始めた。精彩はそれを見、分かりましたと頷く。
「あとそれと――」
桜花は付け加えて言う。
「黒衣君はあいつらに命令して付近にいる憑いている人たちの身柄を攫わせてくんない?治療の実演がしたいから。二、三人でいいよ」
そう桜花に言われ、一輝は部下に命令する。それが終わると今度は精彩が、この国で起きた長い話を語った。桜花はそれを黙って聞いている。やがて精彩の話が終わると桜花は、
「その暖房機っての、一個持って来てくんない?」
と言った。幸いウチのアジトには一つ、盗んだばかりの暖房機がある。一輝の指示で部屋に持ち込まれたそれは長机の上に置かれ、桜花はそれを「……う~ん」と呟きながら前から後ろから眺めまわしていた。
やがて――
「第七位で辞めてどこ行ったのかのかと思ったら、こんなあくどいこと初めてたんだね~クルトー君は。……まあいいや。とりあえず中を見て確認しようか」
桜花は自らが背負って持ってきた大きな道具箱を取り出すと、長机の上に置いて両開きに開く。そこには凄まじい数の工具類が納められていた。見ただけではどれだけの数なのか見当もつかない。
桜花は工具を手に取ると、流れるような手さばきで暖房機を解体していく。その動きには澱みがなく、迷いがない。みるみるうちに暖房機は解体されて、内部が丸裸になった。
桜花はさらに解体し、見えない部分の部品も確認する。しばらくじっくり確認していた桜花はやがて椅子に背中からどかっともたれかかると、なるほどね、と上を向いて呟いた。
桜花は言う。
「ここが雪の国だから狙われたんだね~、これは。よくこんな蟻地獄みたいなこと思いつくな~、クルトー君は」
そして、精彩のほうに向き、「――ねえ」と、
「この国ってさ~、ひょっとして魔術師の数が数十年来、異様に少ないんじゃないの? もしくは全くいないか。人体が内部で作りだす生態的な気脈の力と、それが流れる入れ物となる魂、そして魔力。そういった日常では全く必要のない知識を伝える人と言うか教室と言うか……、それがない。でも精彩君は魔術師なんでしょ? 間違いなく」
「え?」
精彩は驚く。自分は、自分のことを雪の国の将軍としか説明していない。一輝にも誰にも、まだ言ってないし魔法を使うところを見せてもいない。それなのになぜこの桜花と言う少女は、自分が魔法を使えると気付いたのか?
少なからず驚きつつも、精彩は答える。
「……確かにわたしは魔法が使えます。昔この国に居を構えていたさる魔術師殿に教えを乞うて習ったのです。わたしは、専門は軍の指揮と剣の技なので魔術については詳しくはありませんが、簡単な明かりを灯す魔法くらいなら使えます。……でももう、教えを請うたその方もこの国にはいない。
――そうですね、この国には魔術師が確かにいません。探せばどこかに隠れ住んで魔術の研究などしている者などはいるかも知れませんが、公式にはわたし一人ということになるでしょう。
……その、白陽様におかれましては大変失礼なお話なのですが、この雪の国はあまりに貧しく、先の見えない状態が続くばかりなので、優秀な人材は国を見限り、他国へと移ってしまうのです。この国で苦労しながら生活するよりはそのほうが良い。少なくとも一芸に秀でているなら」
精彩は先ほどから、白陽のほうをちらりちらりと気にしながら、言いにくそうに言う。だが白陽は気にしていないのか黙ったままだった。
それよりも――
と、精彩は桜花に問う。どうして自分が魔術師でもあると分かったのか? それを自分が伝えた覚えはない。
「それはこの場にいるからさ~」
と、桜花は天井を見たまま答える。
「精彩君は憑かれなかった。白陽様も憑かれなかった。――まあ白陽様は例にならないかな。女神アフレイア様の強大な神通力で体内を満たされているから、こんなセコい機械なんて通じるわけがない。だけど精彩君がなんで無事だったのか? それは魔術師だったからさ。魔術師は体内に自然発生する余剰の気脈を、無駄にすることなく魔力に変える。日常的にそんなことを繰り返す。すると人体というものは必然として、本能的に、その行為自体に慣れていく。順応していく。ほんの少しずつだけど余剰分が消費されるから余剰を新たに作りださなければと、じわじわ、ほんの少しずつ気脈の回復が早くなる。溜められる魔力の容量が大きくなる。まあこれは先天的な要素のほうが、鍛錬で得られる要素より遥かに大きいんだけど。
