聖人の迷い(F)
「聖人君が倒れた!?」
圭一は社長室の内線電話に叫ぶように言った。
「どこのレッスン室!?…!…もう医務室に運んだのか!…わかった、すぐに行く!」
圭一は電話を荒々しく置くと、部屋を飛び出して行った。
その時、部屋にいたキジ猫キャトルも圭一と一緒に飛び出していた。
……
医務室に聖人は寝かされていた。
酸素呼吸器を口につけられている。
圭一が飛び込んできた。足元にはキャトルが同時に入ってきている。
ベッドの傍で椅子に座っていた医者と看護師が立ち上がった。
「大丈夫ですか!?」
圭一が聖人の傍に駆け寄るようにして、医者に尋ねた。
「今は落ち着いています。胸を抑えるようにして座りこんだそうです。」
圭一はため息をついた。
「…そうですか…」
キャトルがベッドに飛び乗った。医者と看護師が驚いている。
「こら、キャトル!」
圭一が抱き上げたが、キャトルはまたその手からするりと抜け、聖人の顔の傍で鼻をひくひくさせた。
「キャトル?」
「にゃあ」
キャトルは、聖人に向かって鳴いた。
聖人が目を覚ました。
「!!聖人君!」
圭一が体をかがめた。
「…社長…」
聖人が圭一を見上げ、辺りを見渡すような様子を見せた。
「…キャトルの声…」
「え?…ああ、ここだよ。」
圭一がそう言うと、頭の上に移動していたキャトルが聖人の顔を舐めた。
「…キャトル…」
聖人が嬉しそうにいい、手を出してキャトルの頭を撫でた。
「…具合はどうだい?落ち着いたかい?」
聖人は申し訳なさそうな顔をして、圭一を見た。
「…ごめんなさい…」
「しんどいのに我慢したんじゃないのか?」
聖人はコクリとうなずいた。
「遠慮しなくていいんだ。皆、君の事わかっているから、倒れてしまう前にレッスンから抜けてくれてもかまわないから…」
「…はい…わかってはいるんですけど…つい…頑張っちゃうんです。」
聖人がそう言うと、圭一は「そうか」と微笑んだ。
医者が聖人に言った。
「だが、無理は禁物だ。君の夢は、今、この状態ではかなえられないことはわかるよね。」
厳しい言葉だった。だが、圭一はその医者の言葉にうなずいて、聖人を見た。
「はい。…気をつけます。」
「今日は家へ帰した方がいいでしょうか?」
「そうですね。その方がいいでしょう。」
圭一と医者の会話に聖人が「待って下さい」と言った。
「しばらくここで寝てたらだめですか?…キャトルと…一緒にいたい…」
「え?」
圭一は、顔を上げてこちらを見たキャトルを見返した。
(…正体ばらしたのか?お前?)
圭一はそう思った。キャトルが「にゃあ」と鳴いた。圭一は頭を掻いた。
「参ったなぁ…。じゃぁあと10分だけだよ。」
「!はい!」
「先生…今日はもう大丈夫ですので、先生は帰っていただいていいですよ。」
圭一が言った。
「え?大丈夫でしょうか?」
「ええ。後は私が責任を取ります。ありがとうございました。看護師さんも…」
医者と看護師はとまどっていたが、やがて圭一に頭を下げて、医務室を出て行った。
……
「キャトル」
聖人に頬を擦りつけているキャトルに、椅子に座っている圭一が低い声で言った。
キャトルが動きを止め、圭一を見た。
「…どこまで聖人君にばらしたんだ?」
キャトルはその場で丸くなった。
すると、少女天使形のキャトルが姿を現した。
「…ここまでよ。パパ」
圭一は目に手を当てた。聖人が嬉しそうに体を上げた。
「キャトル…」
「聖人くーん!」
キャトルは、聖人に抱きつき、猫のように頬を擦り寄せた。
「なんで、そんなことをしたんだ。」
「だってぇ…。」
聖人から離れてキャトルが言った。
「非常階段のところで、独りで悩んでたから…慰めようと思って…」
圭一が驚いて目を見開いた。そして聖人を見た。
聖人は目を反らし、下を向いた。
「悩んでた?」
「うん。最初は猫の姿で近づいたのよ。…でも、話を聞いているうちに、励ましたくなって…」
「姿を現したってわけか。」
「そう!…びっくりしてたけど…喜んでくれたよ。」
「…聖人君…言うまでもないとは思うけど…このことは黙っておいてくれ。」
「はい!もちろんです。…でも…僕、キャトルが傍にいると、何か元気になれるような気がして…」
「キャトルがいると?」
「本当はさっきも天使の姿で、レッスン室にいたのよ。」
「!?」
「もちろん、見えるのは聖人君だけだけど…。実は私のオーラを分けてあげてたの。」
「!?…オーラを!?」
「そう。心臓を強くしてあげることはできないけど、オーラを強めることは可能なのよ。」
「オーラが切れたら、どうなるんだ?いきなり倒れたりしないだろうな。」
「…だから今…」
「えっ!?聖人君は、それで倒れたのかっ!?」
