十七話《意識》
「えーっと、ハル? 結婚……って」
「ショウ君っ……私の裸、見たじゃないですか」
「うん……」
「裸を見られたら、その人と結婚するってお母さんが言ってましたよ?」
……まぁ、間違ってはないけれどさぁっ!
「えーっとハル。僕たちはまだ九歳だ」
「はい」
「結婚はまだ出来ない」
「え、そうなんですか?」
この世界では何歳から結婚できるのか知らないけれど、九歳というのはさすがにないだろう。
「それに、結婚というのは、好きな人とするものだ。ハル」
「私は、ショウ君のこと好きですよ?」
「え……あ、うん」
ちょっとドキッとしてしまった。
でもこれは友達として……という意味だろう。
「そういう意味じゃなくてだな……ハル。友達としてじゃなくて」
「……?」
「まぁ、まだそのことが分からないなら、結婚は出来ないよ。ハル」
「ショウ君は……私のこと、嫌いなんですか?」
「そんなことあるか。大好きに決まってるだろ?」
あ、これも友達としてだね。うん。
「そ、そうなんですねっ」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、私がショウ君と、結婚出来る歳になったら! 結婚して下さい!」
「まだハルが、僕のことが好きだったらね」
「私が、ショウ君のこと嫌いになると思いますかっ?」
「さぁ?」
そんなことは分からない。
誰にも分かる訳もない。
人の感情なんて、それくらい不安定なのだ。
「なりませんよ……絶対に」
「え?」
「なりませんっ! 私は、ショウ君のこと、嫌いになったりしません!」
そう言ってハルは風呂の扉を思い切り開けた。
「あ……」
「ひゃっ⁉︎」
僕は急いで後ろを振り向く。
その間に、ハルはもう一度風呂の中に入っていった。
「えーっと、ごめんなさい。ショウ君っ」
「いや、僕こそ……」
「でも私、本当にショウ君のこと、嫌いになりませんから……」
「うん……」
数秒、沈黙が続く。
「じゃあ僕は帰るよ。ハル、お休み」
「はい、ショウ君も、お休みなさい」
さて、時間が相当経ってしまったけど、男用の浴場に行くとしよう。
それにしても……ハルが、僕のことをあそこまで思っていてくれたなんて、なんだか嬉しいな。
「へへ……」
つい変ににやけてしまう。
いけない、いけない。これじゃあ変態みたいだ。
「お主、何をにやけている?」
「へ……?」
すると、身体の大きい筋肉だけで構成されているかのような男が、僕にそう話しかけてきた。
「その小さき身体、ふむふむなるほど、お主が噂のルーキーか。二年間崖を登り続けたという」
「あの……貴方は?」
「おお、忘れていた。俺の名はレフース。お前と同じガレイハ師匠の弟子だ」
そう言って厳つい顔でニコリと笑う。
うん、悪い人ではなさそうだ。
「僕はショウと言います。よろしくお願いします」
「うむ、それにしてもお主はこんなところで何をしているんだ? 変ににやけたりもして、調子が悪いのなら、タピッスの元に連れて行くが」
「タピッス?」
「お前も会っただろ? 回復役の女だ」
「あぁ、あの」
あの人にはお世話になったものだ。
僕が崖から落ちるたびにやけにニヤニヤしていたけど……。
「あ、でも良いですよ。僕、お風呂に向かっていただけなんです」
「ほお、お風呂にか。俺も丁度向かっていたところだ。せっかくだし、友好を深めるという意味でも、一緒にどうだ?」
「うーん……なるほど、はい。喜んで」
「よし、ならお風呂までダッシュだ!」
言ってレフースさんは一人で走っていった。
「一人で走って行くなんて子供みたいた人だな……」
あれ? 子供……?
僕って九歳だよな。
もしかして、僕が喜ぶかと思ってこんなことを……?
あー、これはやってしまった。
無駄にレフースさんに恥をかかせてしまった。
よし、走るか。
僕も、もう精神年齢は大人だけれど、大人気なく、子供のように走ってやろうじゃないか。
よーい……ドン!