将軍はこの国の他の人間とは条件が違ったということさ。一般人より余剰分の気脈の回復力が強かった。だから暖房機による呪の焼き付けが効かなかった。この機械の調整は気脈減衰症にならないよう、ぎりぎりの微妙なものだからね~。一般人と条件の違う精彩君には効かないのが当然、てこと」
さて、と桜花は足をぷらぷら揺らしながら話す。
「どこから話せばいいのかな~。……まあ、まずは全員の知識の前提条件を同じにしておこうか。まず第一に、わたしは生体魔科学者のクルトーを知っている。授業で講義してやったこともある。彼は水の国から来た学生で、魔力が非常に高かった。水の国にはそういうのが生まれやすいからね。彼は研究所では第七位の生体魔学者。わたしは第三位の単なる科学者。彼は三年前まで、確かに木の国の研究所に在籍していた。まあ、出来のいい生徒だったかな」
第三位、と聞いて一輝も精彩も驚いた。第三位となると大臣の一つ下である。つまり国家の重鎮であり、かなり上位の女神の祝福を受けている。ほぼ完全に近い不老不死と共に相当な特権をも与えられているだろう。
驚く二人を余所に、桜花は続ける。
「まず分かりやすく説明するためには道具を用意して欲しいかな~。ガラスコップ四つと水差し持って来て。――ああ水もちゃんと入れといて」
言われて、一輝は青竜団に指示を出す。しばらくするとそれは運ばれ、机の上に並べられた。
「さてと」
桜花は四つのガラスコップに水を入れていく。一つは多めに、一つは適度に、一つは少なめに、そして最後にはかなりに少なめにと。
それを眺めつつ、桜花は説明を始める。
「このガラスコップは、気脈の器である人間の魂と思ってくれたまえ。気脈は人体の中で絶え間なく生産され続ける。それは器となる魂の中に循環している。気脈の量は生命活動により消費されて減るが、基本的には消費より生産のほうが早い。魔法やら何やらで無茶苦茶な消費をしなければね。一般人が普通に生活する分には体内にある気脈の量は、このいっぱいに水が入った一つ目のコップの状態にある。そこまではいい?」
言われて、一輝と精彩が頷く。
それを確認し、桜花は続ける。
「そしてこの適度に水が入った二つ目のコップだ。この量が魂と気脈と人体のバランスが一番調度いいところ。何の問題もなく、何の不都合もない。でも言い換えればちょっとの変化で余裕がないところに追い込まれてしまう水位でもある。特にこの余剰分の下の部分の魂は繊細だからね。常に生命活動に関係してくる部分だ。気脈の水位が下がると、この三つ目のコップのようにその繊細な部分が露出してしまう。心と身体のバランスを司るところが見えてしまう。
……まあ普通はそんなこと何でもないんだ。どうせ気脈は回復するし、ほっとけばすぐ隠れる。言ってみれば余剰分はギアで言う遊び、人生で言うヒマ、何かあったときの余力ってわけだ。そして三つ目のコップは気脈の力を使いすぎたけど、まあまだ無理が効くところだ。魔術師が限界を越えて魔法を使う。黒衣が限界を越えて気脈の力を使う。体内の気脈を振り絞って。――それをやったら三つ目のコップになるわけだけど、それで死んだりするわけじゃない。人間の身体は少々の無理が効く。ただいつもよりほんの少し疲労を感じるか、あるいはかなり疲れたり弱ったりした状態であるわけだ」
桜花は説明を続ける。
「そして四つ目のコップ。これは生命活動に支障をきたすほどに気脈の力が吸い上げられた魂の状態。この状態の人間は明らかに身体に異変が起き始める。無気力、上の空、体力低下、食欲減衰など。気脈の回復量も極端に落ちてしまい、放っておいても治らない場合が多い。これが気脈減衰症だ。こうなると治療が必要になる。薬物注射で気脈の回復量をあげ、気脈の回復に良い食事療法をする必要がある。じゃないと何年も寝たきりだ。魂の中に再び気脈が満ちるまで」
――さて、と桜花は一息つき、
「この暖房機についてだけど、クルトーは二つの嘘をついている。これは暖房機なんかじゃない。暖かい風が出るのは呪の焼き付け装置が熱を持ち、それを排熱する必要があるからだ。そしてこれを稼働するために必要な気脈のエネルギーは余剰分を越えている。使えば適度なコップの下、三つ目のコップになってしまう。でも四つ目のコップにまでは届かないようにも調整されている。本当に微妙で繊細な調整だけど」
