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琥珀−木蝋燭編−  作者: 蔦川 岬
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-2

 ※

 

 神社の名前の由来になったといわれる御泉の横の東屋で、琥珀は両膝を抱えて揺らめく水面をただ見つめていた。

 木々の葉を抜けた午後の日差しが、眩しく水面に溶け込んで行く。

 その澄んだ水の底から、沸き出す水が泡になって水面に波紋を作る様子をじっと見ていた。

 ともしびから開放された今、生きているということはこういう事か、と思えるほど、身体が楽になっている。

 それと同時に、自分の不甲斐なさがミシミシと込み上げてくるのだ。

 

 瑠璃はともしびを開放し終えた後も、特別変わらぬ調子だった。「兄は情けない」と言っている様子さえ目に浮かぶ。それを「存じてます」と相づちを事務的に打つ母親の姿も連想する。

 うんざりした。

 しかし、うんざりするのも今、始ったことではない。

 瑠璃が生まれた時から、琥珀のうんざりは始ったのだ。

 思えば長かったと、琥珀は思う。

 そして気がつけば、ここに逃げてきていたのだと実感した。


「こんにちは」

 突然の声に振り向いた先に居たのは意外にも、例の曰く付きの持ち主である如月だった。

「先日のお礼をしたくて、さっき社務所に寄って出て来たら、君の姿を見つけたんでさ」

「あ、それはわざわざすいません」

 慌てて琥珀は頭を下げた。

「いやいや、ばばあの施設がちょうどこっちの方向だったんで」

「あ、おばあさんの施設に行くんですか?」

「うん、色々書く書類とかがあるみたいでね、面倒くせぇ事ばっかだな世の中。それと、ばばあにも伝えたい事もあってさ」

 今日も淡い色合いのシャツを小綺麗に着こなしているが、口調は相変わらずだ。

「そうなんですか」

 単純に琥珀は返事を返すと、少し改まったように如月が声色を変えて琥珀に耳打ちしてきた。

「あのさ、ここの神社、うしこく参りとかやってるの?」

「丑の刻?」

 今度は一体何をする気だと、仰け反る琥珀の裾を引っ張って、尚も如月は耳打ちをする。

「ほらさ、無事安産できますようにとかいうのがあるとか聞いたんだけど」

「はぁ、それならいぬの日参りの事ですか」

「そう! それそれ! それやってるの?」

「そりゃまぁ、安産祈願はやっていますよ。それなら路旗さんに聞いてみてください。それよりどうしたんですか?」

「察してくれよ兄ちゃん。俺、今度父親になるらしい」

「え!」

「付き合っている彼女がさ、妊娠してさ、こんど正式に婚約しようって思ってな。一応ばばあも家族だから報告もしなくちゃな、ひいばばあになるんだってな。おっと、もうこんな時間だ。この事はもう少し黙っていてくれな。じゃあまたな」

 またな、とつられるように片手をあげたまま琥珀は、颯爽と返って行く男の後ろ姿をしばらく見つめていた。

 今の如月の背中は、とても浮き足立って嬉しそうだ。

(新しい命の芽生えが、人をこんな風にも変える事ができるのか)

 などと、琥珀には似つかわしくない事を考えている矢先に、社務所から新たな人影が見えた。

 

 こちらも、どこか浮かれ気味の莉子が向こうから歩いて来る。

 琥珀は一瞬たじろんだ。

 ともしびという女の念に随分長い間−−といってもひと月も経ってはいないが−−まとわりつかれた日々が、琥珀の中に〔女〕という生き物の性を生々しく埋め込んでいた。

 

 莉子の長い髪を見た瞬間、ぞわりと内臓を奮わせるような悪寒を感じたのだ。

「うふふふふ、路旗さんの神主姿、すっごく素敵だったー」

 熱に浮かされたような顔で、莉子はまっすぐ琥珀の隣に歩み寄り、当然のように隣に腰をかけた。その浮かれ気味な顔がなんとも滑稽で、たじろんだ琥珀の全身の力がみるみるほどけていく。

