1. 食い逃げ邪神の子
「ごちそうさま。じゃ、よろしく」
そう言って、創造の魔法を振るった異界の邪神は去った。
僕はこの世界の人間ではない。と言うより、次元を隔てて存在するどの世界の人間でもない。貪っていた悠久の惰眠を中断され、狭苦しい召喚陣の内側に呪縛されるのを嫌った異界の邪神が身代わりとして創造した人間的なものだ。邪神は召喚術の焦点を僕に擦り付けて束縛を脱し、霊的上位存在を縛る目的で描かれた召喚陣は僕に対して意味を為さない。僕は邪神でも悪魔でもなく、人間程度の存在だからだ。
「どうして陣から出られる!?」
「束縛できていないぞ!」
僕は原住蛮族の言語を理解はしていない。やかましい叫び声を上げる面相からの推測だ。邪神が創ったのは使徒に望む理想の肉体と精神。そして創造の余韻、絞り粕めいた魔力が僕に残留している。人間であれば英雄や勇者と呼ばれる強度の存在だ。
もっと大きな力を遺されて天使もしくは悪魔と称される性質を持っていたなら、僕は召喚陣に囚われ外へ出られなかっただろう。より小さな力しかなかったなら、召喚陣を用いるまでもなく幽閉なり監禁されていただろう。
どうにも定命の者の値打ちが安い世界のようだ。召喚術の代償として支払われた命が五千を超えている。召喚陣の上で流された夥しい血と苦悶の痕跡を感じ取れる。魔術一つにこれほどの代償を支払う手合いの目的が善いものである可能性はまずない。実際、欲に塗れた呼び掛けに応えたのは紛れもない異界の邪神だ。供物をぺろりと舐め取ったら身代わりを立てて帰る食い逃げ邪神だったがね。
邪神には『よろしく』としか言われていない。どうやら僕は定命の身だ。命が一つしかないとなると、よほど大事に使わなくてはなあ。まずは間違いなく敵性生物であろう、召喚陣に関わる者どもの命を刈り取ろう。
何せ供物として僕を用いれば千の命の代わりになる。邪神を望んだ召喚者が僕に満足しない場合、生贄としての利用を目論む事は疑いない。そして僕を見る蛮族の眼と来たら請願や服従を望む者の眼ではない。支配者気取りの豚だ。
まあ、僕は自由だ。
目に付いた現住蛮族全てに詮をして死に追い遣った。父にして母たる邪神の薫陶厚く、僕は異物の創造が大得意だ。蛮族は身体構造を無防備に晒し過ぎている。血管や心臓に詮をしてもいいし、内臓同士を繋ぐ管を塞いでやってもいい。燐光を放つ剣を振るう蛮族の腕に詮をしてやれば萎びた手は柄を握れず、魔術師の類は念の為に脳の血管を複数塞いで破裂させた。殺到して来る蛮族を相手にするのが面倒になって地上に致死毒を噴出させもした。
終わってみれば随分と命を刈っていた。刈った命を雑に咀嚼しながら処理したとは言え、僕でも疲れた。体力と気力の限界量は人間としてなら英雄と呼ばれ得る域に達しているが、無制限ではない。千の命で創られた僕が何百もの命を一度に食い尽くせば流石に酔う。適切な器に蓄えておきたい。
召喚陣の設置された地下へと侵入する蛮族が途絶えた後、もう一仕事と己に鞭打って魔法陣を書き換えた。蛮族の術具と生体から摘出した素材を潤沢に用いて鶏卵大の宝珠を創造した。何にでも形を変え、より多くの命を集めればもっと大きく強くなる。そんな性質を与えた銀の宝珠を。細々とした玩具を創るよりもずっといい考えだと思えば、自然と僕自身の笑声が響いた。