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二 淡恋

 千珠は、しばらく道場の縁側でぼんやりと外を眺めていた。心地よい疲れを感じて、汗に初秋の風が気持ちが良い。



 季節は夏から秋へと移り変わり、一年前、千珠が青葉の国に腰を据えようと心を決めた頃と、同じ空気の匂いが辺りを包み始めていた。あの頃は、少しずつ冷たくなってくる風や、夏というどこか熱に浮かされるような独特の高揚感が去ってゆくという物寂しさに加えて、自分はこの国で人間たちと暮らしてゆけるのだろうかという不安でいっぱいの時期だった。



 しかし今は、そういった不安は思い出になりつつある。あの頃と同じこの空気の匂いに包まれていても、千珠の心はざわつかず、郷愁を誘う秋の空気に包まれていても、穏やかな心地で居ることが出来る。城内の木々が少しずつ朱色や黄金色に移ろいゆく風景を見守りながら、千珠は道場の壁に目を閉じて寄りかかった。



「隙だらけだな、千珠」

「……留衣か」

 何の気配もなく、道場の中から留衣が顔を出した。千珠は顔には出さないものの、内心少なからず驚いていたため、悔し紛れに素っ気ない態度を取ってみる。

「忍だからっていつも気配を消すなよ」

「馬鹿者、油断しすぎだ」



 青葉の国の忍頭である留衣は、普段は常に真っ黒な忍装束を身に纏っているのだが、今日は淡い浅葱色の小袖を身につけていた。日に焼けた褐色に近い肌は艷やかで、普段から武術の鍛錬を怠らず、町の警護に走り回っているおかげで、その身は引き締まっていて無駄がない。

 青葉の棟梁たる兄・大江光政と似た、はっきりとした大きな二重まぶたの目をしており、気の強い性格が顔立ちからも滲み出ている。



 齢十七になった留衣は、痩身な割にくびれた腰や、晒では押さえつけきれぬ豊満な胸元など、いくら男衆と同じ忍装束を身にまとっても隠せない女の色気が醸しだされ、忍としては目立ちすぎるようになってきていた。その上、重臣たちから縁談の話を持ちかけられることも増え、この仕事からは少し距離を置いているのである。



「何か用か?」

 千珠は再び木々に目をやる。

「何だその言い方は。兄上にお前の稽古を手伝えと言われて来てみれば、もう終わっていたのだ」

 留衣が千珠の隣に座ると、ほわりとした柔らかな女の匂いが千珠の鼻をくすぐる。二人の間には人一人座れるくらいの間が空いていたが、それでも千珠は少しどきりとした。



 紗代の事件に片が付いた日、千珠は光政に留衣を嫁にもらってくれないかと言われている。



 しかしそれ以来、千珠は留衣のことをむしろ避けるようになっていた。どう接していいか分からなくなり、戸惑っているのである。それでも、留衣がそばに来ると何となく嬉しかった。彼女と話をしていると、以前よりも面白いような気がした。留衣をそういう相手と意識し始めてからは、気持ちが地に着かぬような、ふわふわするような楽しさを感じるような気がしていた。

 


「その割には稽古に来たって格好じゃないな」

 千珠は、珍しく忍装束ではない留衣の装いを見遣る。

「当然だ。見物に来てみただけなのだから」

「なんだそれ。別に一人でも大丈夫だ。もともと舜海だってそんなに何かしてたわけじゃないし」

「そうか、じゃあまた見物に来てやる」

「来なくていい」

 千珠はぶすっとしてそう言った。留衣は、そんな千珠の横顔を見ながらまた笑った。

「まぁそう不貞腐れるな」

「不貞腐れてない」

 そう言い返しながら、このくだらぬやり取りにすら心をくすぐられるような気がして、千珠は横顔のままふっと笑う。



「もうすぐあいつも復帰できるのだろう?」と、留衣。

「ああ、もう動けるみたいだが。さぼりたいんだろうか、あいつは」

「しょうがない奴だな」

「さて、着替えに行くかな。もう水場も人が引いただろう」

 千珠は立ち上がって伸びをする。

「一緒に浴びればいいのに」と、留衣は千珠を見上げてそう言った。

「ふん、あいつらに俺の裸は刺激が強すぎるだろ」



 千珠の軽口に留衣は顔を少し赤らめ、それを隠すかのようにむっとしたような顔をする。

「自惚れ屋だな。そんな大層なものか?」

「何だ、見てみるか?」

「ば、ばばば馬鹿者!」

 留衣は真っ赤になりながら照れ隠しをするように千珠に足払いをかけるが、それはひらりと造作なくかわされてしまう。千珠はその勢いでひらりと前方に一回転すると、音もなく縁側に着地した。

「ははは、冗談だ。そう照れるな」と、留衣をからかう。

「照れてなどおらん!」

「はは、じゃあな」

 赤い顔をして憤慨している留衣を残して、千珠は笑いながらその場を去った。


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