 内心、ほっとため息をついて琥珀は莉子を横目で見た。

 ともしびの持つ陰鬱なまでの妖艶な気配は莉子にはない。彼女の存在は、己の臓物を逆撫でするような悪寒を琥珀には与えない。

 目が覚めた時に感じた、あの安堵感そのものが相変わらずそこにあった。

「琥珀さんは、ああいう格好しないの?」

 ああいう格好とは、神職が着ている袴姿の事だろう。御山はほぼ白衣に袴姿の日常だったが、路旗はおおよそは一般の人と変わらない普段着だ。

 今日のようにお祭りの準備などがない限り袴姿にはならない。普段から袴姿の御山は、常装の唐衣になっている。

「俺は神職じゃないんで」

 素っ気なく琥珀は答えた。

「ふーん、そうなんだ」

 いつになく軽い返事が琥珀の耳に戻って来た。相変わらず琥珀に関しては反応が薄い。

「でも、琥珀さんも似合いそうだけどな」

 意外な言葉に琥珀は隣の莉子を見た。莉子が今まで自分に興味をもった事はなかったように思っていたのだ。

「似合いそうって?」

「顔が誰よりも今風の和風だもの」

「……それって、どういう意味なんだよ」

 眉を潜める。

「やだぁ、褒めたつもりなんだけど」

 慌てた莉子が琥珀の顔を覗き込んだ。瞬間、ふわりとシャンプーの匂いが舞う。

 何かを言い損なって、琥珀は言葉を飲み込んだ。

「あのさ」

 そう言いかけて琥珀は一度目線を逸らした。

(聞いてもいいのだろうか)

 だが、自分には至極関係のないことだといえば、関わらない方がいいに違いない。関わらないほうがいいのは判っているのに、気になって仕方がない。

(何故だろう)

 琥珀は虚ろに考えた。

 莉子がソウルメイトであるからなのか。

 それとも−−。

 莉子が路旗を好きだという感情を、垣間みてしまったせいか。

 琥珀自身には関係のないことなのに、何故か琥珀は莉子の言葉でソレを聞きたかった。

「あのぉ、もしかして怒っているの?」

 小首を傾げたまま琥珀の顔を覗き込んだ莉子と目線が合う。

 はっと琥珀は身構えた。

「今風の和風って変な日本語だったのは悪かったって認めるけど、そんな怒る? きちんといえばイケメンだって言いたかっただけよ」

 少しむっとした表情で、莉子は投げやりにツンと横を向く。

「え?」

「琥珀さんって鬱で陰気だけど、うちの学校じゃ結構人気あるんだよ。泉神社の眼鏡神主さんとイケメン助手って」

 眼鏡神主とはおそらく路旗の事であっても、自分がイケメン助手と言われるとは琥珀は夢にも思っていなかっただけに、これまたここで大きく面食らって思考が一瞬止まる。

 いつだって莉子との会話で、琥珀は頭がこんがらがる想いをするのだ。

 褒められているような貶されているような。

(どっちなんだろう)

「今度のお祭り、友達と浴衣着てくるからね。これから喜和子さんと打合せなの。ねぇねぇ、路旗さんってどんな色が好きかな」

 莉子が御山家にお泊まりをしていた夏休みの数日を琥珀は回想した。自分がともしびの念に命をとられるかどうかという瀬戸際に、喜和子と浴衣がどうこうというやり取りをしていた莉子の姿を思い出す。

「道旗さんが好きな色?」

「うん、それと参考までに、琥珀さんの好きな色は?」

「俺のもかよ、関係ないだろ」

「なんでそんな顔するのよ」 

 目を輝かせた先ほどとは打って変わって、琥珀の返答に不満だとばかりに渋い顔をした。

 そういうコロコロ変わる莉子の表情やテンションに、琥珀は相変わらずついていけていない。

 ついていけないだけに、といえばおかしな話だが、どこか莉子との会話は上の空で、琥珀は別の事を考えていた。

 琥珀の脳裏では、浴衣姿に髪を結った白いうなじの莉子の姿が、妄想でありありと目に浮かぶ。

(女子高生ともなれば、少しは色っぽいだろうかな)などと思っていた矢先に、膨れっ面の莉子の顔が横にあった。

(到底色っぽさからはかけ離れているな……)

「人の話聞いてる?」

 莉子の話はそっちのけで、横に居る彼女の浴衣姿を妄想していた罰が当たったようだ。先ほどより不機嫌になった莉子の顔がある。

「好きな色くらい教えてくれたっていいじゃない」

「それ聞いてどうするんだよ」

「琥珀さんってすっごくデリカシーないのね、普通そんなこと女子に言わす?」

「はい?」

「どうせ着るなら、好きな人の好きな色の浴衣を着たいじゃない!」

 目に見えてプンスカ怒りを表しながら、莉子は「じゃあね」と地面を踏み締めて境内の方へ歩いていった。

(しまった)

 と琥珀は事態を把握した後、

(めんどくせぇ)

 と心底思う。

(路旗さんは緑と赤の横縞が好きだとか言ったら、そういう浴衣着るのかよ)

 一瞬、あくどい意地悪が琥珀の心をくすぐったのだが、莉子は既に社務所の方に姿を消した後だった。

 今頃は、たどたどしく上目づかいで路旗に敬語で訊いているのだろう。路旗もあっさりと好きな色を言うのだろう。

 そして当日、二人はどういう顔をして逢うのだろう。路旗の方は素直に喜んで褒め、それを両手を挙げて歓喜する莉子の姿が目に浮かぶ。

 判りやすいだけにつまらないなと、琥珀は大きくため息をついた。

 そして、そんな莉子を愛らしいなと思う自分がいることに、戸惑うのだ。


 


 琥珀 −木蝋燭編−  完




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