真由の受難(F)
「デート?」
北条真由が携帯電話を耳にして笑った。
「また手つないで原宿行って、レポーターからかうの?」
「あれ、おもしろかったなぁ…」
電話の向こうで甥の北条飛鳥が笑いながら言っている。
飛鳥は真由より3歳年下だが、真由と同じくらいの身長がある。また、父親似の切れ長の目に、母譲りの青い瞳で、実際の年齢より上に見える。
また、真由は父母のいいところだけを取ったような美少女で、ティーンエイジャーの雑誌の表紙に、2人がふざけて恋人ぶった(飛鳥が真由を背中から抱いた)写真で飾った月は、それだけで前月号より3倍の売上をあげた。
その表紙の号が出た日に飛鳥と真由は宣伝がてら、手を繋いで原宿を歩いた…というわけである。(家へ帰ってから、明良と圭一に、やり過ぎだと怒られたが…)
「いいわよ。ちょうど渋谷へ買い物に行きたかったの。」
「ほんと!?じゃ、行こうよ。」
「荷物持ってくれる?」
飛鳥が、一瞬黙り込んだ。
「…わかったよ。」
そのふてくされた答えに、真由が吹き出した。
……
「明日、真由と会うのか。」
真由の義兄であり、飛鳥の父である圭一が、飛鳥に微笑んだ。
「帰りにこっちへ寄るように言ってくれよ。パパも会いたいから」
「うん、わかった。…って、待ってよ、麗奈…」
飛鳥は、6歳年下の妹の麗奈が絡ませたあやとりの紐を必死にほどいている。
「ニイ、早く。」
圭一が、体をゆすりながら飛鳥を急かす麗奈を自分の膝に乗せ、飛鳥の手元を覗き込んだ。
「麗奈にあやとりは早いんじゃないか?」
「いや、俺がひとりあやとりの技を見せてたら、麗奈が紐を急に引っ張ってきて…こんがらがっちゃった…」
圭一は苦笑しながら、「ニイ、ニイ」と言っている麗奈に言った。
「ニイ、頑張ってるから、待つんだ麗奈。」
「レナのー!レナがやるー!」
「ハイハイ」
圭一は立ち上がり、麗奈を「たかいたかーい」と言って、両手で麗奈の体を上げた。
麗奈がキャッキャッと笑う。
「ほら、麗奈は飛行機だよー!って、まだか?飛鳥…」
「もうちょっと…」
「パパ、どん!」
麗奈の言葉に、圭一は「どん?」と聞いた。
「どんがいい」
「????」
飛鳥が急に笑い出した。
「パパあれだよ…。この前、パパが勢いつけすぎて、麗奈を天井にぶつけたやつ。」
「えっ!?あれはだめだよ麗奈…あの時、頭いたいいたいになっただろ?」
「いたいいたいなおったから、またいたいいたいする。」
「いや、だめだから」
「いたいいたーい!」
「麗奈、たかいたかーいだよ!」
その親子のやり取りに、飛鳥が腹を抱えて笑った。
…結局、あやとりの紐ははどけなかった。
……
翌日 日曜日-
「あーまた集まってきた…」
真由と飛鳥が渋谷の喫茶店でジュースを飲んでいると、外に人だかりができていた。
「結局、飛鳥は何も買わなかったわね。」
真由がオレンジジュースを飲みながら、向かいの飛鳥に言った。
「なんか落ち着かなくて…」
「それもわかるけど。」
「真由は大したもんだな。スパスパ決めちゃうんだもん。」
「荷物、一緒に持ってね。」
「へいへい」
飛鳥はジュースを吸い上げると、立ち上がった。
そして真由の荷物を両肩にかけ、両手にもぶら下げた。
真由はその姿に笑ってレジに向かった。こういうものの支払いは姉がわりの真由が払う。…しかし、まだティーンエイジャーだが…。飛鳥などはティーンにもなっていない。
それでも、2人は中学生でも通るような容姿をしているため、あまり違和感はなかった。
レジの店員に2人は頭を下げて、喫茶店を出た。
……
外へ出ると、人だかりが2人を避けた。
真由は財布を鞄にしまうと、飛鳥の両手に持った荷物を取り、2つとも左手にかけた。
飛鳥が肩の荷物をおろして手に持った。
携帯で写真を撮っている人もいる。だが皆必要以上に近寄って来ない。
「おやじが会いたいって言ってたから、うちに来いよ。」
「うん!」
飛鳥の言葉に真由が嬉しそうに頷いた。
その時「危ない!」という声がした。
「!!」
