空洞−2
2
どれほど時間が経っていたのだろうか。莉子にはとてつもない時間が経過したように感じた。実際は一時間少しもしない時間だった。
夏の太陽はじわじわと地上に差していた。
一晩降り続いた雨は嘘のように晴れ上がり、朝の空気は一段と清々しい。
瑠璃の父親は夜更け前に、一旦家に戻ると御山夫妻に告げて帰宅していた。
颯爽と階段を下りて行った瑠璃は、まるで何事もなかったかのような風情で、玄関前に控えていた御山夫妻に丁寧にお辞儀をする。
「御山様には兄が大変お世話になっております」
「いえいえ、滅相もございません。お疲れになったでしょう。お茶でも一杯いかがですか」
御山夫妻もまた、何事もなかったかのように丁寧に瑠璃を迎えた。
「生憎ですが先がありますので」
「そうですか、では靖彦、車を」
「急がなくていいですよぉ靖彦さん」
などというやり取りがしばらく聞こえた後、路旗の車が玄関に到着する音が聞こえた。
慌てて莉子も階段を下りて行こうとしたが、後ろで魂の抜けたようになっている琥珀が気にかかって踏みとどまってしまう。
「心配ないとは言われたけど、大丈夫なのかな」
そっと側に行き、ベッド脇に立ち膝をついて琥珀の顔を覗き見た。
初めて逢った時より、琥珀の顔は少し大人びていた。そもそも五十嵐家に居た時でも、まじまじと琥珀の顔を見るという機会はなかったのだが、こうして見ると整った顔立ちをしている事に気がつく。
妹の瑠璃に似ていると言えば、そうかもしれないなどと、莉子はぼんやり思いながら寝息を微かにたてる琥珀を見つめていた。
物の記憶を読む事ができるという類い稀な力があるのに、コンプレックスの塊しかないと人生を嘆いている人がいる。
何も見えない自分こそ、つまらないほど凡人であると自覚している莉子には、やはり理解できないのだ。
(そんなすごい力があったら、私だったらもっと……)
何ができただろう。
そんな事を考え込んでいるうちに、路旗の車が動きだす音が聞こえた。
「あばずれって実際言われると嫌な気分よねぇ」
神社の鳥居をくぐった辺りで、自嘲気味に瑠璃は後部座席ではにかんだ。
「私には歳相応の初々しさというのは皆無なのかなぁ」
もはや独り言のように呟く瑠璃の顔を、バックミラー越しに見やった路旗は、少し明るめを装った口調で投げかけた。
「五歳の頃から幾多の人々の記憶や念に携わっているんだ。瑠璃姫はまだ十三歳だけど、何千人何万人という人々の人生をその短い時間で見て来ているんだ。
一度の人生では決して得られない豊富な知識と経験が瑠璃姫の中にある。それをともしびは感じたんだろうね」
「だからって、あばずれはないでしょぉ」
少し拗ねたように瑠璃は運転席の路旗の方に投げかける。
「ともしびも悪気があったわけじゃないさ」
「充分悪気がある風情だったけど。あのまま調伏でも禊除でもしておくんだったなぁ」
「まぁまぁ、俺の意見としては、ともしびを悪霊扱いしなかったのは、よい選択だったと思うよ」
ともしびの怨念など、一捻りで握り潰せる程の力が瑠璃にはある。潰された念は、この世に存在しないものとなる。おそらくは〔消滅〕というものだろうか。
そうせずに、ともしびが抱えていた念を、ともしび自身に認知させる事による、念の浄化を試みた。
「さすがだと思ったよ」
バックミラー越しに路旗が嬉しそうにしている雰囲気が伝わってくる。それをさめざめと見つめた瑠璃は、しばし考え事でもするかのように窓の外を見ていたが、ふと思い起こしたように路旗に声をかけた。
「ねぇ靖彦さん、私よりよっぽど莉子さんの方が乙女よね」
「ん~、それはもう、経験値だろうからね」
「なんか羨ましいなぁと思ってぇ。あんな風に後先考えないで勢いで色んな事突っ走って、人生きっと楽しいんだろうなぁ」
ははははと路旗は笑った。
「瑠璃姫は人生楽しくないのかい?」
「……楽しくないから、楽しもうとしているのよ」
「よい心構えだね」
「こうやって街に出たのも久しぶりだなぁ、こういう事でもない限り引きこもり人生だからなぁ」
瑠璃にとって街は未知の世界だった。自ら進んで人と接触しない傾向なのは、琥珀だけでなく瑠璃も同じだ。
「そういえば、今日は予定があるとか言っていたかい?」
徐に路旗は明るい声をだした。
「実のところ、何にもないでぇす」
その声を真似するかのように瑠璃も調子を上げる。
「少し遠いけど、水沢堂のソフトクリームを食べにいかないかい?」
「私もそれを思っていたの、せっかくだから靖彦さんのおごりでね」
「勿論だよ」
グレーのステーションワゴンが壮快に車線変更をする。
目指すは県境にある水沢堂のソフトクリーム。




