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七月の猛暑を抜けて、空を覆う雲は気紛れにその表情を替えた。物々しく上昇気流を産み、日夜雷鳴と豪雨がひっきりなしに音を立てていた。
莉子の二度目のお泊まりは、夏休みが始った初日からだった。御山夫人の喜和子が、浴衣を出しただの何だのと理由をつけて莉子に誘いをかけたのだ。一方、五十嵐夫妻は莉子がお泊まりをする先が、路旗の務める神社だと聞いて安心したのかどうなのか。夫婦水入らずで数日旅行に行くなどと計画を立てていたというのは、恐らくは喜和子の入れ知恵だろう。
莉子が神社に着いて間もなく、バケツをひっくり返したように降り出した雨は、夜半をすぎても強弱を繰り返しながら続いている。
「眠れなさすぎます」
廊下の突き当たりの窓辺に腰を掛けていた琥珀は、部屋から出て来た路旗にそう言った。
「琥珀くんは雷が恐かったのかい?」
「違います、ともしびです」
「ここのところ、毎日のようだね。さすがにこんな荒れた日は、ともしびもやってこないだろう」
暢気に路旗は笑ってみせたが、
「怨念に悪天候も何も関係ないんじゃないですか」
ずんぐりむっくりと琥珀は言い返した。
激しい雨が降り、雷が鳴り響く荒れた夜に限って、億劫がって出没しない幽霊など聞いた事がない。
むしろこんな夜は、ミステリーオカルトホラー日和というのではないのか。
停電した家屋。
通じない電話。
降りしきる雨と窓を揺する強風。
どこからともなく忍び寄る黒い影。
温い何かの息づかい。
舐めるような視線と気配。
凶器を持った殺人鬼。
忌々しい怨霊。
歓迎しない何者かがこぞってやってくる。
そんなイメージしか湧かない。
連日のともしび訪問の疲れもあったが、何より今晩の天気の荒れ具合いの方が、琥珀は気にかかっていた。
少なくとも今はまだ心にゆとりがあった。琥珀の目の前にいる、コーヒーカップを片手にぼさぼさ頭の路旗を見ていると、たとえミステリー日和でも無条件に和むのは何故なのか。
「瑠璃姫の見立てでは、まだ先のようだよ」
少し締った口調で言うと、路旗は琥珀をしばらく見つめた。
「まだともしびは、琥珀くんの唇を奪いにはこないだろう」
琥珀の不安がっている事は、路旗には手に取るように判る。どこか見透かされた悔しさと安堵が寄り添って琥珀の心の中にいた。
「何かあったら、すぐに呼んでくれ」
「はい」
不安を口に出して、幾らか琥珀の不安感は収まった。
「何だったら一緒に、寝るかい?」
コーヒーを淹れに階段を下り始めた路旗だったが、思い出したようにニンマリ笑って琥珀を振り返る。
「いいえ、結構です」
こういう時にそういう冗談を、路旗という男は容易くいれてくる。そこは超一流だと琥珀は思うのだ。
心なしかほっとした気持ちになって、琥珀は自分の部屋に戻った。外は相変わらず雨が降っている。窓に打ち付けるほどではなくなったようなので、琥珀は僅かに窓を開けて外の空気を取り入れてみた。
日中の暑さは和らぎ、湿っているが涼しい水の気を含んだ風が入ってくる。
今、自分が感じている不安は一体なんなんだろう。
ベッドに身体を寝かせ、天井を仰ぎ見る。
トタン屋根にタタンタタンと落ちる雫の音と、境内の木々の葉を打ち落ちる雨の音が、琥珀の耳に流れるように聞こえてくる。
階下から莉子と喜和子の笑い声が、僅かに雨音に混じって聞こえて来た。普段は御山夫妻と路旗と琥珀の四人家族構成になっている。女子の笑い声がこの時間に聞こえてくるのは、何となくではあったが、琥珀に柔らかい感情を生ませた。
(自分の他に、誰かが居るという感じがこんなに落ち着くなんて)
琥珀はゆっくり目を閉じて、雨音と莉子たちの賑やかさに耳を傾けた。