「つまりこれは、周囲の人間から空気中の水分を利用して気脈の力を吸い取りつつ、同時に呪を空気中の水分に混ぜて、吸い込んだ人間の魂の大事な部分に、人間を操る呪を焼き付ける装置なんだ。
でも普通は出来ない。人間の魂の大事な部分は気脈で覆われて隠れている。少々減ったところで気脈はすぐに自然回復する。でもこの装置、冬の間の三ヶ月間、いや下手すればもっと長く付けっ放しだったんだよね? その間はずっと魂の大事なところが露出している。呪はじわじわと焼き付けられていく」
「この呪にかけられた効果は五つ。(クルトーたちへの絶対服従)(いつもの通り活動をせよ)(他人に無関心になり互いに争わない)(雪の王たちには従うな)(三年目の春が始まったら開始せよ)……普通はこんな複雑なもの、簡単に書き込めるはずがない。一年か二年、ゆっくり時間をかけて実行すれば別だけど。―――そう、その何年かを雪の国は彼らに与えてしまったのよね? たっぷりの予算付きで」
「でも人体にはそれぞれ個人差がある。魂や気脈の質や量にも差がある。二年目で憑きものが現れたのはそれが原因。まだ発症前のはずなのに、ある程度の人間には一部の効果が表面に現れてしまったりした。歪な形で」
「そして発症しなかった人間がいた理由はさっき話した通り。この呪は複雑すぎて、限定的過ぎて、ちょっとでも条件が合わないと焼き付けられない。あとは、当たり前だけど暖房機を使わなかった人々も発症してない。ここの山賊が発症してないのはそのせいね。彼らは温泉があるから暖房機なんて必要なかった。……まあ、くれと言ってももらえなかったでしょうけど」
そこまで言うと、桜花は長机の上にある湯呑に手を付けた。そして今度は「んっ!、おいし~い!」と、いっきに全て呑みほした。
そして「はい、これで授業は終わりっ!」とはきはきした声で言い、湯呑をことりと長机の上に戻す。それを見て一輝も茶に手を付けて、ぬるくなったそれを一息に飲み干すと、桜花に質問した。
「それでは桜花様、治療法の件ですが……」
「桜花、でいいよ黒衣君。……しかしなんだね、こっちも黒衣君じゃ呼びにくいや。黒衣君は名前、なんて言うの?」
「一輝です。鳳一輝」
「ふ~ん、おおとり、ねえ。――変わった性だ。一輝君って呼んでいい?」
はい、と一輝は答え、問う。
「では桜花、どういう方法でこの病を治療すればいいのですか? その方法如何によって、今後のわれわれの行動も決まってきます」
「分かってるよ~一輝君。だから最初に実演するって言ったのさ~。さて、彼らの人攫いもそろそろじゃないかな? ――おっ、来た来た」
桜花は窓の外を見て、言う。一輝も振り返り、見る。すると地獄谷温泉の中央広場には数名の山賊がおり、その中心には三名の村人が手足を縛られて確保されようとしているところであった。桜花は椅子を蹴って立ち上がり、皆に向けて言う。
「それじゃ早速、憑きもの退治といきますか」
広間には三人の村人が、動けぬよう全身を縛られて横にされていた。周囲には大勢の山賊たちがいる。一輝たちは向かうが、途中で桜花は、
「一輝君、わたしが持ってきた大きな袋、あれを持って来てくれないか?」
と言う。一輝は大袋を取りに行って戻ると、広場では桜花が住民たちの身体に障り、いろいろと調べているところだった。憑かれた住民たちは、早く解放するよう言葉を出してはいるのだが、身体は特に暴れる様子もない。
一輝が桜花のそばに大袋を置くと、桜花は大袋の口を縛るひもを緩めて中身を取り出す。彼女が手にしているのは魔道銃のような形をしていた。だが魔道銃に比べるとかなり小さい。本当に指先だけでつまむ程度の大きさである。
桜花は皆に向けて説明を始める。
「いいかい、これはこうやって使うんだ。まずこの握りの部分の底板は開くようになっている。開けると、このようにひもが出てくる。そのひもが地面に接している状態で……」
桜花は縛られている住民の顔を上向けると、その口に銃のようなものの銃口部分を突っ込んだ。
「こうやって患者の口の中に銃口を入れて、側面についているつまみを一回転回す。そしてトリガーを引く。
――バーンっ!」
桜花は銃声のような音を口にしたが、実際には何の音もしなかった。だたトリガーを引いた途端に先ほど回したつまみは、ジジジジジ、と音を立てて戻りだした。垂らしているひもも僅かだが薄ぼんやりと光を放ている。やがて一分ほどでつまみが完全に戻りきると、
「はい、治療完了!」
と桜花は言った。
