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琥珀−木蝋燭編−  作者: 蔦川 岬
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−2

 ※

  


「もーどうしていいのかわからないです」

 座敷にへたりこんだ莉子が、どっしり項垂れて弱音を吐いた。

「私には兄弟とかいないから、いるだけ羨ましいですよ、そもそもなんで同じ兄妹なのにあそこまで判り合えないんですか?」

 おつかれさまと言いながら、路旗は莉子の前のテーブルに麦茶を差し出した。カランと音を立てた氷が入った麦茶を見ると、一気に乾いた喉の存在を思い出す。莉子はそれを勢いよく飲み干し、思いっきり息を吐いた。 

「瑠璃姫は幼稚園で年長の子を詛ったことがあるんだよ」

「え?」

 突然の路旗の言葉に莉子はきょとんとして、空になったコップをテーブルに置いた。

「あどけない年頃だという事態では収まらなかったのだけどね」

「どうして?」

「お兄さんの悪口を言われたからだよ」

「お兄さん……それって琥珀さんのことですよね」

「本当はお兄さん大好きな兄想いなんだよね」

 磐田家で能力を継いだのは長男の琥珀ではなく、妹の瑠璃だった。

 

 表向きは宗教派の専門大学付属幼稚園という、少なからずそういう能力を持った子供達が集まる幼稚園に、瑠璃は入園したのだ。

 能力といえどもピンからキリであり、ただ単に親が自称霊能力者であるとか、宗教系の家系であるという者が多い中、代々イタコ家系であったり、由緒正しい祈祷師一族の子供であったりという者から実に様々である。故に、至って普通の幼稚園と内容はほとんど変わらなかった。

 ただし能力を持つ一部の子供達には、それぞれの能力をコントロールするという学習時間が設けられている。そこには能力を持つ保育士が二名ほど常駐していた。

 瑠璃はそのクラスの園児だった。

 ある日を境に、園の保育士の採用を大きく見直さなければならない事件が起きたのだ。


 年長の子が当時四歳の磐田瑠璃に執拗に嫌がらせを繰り返していた、そんな日常の最終日になる。

 兄を能無しと言われた瑠璃は、幼いながらに激怒したのだという。

「おにぃさまは、できそこないなんかじゃない!」

 瑠璃は泣きながら兄を罵った年長の子を詛った。

 相手はとある名のある宗教家の息子だった。その手の幼稚園の中でもとりわけ優秀な能力を持つエリートが、ただただ泣きわめく年少の幼女に呪いをかけられたのだ。

 保育士が駆けつけた時には、室内は濃密な黄金の色に包まれ、燃え滾るような灼熱の鎖がその子を縛り封印していたのだという。

 

 呪いを受けた子供は、宗派全霊をかけて四ヶ月の祈祷の上、その詛いからようやく命からがら逃れたそうだ。

 

 それ以来、瑠璃は幼稚園にも小学校にも行っていない。

 表向きは病弱で外に出られないという理由で、学習などの一切は家庭教師をつけていた。中学になってからはインターネットの普及もあり、家庭に居ても名門校の授業を受けることができる。

 瑠璃の学力は名門大学へ一発入学クラスだと路旗は自慢げに言った。

「すごいんですね、瑠璃姫さんって……」

 路旗の話を一通り聞いた後の莉子の感想はそうだった。

 すごいとしか言いようのない世界である。少なくとも、霊感のレの字もない莉子にとっては、漫画や物語でしかあり得ないと思っていた現実が目の前にあるのだ。

「でも……妹が凄すぎるから、琥珀さんも物の記憶が視れる力を持っていても自分に自信が持てないんですよね」

 冷静になってみると、少しづつ琥珀の立場が判ってきたような気がして、莉子は静かにコップの表面についた水滴を指でなぞって考えていた。

「どうしてともしびは琥珀さんに憑いたのかな?」

 疑問はそこに戻る。

「普通の人にはない能力がある、という所が気に入ったのかな?」

「それは一理あるであろう」

 御山が縁側からゆっくり歩いて来た。

「むしろ琥珀くんの力を借りて、実体化できている部分もあると思うね。元は念なのだし」

 それとなく路旗も意見を加えると、思い出したように立ち上がり、祈祷受付所の冷凍庫からアイスを取り出して来た。

「喜和子さんから差し入れです」

 おもむろに三人は、テーブルの上に置かれたアイスの袋に手を差し伸べて、誰からともなく各々好きなカップアイスを食べ始める。


 蝉の声が一際大きく聞こえて来た。

 縁側の風鈴が二、三度鳴る。

 思考が途切れた莉子が、改めて真夏の暑さを肌で感じた。思えば今日は随分暑い一日である。

 何回かアイスにスプーンを差し入れ、サクサクと氷が削れる音を聞いていると、そういえば琥珀を取り巻く空気が、冷たかったような錯覚があったのを思い出す。

 冷たいといえば、瑠璃の放つ気配も随分寒かった気がするのだ。

「今日が暑い日だっていうのを、今の今まで気がつかなかったなあ」

 路旗も莉子と同じ事を感じていたのだろう。僅かに残ったアイスを喉にかき込んで、満足したように額の汗を拭って天井を仰ぎ見ながら呟いた。

 祈祷受付所側にある扇風機の風が、藍色の暖簾を抜けて路旗の前髪をそよそよ揺らした。仰け反った路旗を憂いだ目で見ながら、莉子はぼんやり思い出した。

「琥珀さんのところは何だか肌寒かった気がします。それも、ともしびという人のせいなんですか?」

 金時を丁寧に氷に混ぜ込んでいる御山を見ながら莉子は聞いた。

「ともしびは琥珀の心のうろが開くのを待っているんだろう」

 御山の低い声が座敷に響く。

「洞?」

 眉を潜めて莉子が御山の顔を真っ正面に見た。

「私たちが生きているこの世の中は実にストレス社会だ。その社会で生活するには誰しもが我慢や哀しみ、怒りといった類いを自分の中に閉じ込めて生活している。

 時に、消化できずにどんどん心の奥底で蝕んでいくストレスもあるだろう。大概の人は心を蝕む空洞を気づかずに過ごしている」

 路旗も御山の言葉に小さく頷きながら目を閉じて聞いていた。

「琥珀くんだけではない、人は誰もが心に多かれ少なかれ洞を持っている。数多の小さな洞を持つ人もいれば、大きな洞をぽっかり開けている人もいるだろう。ともしびもまた、心に大きな洞を抱えていて、自らそれを自覚せんで念となったのだろうな」

 莉子は黙って俯いていた。

 誰にもあろう心の空洞−−うろ−−。

 果たしてそれは自分にもあるのだろうか。

 

 高校生活は今のところ順調だ。家族とも上手くやっているし、こうやって路旗たちとも交流できている。高校で新しい友達も出来た。少々のおせっかいと知りたがり屋が濃い傾向の友人達だが、今までの誰よりも心置きなく過ごせている。

 自分の中に知らずに洞ができるほど、我慢や怒りなどという強い負の感情は、莉子には思い当たる事などなかった。

 

 それはいったいどんなものなのだろう。

 琥珀の中に開いた洞。

 ともしびという女の中に開いた洞。

 誰しもが持っているだろうという洞。



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