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路旗が琥珀の異変に気がついたのは、如月の家に行った日から数日後だった。
琥珀が部屋に篭る事が多いのは、自分の突然の能力の増力に戸惑っていた頃と変わりないのだったが、鍵を掛けたことのない部屋の鍵が、この頃はしっかり施錠されているのだ。
「琥珀くん」
ドア越しに名を呼んでも、中から返ってくる返事はしばらく経ってからの「ああん」だの「ううん」だのと、うわ言のような声だった。
事態を不可解に思った路旗が合鍵で部屋を開けたとき、琥珀は素っ裸のままベッドの端に横向きになっていた。
何をしていたわけではない。ただ、横になって虚ろな目線をぼんやり壁に向けていた。
「琥珀くん」
何度目かの呼び声に、琥珀はふっと顔を上げた。
「……あ、路旗さん」
擦れた声が琥珀の喉から出た。
「どうしたんだい? すっぽんぽんで」
「……逢いにくるんですよ」
「誰が?」
「……ともしび、が」
ともしびという名を聞いて路旗は目を細めた。
依頼人の蔵にあった木箱の念には、ふたつの念があると琥珀は言っていた。
〔助〕という木鑞職人と、その恋人である〔ともしび〕という女。
「ともしびが来て何をしていくんだい」
「……何も」
そう琥珀は返答した。
「……何もしないで、俺の服を脱がせて、横に寝るんです、そこに」
琥珀の目線がちらりとベッドの横を見た。そこには何もない。ひしゃげたシーツが空気に触れているだけだ。
「琥珀くんに触れるのかい?」
「…はい」
「それだけ?」
「……髪を触られたり、身体を触られたり、他には何もしない。俺は金縛りにあったように身体が動かなくて……ともしびは悔しそうに言うんです」
「なんて言うんだい?」
「……刻が来たらあんたは私を永遠に愛するようになる。早く唇を吸いたい」
「そう言われたんだね」
こくりと琥珀は頷いた。
「とにかく、パンツを履いてカーテンを開けて部屋を出よう。そして喜和子さんにお茶を淹れてもらおう」
路旗に言われるまま、琥珀はそれに従った。
「魅入られた?」
御山は酷く驚いた表情で、そう告げた路旗を振り返った。
「あの箱には記憶より濃い、念が篭っていたようです」
「確か琥珀くんは、〔助〕だかという木鑞職人の記憶が箱にはあると言っていたようだったが」
少し前の雑談の時、御山は新しい依頼の件の話を琥珀たちとしていた。
助という男の記憶がその箱には宿り、ともしびという女と恋仲であるという話だ。
「その箱には助の他に、そのともしびという女の記憶もあったというのか」
「二人が所有するものだったという事も考えられなくはないのですが、どうも様子が違うんです。もしかしたら、確かに箱には助の記憶があったのかもしれませんが、それよりもっと根本的な……」
「曰く付きというやつか」
眉間に皺を寄せて、御山はきつく目を細めた。
「女性の念は、記憶の域を越えてると思われます。怨霊や心霊の類いは、専門外なので今のところ何とも言えませんが」
「恨みか哀しみか、少々難儀な方向性だな」
「……色情のようです」
「…………なるほど、それも立派な執念になるのだろうな、しかし色情も基を辿れば哀しみや何かがあるのだろう」
神職をしている御山にしても、何が見える体質ではない。
霊魂や人の想いという念が、この世に存在するというのは、理解できないわけではない。むしろ、そういう世界をひっくるめてこの世は存在すると思っている。しかし、いざその念が現世の人を惑わし、幽界に導こうとしている等というのは、些か眉唾物だった。
それでも何かが、確かにこの世に存在する。
一般人には見えない何かがあっても、おかしくない。
それが御山の思う、この世の世界だ。
世界は広い。
この世も果てしない。宇宙はそれ以上だ。
人に与えられた時間はほんの僅かなのだが、同じ時間の中に存在するものは、見えるもの見えないもの全てひっくるめて果てしないほどあるのだろう。ただ、接触しないか否かだ。
御山は肩で息をついた。
「その、ともしびという女は、琥珀くんのドンピシャなのかね」
「さぁ、どうでしょう。琥珀くんの女性の好みは判りかねません。逆に、ともしびには琥珀くんがドンピシャだったのかもしれませんね」
なるほどな、と御山は頷いた。
「磐田の玉依姫に相談した方がいいな」
御山は苦渋の決断を路旗に促した。
「……瑠璃姫ですか……」
御山の「玉依姫」と、路旗のいう「瑠璃姫」は同一人物である。
そして琥珀の妹にあたる人物だ。