圭一が思わず声を上げた。聖人とキャトルは気まずい表情をちらと合わせて、下を向いた。
「…私が未熟なのよ…まだ…」
「お前は~…」
圭一がまた目に手を当てた。
「下手したら、オーラが消えたとたん、心臓が止まってしまう可能性もあるってことじゃないか!」
「ごめんなさい…」
「ごめんなさいで済むか!」
圭一が声を上げて怒ったので、聖人が「ごめんなさい」と言って、泣きだした。
「えっ!?あっ…いや、聖人君に怒ったわけじゃないんだ…泣かないで…」
聖人は目を指でこすりながら、首を振った。
「僕のせいで…やっぱり、皆に迷惑をかけて…」
「いいんだ。いいんだよ。…辞退しようとしていたのを、無理に採用をしたのは私だ。…だから君は何も悪くないんだよ。」
聖人は嗚咽を繰り返している。
キャトルがそっと、聖人の頭を抱きしめた。聖人もキャトルの体を抱き返した。
圭一はため息をついた。
……
圭一のベッドに座った、守護天使「リュミエル」は、腕を組んだまま、圭一の話を聞いてため息をついた。
リュミエルも男形の天使だが、美しい金髪を持ち、アルシェとは正反対の女性的な美しさを持っている。
「キャトルには、後で大天使様から怒ってもらいますよ。…オーラを分けるなんて、あまりに危険な行為だ…。」
「そうなのか?」
リュミエルの言葉に、圭一が驚いて言った。
「ええ。オーラが切れた時の衝撃というのは、キャトルが考えているより生体にはかなりの負担をかけます。…よく聖人君の心臓が止まらなかったものだ。」
圭一は今になってぞっとした。無知とは怖いものだと思った。
「大天使様より、リュミエルから怒ってくれないか?あの大天使様は、キャトルをそれこそ猫可愛がりしているから、正直キャトルは堪えないと思うんだ。」
圭一がそう言うと、リュミエルが苦笑するように低い声で笑った。
「わかりました。そのようにしましょう。」
リュミエルはそう言うと、ベッドから消えた。
……
社長室-
ソファーに座る圭一の膝で、キジ猫キャトルがお座りをして、うなだれている。
圭一は苦笑しながら、キャトルを撫でた。
「いっぱい怒られたんだ。」
キャトルは「にゃあ」と力なく鳴いた。圭一が苦笑しながら言った。
「ごめん。パパからリュミエルに頼んだんだよ。キャトルを怒ってくれって。」
キャトルは目を見開いて、圭一を見上げた。
「だって、聖人君が死ぬところだったそうじゃないか。もし、聖人君に何かあったら、知らなかったじゃ済まないだろう?」
圭一のたしなめに、キャトルはまたうなだれた。圭一は可哀想になり、キャトルを胸に抱いた。
「反省しているのならもういいよ。よしよし…」
圭一はキャトルを抱きしめて、体を撫でた。キャトルは気持ちよさそうに目を閉じている。
圭一が体を撫でながら言った。
「…聖人君が悩んでたって言ってたけど…何を悩んでいたんだい?」
キャトルは顔を上げた。圭一が膝に乗せると、キャトルは丸くなった。
すぐに少女天使形の「キャトル」が現れた。
目がまだ真っ赤だった。
圭一は苦笑しながら生体のキャトルをかごにそっと入れ、天使のキャトルを膝に抱いて座った。
キャトルは圭一の体に手を回して言った。
「…聖人君ね…ペースメーカーをつけようかって悩んでたの。」
「ペースメーカーを?」
「そう…。」
「そもそも、どうしてペースメーカーをつけるのが嫌なのかな…。ネットでいろいろ調べたが、携帯電話も大丈夫なようだし、デメリットはないようなんだけど…」
「頼るのが嫌なんだって…」
「頼る?」
「うん。聖人君はいつか自分の心臓が治るって信じてるの。」
「!…」
「でも、ペースメーカーをつけたら、それに頼ってしまって、治るものも治らないんじゃないかって…。」
「そうか…。なるほどな…」
キャトルは圭一から離れると、圭一の膝に頭を乗せ、上半身だけ寝かせた状態でソファーに座った。
圭一がそのキャトルの背中を撫でた。キャトルが言った。
「でもね…このままじゃ、皆に迷惑をかけるからって…。自分が死ぬことは怖くないけど、そうなったらパパ達に迷惑をかけるのが嫌だから…つけようかって思ってる。」
「…自分の為じゃなくて、パパ達の為につけようとしてるんだな。」
「うん。」
「正直、パパも聖人君がペースメーカーをつけてくれたら、こんな安心なことはないけど…。でも、自分の意思に反してつけさせるのは嫌だな…。」
キャトルは気持ちよさそうに目を閉じてうなずいた。
「キャトル…」
「何?」
キャトルは目を開けて、圭一を見上げた。
「聖人君に伝えられる時があったら伝えてくれ。…無理にペースメーカーをつけなくていいって。」
「…うん!」
キャトルはまた目を閉じた。圭一は微笑みながら、キャトルの体を撫で続けた。
(続く)