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琥珀−木蝋燭編−  作者: 蔦川 岬
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後悔−2


 終戦前年、昭和○○年。

 赤紙がとうとう如月家に届いた。

 出兵の名前は如月喜一朗きさらぎきいちろう。二十四歳。

 まだうら若き、如月ツネの夫だった。


 ツネは後の信二の義理の祖母になる女性である。

 この頃は「くそばばあ」の面影こそなく、それでも気丈な雰囲気のある女性だった。年の功は二十歳前。懐妊してまだ幾月も経っていない身体だ。

 喜一郎は幼い頃の怪我で足に障害があった。障害といっても、人並みに走ることは出来ないが、引きずるようにではあるが歩く事は出来た。それでも戦場の戦力になるとは到底思われず、出兵だけは免れると思っていたのが、如月家の者達だのだ。

 −−時代背景は過酷なものだった。

「よかった。お前も立派に国のお役にたてるのだね」

 泣きながら喜一郎の母親は、息子を戦地に送っていった。その涙は哀しみなのか喜びなのか今となってはわからない。

 

 喜一郎が戦地に赴くとなったその前夜。

 喜一郎は佇まいを正して、妻であるツネを真っ正面に見つめた。

「私が行く先は、前線の要塞にある大砲工場になる。このような足を持つ私の事も、お国は必要としてくださっている事は有り難いことだ。ただ、ツネにもその腹の子にも私が与えてきた愛情は、少なかろうと思うのは心残りだ」

「いいえ、とんでもありません」

 ツネは頭を振った。結婚して四年。新婚生活が戦時まっただ中にあった。そんな中、ようやく授かった子も、夫がいない間に生まれるのであろう。

「お前にこれを渡したい」

 喜一郎が差し出したのは、紺色の風呂敷に包まれている木箱だった。

「これは?」

「蝋燭だ」

 包みを開けると、古い懐紙に〔寿〕の字が書かれた木箱があった。

「これは江戸時代の木蝋燭だ。中には心中立てが埋め込まれた蝋燭が一本あるらしい」

「心中立て?」

 ああ、と喜一郎は頷いた。それから昔の話を静かに語りだした。喜一郎も祖父に聞かされ、その祖父も家族に聞かされたという、遠い遠い昔の話だった。

 それは如月家の先祖の話だ。如月家に嫁いだ女に、酷く恋焦がれた男がいたそうだ。彼が嫁ぐ女に送った最後の贈り物がこの箱だという。

 箱には七本の木蝋燭が収められている。当時は貴重な木蝋燭だった。其の中に、男は自分の心中立てを入れたとそう伝えたのだという。それが真実なのかどうか、木蝋燭の箱を届けたのは本人ではない、使いの者だったそうだ。

「ご先祖に贈ったこの心中立て、その男の気持ちが私には今なら判る気がする」

 静かに喜一郎はツネの手を取った。

「この想いに私の想いも乗せて、これをお前に渡したい」

「……どうかご無事で」

 ツネは三つ指をついて頭を下げた。

 涙が止めどなく流れ、畳を濡らしていった。

 喜一郎が赴いてまもなく、戦場は怒涛の炎を最後に燃やし尽くすかのように激戦を迎えた後、すぐに終戦が訪れた。

 だが、喜一郎は如月家に帰ることはなかった。

 

 終戦からはただただ慌ただしかった。

 ツネも木箱の存在をいつも頭の片隅に置いているわけではない。

 年月が経つにつれ、ふと我に返り気がついた時に、座敷の床脇違い棚の上に置いてあった紺色の風呂敷包みを思い出したりもした。

 喜一郎の想いを乗せた箱。

 だが、同時に見知らぬ誰かの心中立てにまつわる、念の入った曰く付きのものなのだ。ツネはどちらかというと、そういう怪奇な話には疎かったが、愛すべき喜一郎の想いが便乗した木箱にすら、禍々しさを感じるようになっていった。

