空洞−1
[ 空洞 ]
社務所兼自宅一階部の畳部屋は、莉子と喜和子の笑い声で随分賑やかになっていた。
二人でわいわいと布団を敷き終わった後、色とりどりの浴衣生地を畳いっぱいに並べた前で、莉子は高揚した感情を抑えきれないでいた。
「すごい、こんなにいっぱい」
ビビットな色合いから淡い色彩の生地まで、実に様々な生地がある。いずれも柄が古風ではあったが、莉子には大受けのようだった。
「私が若い頃のだから、柄は今流行りじゃないわよね」
少し残念そうに喜和子が言ったが、莉子は大きく首を振って喜和子を見た。
「モダンですごく素敵です!」
「モダン、あら、モダンといえば聞こえがいいわね」
「これ本当に好きなのを選んでもいいんですか?」
「もちろんよ。私じゃもう着れない模様だもの。まだもう少しあったんだけど、沁みができちゃったり、せっかくの生地も仕舞い込んでても宝の持ち腐れにしかならないって痛感したわ」
若い頃からのコレクションであった浴衣生地を、欲しいのがあったら莉子に譲りたいと喜和子は着物箪笥を開放したのだ。
「痛んだ生地のは大丈夫な部分で巾着とか作るつもりだけど、まだ痛んでいないのは浴衣にしてしまいましょう」
「浴衣、手作りするんですか?」
「こう見えても和裁が特技だし、私、呉服屋の娘なのよ」
団扇をはためかせた喜和子がにんまり笑った。
「莉子ちゃんの好きな生地を選んで」
「悩みます。この色も素敵だし、こっちは柄が好き」
「気に入ったのはどれでも差し上げるけれど、今年着るのだけは今決めてちょうだいね」
「ありがとうございます」
遠慮気味に生地に指を這わせて、時々持ち上げたり柄を眺めている莉子の背中を眺めながら、喜和子は懐かしい思い出を語った。
「私ね、着物を毎日着て過ごすのが憧れだったの」
話は御山と喜和子の出会いから始った。
「神主さんと結婚すれば、毎日着物を着て過ごせるのかと思い込んじゃったのよ」
「喜和子さんのご実家は呉服屋さんなんですよね?」
「そうよ、だから浴衣生地だけはほんと手に入りやすかったのよね。ついつい集めちゃったのよ」
「呉服屋さんっていうことは、一般の方なんですよね?」
「ええ、そうよ」
「神主さんのお嫁さんになる人って、神社の娘さんでなくてもいいんですか?」
莉子がはっとした顔で喜和子を振り返る。
「あら、それだったら私は今ここには居ないんじゃないかしら?」
「じゃあ私でも神主さんのお嫁さんになれるんですか?」
「あら、神社に嫁ぎたいの?」
「喜和子さんのようになりたいです」
「いやだ、私のようじゃ生活もゆとりもなにもないわよ」
高々に笑って喜和子は仰け反ってみせた。
「うちに嫁いで来てもらいたいのはやまやまだがな」
居間でテレビを見ていた御山が襖越しに顔をのぞかせた。
「うちの倅は外交官で転勤族、跡を継ぐと言っている孫息子はまだ6つだからな。実に残念だ」
「6歳……」
今頃になって莉子は気がついた。
この神社の宮司は御山であって、喜和子は御山の妻である。
路旗と琥珀はいずれも御山とは血縁はなく、ただの居候なのだ。
莉子の頭の中では、御山夫妻は路旗と琥珀の両親だと勝手に刷り込み現象が起きていた。それくらい御山夫妻とあの二人は空気が馴染んでいた。
そこに溶け込めたら、自分はどれだけ幸せになれるのだろうと、そんな妄想すらしていたのだ。
タタタン、タタタン
トタンに落ちる雨雫の音が大きく聞こえる。
ひとしきり降りしきる雨の音が、一段と激しくなったようだ。御山が腰を上げて縁側に行き、窓を閉めると、喜和子がエアコンのスイッチをいれた。
「それにしてもよく降る雨ねぇ」
「本当だな」
御山が改めて座椅子に腰を下ろそうとした時だった。
玄関の方がにわかに明るくなった。
しばらくして車のドアが閉じるような音がして、玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン
「はーい」
喜和子がさっと立ち上がり玄関に向かう。
「夜分遅くに申し訳ございません。緊急の用事がございまして」
玄関には黒い傘を差した男と、小柄な少女が立っていた。その様子を廊下から顔を出してみた莉子がはっと息を飲む。
「琥珀さんのお父さんと、瑠璃姫さん!」
「兄に用事があります。それと靖彦さんはいらっしゃいますでしょうか」
瑠璃が静かなトーンで男の言葉の後に続いた。
「靖彦ならさっき台所にいたが……」
御山が何事かと玄関に顔を出す。
「おふたりともどうしたんです?」
騒ぎを聞きつけた路旗がコーヒーカップを手に現れた。
「靖彦さん、事態は変わったの。ともしびが今晩くるわ」
瑠璃らしくなく早口気味にそう告げると、無言のまま喜和子は訪れた二人にスリッパを差し出し、路旗は瑠璃を二階へ案内した。
御山も無言のまま、もう一人の男を居間に招き入れた。男は黙って深くお辞儀をし、居間に入る途中に莉子の姿を見つけた。
「こんばんは」
物静かな口調でそういうと、また寡黙な気質を纏ったまま居間に腰を下ろした。
「こ、こんばんは」
居心地の悪い空気に包まれたまま、莉子は目の前に並んでいる生地をしばらくじっと見つめていたが、やがて喜和子が客人に麦茶を出した頃合いを見計らって、琥珀の居る二階の階段を上った。
(何があったんだろう?)
状況はつかめないが、明らかに緊急的な事態が起きているのだろう。時刻はまだ8時を回ったばかりではあるが、この雨の中、あの妹がわざわざここに来るくらいなのだ。
(なんだか悪い予感しかしない)
階段の手前で莉子は一度座敷を振り返った。
御山も喜和子も客人も動く様子もなければ何か会話をしている様子もない。
ぎゅっと全身に力を入れて、莉子は真っすぐ階上を見据えた。
(行かなくちゃ)