頭でそんな懐かしいことを言いながら、僕は走り出した。
「負けませんよ? レフースさん」
「おぉ、お主、遅いかと思ったら……まさか手を抜いていたのか?」
「えぇ、僕、早いですし」
「ふっ、ルーキーに負けるものか」
そして後少しで男用の浴場にたどり着く、つまりゴール直前で、僕はスピードを緩めた。
勝ってしまいそうだったからだ。
良い感じに調整して互角にするとしよう。
この勝負はレフースさんから挑んできた勝負、流石に子供である僕には負けさせられないだろう。
かといって、僕にもプライドはある。
ということで、互角にもちこむのだ。
それから、狙い通り僕たちは同じタイミングで浴場にたどり着いた。
つまり互角にすることに成功したのだ。
「はぁはぁ、やるなぁ。ショウ」
「そ、そちらこそ、レフースさん」
「さて……と、良い汗もかいたことだ。ゆっくり風呂に入るとしよう」
「そうですね」
「あぁ……暖かいですねぇ」
「んあぁ、修行の疲れが癒される」
僕たちはお風呂に浸かりながら、そんな他愛のないことを話していた。
「そういえば、ショウ」
「なんですか? レフースさん」
「お前、なぜにやけていたんだ?」
「えーっと…………あはは」
適当に笑って誤魔化そう。
あっはっはっはっ!
「お前はそういえば、ハルと中々仲が良いと聞く。もしや、ハルと何かあったのか?」
「え……そ、そんなわけないじゃないですかー」
「棒読みになっとるぞ。なんだぁ? もしかしてお前、ハルに惚れているのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
そんなことはないと思うけれど……。
僕は別にハルに恋愛感情を抱いている訳では……。
「男が女のことを考え、頬が緩むということは即ち、惚れているのだぞ? お前はハルのことを考えてにやけていたんだろ? つまり、お前はハルのことが好きなのだ」
「僕が……ハルのことを?」
……恋愛なんて、したこと無いから分からない。
でも、そうなのか?
僕がハルに向けている感情は、恋愛感情なのか?
「はっはっは、お前はまだ若いから分からんだろうなぁ。だがいずれ分かる。人が人を好きになるなんてことは、意外と単純なのだからな」
本当にいずれ、分かるのだろうか?
消しゴムにしか興味を示さなかった、僕みたいな人間が、恋だの愛だのという感情を、理解することができるのだろうか?
「レフースさんは、彼女とかいるんですか?」
「いたな」
「いた、ということは……」
「あぁ死んだよ。優しい女だった」
レフースさんは寂しそうにそう言う。
「さっきはあんなことを言ったが、俺も恋愛には疎くてなぁ……その女と恋人になるまで、随分時間がかかったものだ。お陰で、恋人としては一年程度しか過ごせなかった」
「……そうだったんですか」
「だからこそ、若いお前達には早く幸せになって欲しいものだ。人なんて、いついなくなるのか分からないからな。時間は決して無限じゃない」
「……無限じゃない」
重たい言葉だ。
「そうだ。だから、もし誰かを好きになったら、悩まずに好きだと言え。そうしなければ、後悔する」
「それも……レフースさんの話ですか?」
「まぁな。恋人になったのは良いものの、最後まで素直に好きだとは言えなかったんだ。全く、今になっても後悔している」
「……」
レフースさん……とってもその恋人が好きだったんだろうな。
「ふっ、暗い雰囲気にしてしまったな。まあつまり俺が言いたいことは、後悔はするなよ……ということだ。やって後悔しない選択肢を選べ」
「はい!」
「そうだ、暗い話にしたお礼だ。俺と彼女のイチャラブ話でも聞かせてやろうか?」
ニヤニヤしながらレフースさんは言う。
「いりません」
僕はニコリと笑い、断った。
全く、雰囲気ぶち壊しだぜ!
いや、むしろ死んだ彼女とのイチャラブ話なんか聞かされたら、もっと暗くなりそうだな……。
「そうか……うーむ、なら何も話すことがないぞ? 俺は最近の子供が何を好きかなんて知らんしなぁ」
「いえ、もう大丈夫ですよ」
「ん? 何がだ?」
「僕、どうやらのぼせたようです」
あぁ……意識が……薄れ……て。
その後、レフースさんに助けてもらったことは言うまでもないだろう。