 次第に、喜一郎の形見にもなったこの箱が、戦時の辛さや戦場で壮絶な死を遂げただろう喜一郎や、兵士たちの無惨な出来事の記憶を呼び起こす引き金になっていることを悟った。

 何度かは触れて眺めて、これに想いを乗せた喜一郎の心中しんちゅうを思ったりもした。

 しかし、その度に、ツネの心にはわだかまりだけが広がっていくのだ。

 喜一郎が居ない辛さ。父の居ない子を育てる寂しさ。

 開けて中を確かめてみたい欲求と、それをしてはいけない畏怖の想いが、ツネに複雑な感情を湧かせていた。

 苦しい度に、風呂敷を開けては木箱を眺める。そしてその度に戒めるようにツネは木箱にお札を貼った。

 生まれたツネの息子は、喜一郎にもツネにも似ずに、自由奔放な道楽息子になっていた。

 ツネはただ必死に家庭を守り通してきた記憶しかない。

 何が間違っていたのだろうか。どこでこうなったのだろうか。

 息子は、結婚もせずに長らく独り身を堪能した後、男児をひとり連れた若い女と結婚をした。その連れ子が今度の依頼者である如月信二だ。

 若い嫁もまた、ツネの息子に負けずと自由な女だった。家事はツネが一人でほとんど忙しなくこなしていた。そうする事で様々な苛立ちを消化していたのだ。

 

 −−その息子も嫁も、病気で自分よりあの世に先立った。

 血の繋がりのない孫を一人残して。

 ツネは孫の母親の葬儀が終わった夜、何年ぶりかに風呂敷を開いた。ずっと座敷の床脇違い棚の隅に置いておいたままだったのだ。

 硯を引き出し、懐紙に包んでいた札を取り出す。

 すでにこの木箱には、忌々しい記憶しかない。

 忌々しい記憶しか蘇らない。

 これを差し出した時の、喜一郎の有様が昨日の事のように脳裏に見える。

 佇まいを正して、凛とした表情でこちらをじっと見る喜一郎。

 なんて真っすぐで綺麗な瞳だったのだろう。どうしてあの人が死ななければいけなかったのだろう。

 なにが心中立てだ。なにがその想いに便乗だ。

 生きる事は酷く辛い。寂しかった、哀しかった。苦しかった、切なかった。

 愛を伝えたいその気があるのなら、生きて返って来てほしかった。

 そうして、二人で同じ苦しみを分け合いながら支え合って生きたかった。

 長い月日が、ツネの中にある喜一郎に対する慈しみをぐんにゃり歪ませた。喜一郎とて、望んで戦場に行ったのではない。望んで死んでいったのではない。

 そんな事は充分わかっていても尚、ツネは心が病んでいた。

 

 −−目の前にある 古い木箱−−。

 

 もう二度とこれは見ない。

 見てはいけない。

 こんなものは、呪い仕掛けの曰く付きの禍々しい厄介ものだ。

 見てはいけない、触れてもいけない。

 ツネはこの木箱を再度風呂敷に包むと、蔵の奥に奥に閉まった。

(長生きなんぞするもんじゃないわ、虚しさばかりが広がっていく)

 全てはこの忌々しい木箱が吉凶の源だったのかもしれない。そんなものを手元に置いておいた事自体が災いを呼び起こしたのかもしれない。


 いやどうだろう。自分が違っていたら、どうだったろう。

 孫にもっと優しくしてあげていたら。

 嫁にもっと言葉をかけてあげていたら。

 息子をもっと愛してあげていたら。

 子供ができていなかったら。

 夫が戦死しなかったら。

 戦争がなかったら。

 喜一郎と出逢っていなかったら。

 自分が生まれてさえいなかったら。

 思えばぐるぐる回るだけの、因果応報かもしれない。


 ツネは般若の形相で、己の人生を後悔した。


 

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