「この治療銃は、木の国に連れて行った患者に焼き付けられていた呪を解析し、それを消し去る呪を流し込むよう作ってある。クルトー君は呪の焼き付けのために患者の魂を三つ目のコップの状態にし続けなきゃならなかったけど、消すときは簡単、患者の気脈に直接流し込んでやればいいんだ。体内の気脈は循環しているからね。ちゃんと消し去る相手の呪に行き渡る」
見ると、確かに治療された住人はもがき、暴れ始めた。ここはどこか? 山賊に攫われたのかと怯えている。一輝は山賊に向け、その住民を建屋につれていくよう指示した。住民は山賊二人に両脇を抱えられ「ひいいいいっ!」と悲鳴を上げたが、そのままずるずると引きずられて行った。
桜花は言う。
「クルトー君は人の体内にある気脈を利用していたから、パワーが足りずに焼き付けに時間がかかった。でもこの治療銃は大地の気脈を吸い上げて利用するから短時間ですぐ効果が出るよ。それを今回は三百個持ってきた。
大変だったよ~。まあこれじゃ数が全然足りないけど、そこはご安心。研究所からは次々作って送ってもらう手はずになってるから」
じゃあ、はいっと桜花は近くの山賊に向けて、「他の二人にも同じようにやっといて」と言い、治療銃を手渡した。山賊は戸惑ったようだが、一輝がやるように命じると、すぐに見様見真似で治療を始めた。
「どう?」
桜花は聞いてくる。
「本当はもっと早くに出来てはいたんだけどね~。でもこれほんのちょっぴりだけど大地の気脈の力を使っちゃうから、改良に改良を重ねてものすごく省エネタイプにしてある。数もそれなりに揃えてからじゃないといけなかったし、それで時間がかかっちゃった」
「大地の気脈?」
えっ? と、精彩があわてて聞く。
「あの……、そんなものを使って本当によろしいんですか? 大地の気脈は実りの力、妖魔を防ぐ力のはず。それを減らしてしまっては……」
大丈夫大丈夫っ! と桜花は手をひらひらさせて答える。
「言ったでしょ? 省エネタイプだって。ちゃんとその辺も計算して、妖魔なんかが湧かないくらいの消費量には抑えてあるさ~。でも今年の秋の実りには多少の影響が出るかもね~。ここは雪の国だし、冬の備えが足りない村々や住民には、緊急に国からの支援が必要かな? だから一刻も早く王を玉座に戻して、女神アフレイア様から送られてくる力を受け取れるようにしなくちゃいけない。こんな気脈の歪んだ状態のままで長くいると、いずれ本当に妖魔が湧いちゃうよ?」
桜花はそう告げ、一輝に向けて、
「さあ、今度は山賊全員に治療銃を渡して村人たちの治療をさせてくるんだ。――あと村長とか村の顔役には事情を話してここに連れてきたほうがいいだろうね。……こいつらじゃ流石にそれば無理だろうから一輝君も行ったほうがいいよ。あと見つけた暖房機はぶっ壊しておいて」
一輝は頷き、次々と山賊たちに指示を出す。それを見て、精彩は思う。
苦しい道のりだった。どうすれば良いのか道が見えずにいた。王と共に二人、もがいてあがいて、絶望に耐える旅路であった。だがそこにようやく道が見えた。
……分かっている。本当に苦しいのはこれからかもしれない。しかし道は見えた。ようやく見えたのだ。
精彩はうれしくて泣きたい気持ちになった。しかし隣に佇む白陽をみて、気持ちを抑える。このお方のいる前では涙は見せられない。不安を感じさせるような素振りを見せるわけにはいかない。今、このお方のもとにはわたししかいないのだから――
山賊の次に一輝たちは、人口200人ほどの村の解放を目指した。最初は皆で一人ずつ捕まえて治療銃で治して回っていたが、青竜団ら山賊に解放された村人は、老若男女「ひぃぃぃぃぃっ!お助けーー!」と、暴れるは逃げるはで散々だった。
そのようなことを繰り返すのは手間がかかって仕方がないので、青竜団には村人の確保だけに専念してもらい、治療は桜花、精彩、一輝が主に行うこととなった。そのうちに村の村長が治療されると後は簡単で、皆をすぐに落ち着かせることが出来た。
やがて夜になり、事情を詳しく説明すると、
「俺たちにも協力させてください!」
と、十数人の若者が手を上げてくれた。無論農民なので戦力としては問題外ではあるが、いま欲しいのは戦力ではなく人手である。今回のように人海戦術で村々を解放して回れば、いずれは協力してくれる者たちも必要な人数に達するだろう。
そう思いつつ、一輝は一軒の農家に泊めてもらい、眠りについた。