真由が振り返ると、男が少年に押し倒され、真由の足元に倒れた。
「真由!」
飛鳥が荷物を落として、真由の腕を引き寄せ、背中に隠した。
押し倒された男はナイフを持っていた。
真由が、スカートの裾が切られているのに気がついた。
「きゃあ!」
真由の声に飛鳥が振り向いて、真由がスカートを抑えているのを見た。
「足、切られてない?」
飛鳥はそう言うと、真由は首を振った。
倒れている男を、周りの男性達が加勢して押さえている。
…だが、最初に押さえ付けた少年はいつの間にかいなかった。
……
パトカーが、静かに圭一の家の前に止まった。
飛鳥と真由はパトカーから降りると、敬礼する警察官達に頭を下げた。
その時、警察から連絡を受けていた圭一が飛び出してきた。
「真由!」
「圭一!」
圭一が真由を抱き止めた。
「大丈夫か?飛鳥も怪我はないか?」
「うん。」
飛鳥はまた両肩と両手に荷物を持っている。
圭一は真由と飛鳥を中に入らせ、パトカーに走り寄っていった。
……
「真由ちゃん、怖かったわね…」
飛鳥の母、マリエが真由を玄関で抱きしめた。
飛鳥が荷物を玄関に置いた。
「飛鳥、大丈夫?」
「僕は大丈夫」
「2人とも無事で良かったわ…。真由ちゃん、もうすぐお父さん達が来るって。」
「うん…」
真由はマリエの胸の中で頷いた。
……
北条 明良と菜々子が玄関から飛び込むようにして入ってきた。
「父さん…すいません…2人だけで行かせてしまったから…」
圭一が明良達を出迎えて言った。
「いや、私も許したから…」
明良が圭一の肩を叩いてリビングへ入っていった。
「真由!」
「パパ!」
真由が明良に抱きついた。
「怪我がなくてよかったよ…。…飛鳥は?」
明良がそう言うと、マリエが「それが…」と言った。
「部屋に閉じこもっちゃって…」
「…責任を感じたか…」
明良が菜々子を見た。菜々子が頷いて、真由を抱いた。
明良が飛鳥の部屋に向かうと、圭一が飛鳥の名を呼ぶ声が聞こえた。
「飛鳥!鍵を開けなさい!飛鳥は悪くないから!飛鳥!」
飛鳥の部屋のドアを何度も叩きながら、圭一が言うが、飛鳥の返事はなかった。
明良が圭一に近づいた。圭一が明良の顔を見て、首を振った。
明良がドアを叩いた。
「飛鳥!鍵を開けるんだ!誰も怒ってないから…。飛鳥!」
返事はない。明良が圭一に向いて言った。
「圭一…鍵を…。開けないと仕方がないだろう。」
「はい。」
圭一が書斎に向かった。
…そして、しばらくして戻って来て、鍵を差し込んで回した。そしてドアをそっと開けた。
「飛鳥…」
飛鳥はベッドに潜り込んでいた。盛り上がっている布団が泣き声と一緒に震えている。
「飛鳥…」
圭一が布団をめくると、飛鳥が泣きながら布団を掴み、また潜り込んだ。
明良が、圭一と一緒にベッドの傍にしゃがみながら言った。
「飛鳥…お前は悪くない。だから出てこい…飛鳥…」
「僕から誘わなかったら…こんなこと…」
「飛鳥…それは2人で買い物に行くのを許した大人に責任がある。真由が怪我しなかったから、良かったじゃないか…」
「あのお兄ちゃんが助けてくれなかったら…真由…やられてた…」
「お兄ちゃん?」
圭一と明良が顔を見合わせた。
「誰かに助けてもらったのか?」
「…中学生くらいの…お兄ちゃんが…助けてくれた…」
「その話も聞きたいから…出てきなさい。」
明良がそういうと、飛鳥がやっと起き上がった。
泣きじゃくりながら、腫れた目を必死にこすっている。
圭一がベッドに座って、飛鳥の肩に手を回した。
「お前は怪我はないのか?」
明良が、圭一と飛鳥を挟むようにして座りながらそう言うと、飛鳥が目をこすりながらうなずいた。
「おっさんが、真由の後ろから襲ってきてて…お兄ちゃんが押さえ付けてくれた…」
「そのお兄ちゃんは、どうした?」
「いつの間にかいなくなってた…」
「そうか…顔は覚えているか?」
飛鳥が頷いた。明良が飛鳥の背を撫でながら、圭一に向いて言った。
「…圭一、ネットで呼び掛けてもらうように、事務所に頼んでくれ。真由の命の恩人だ。」
「いえ父さん。もっと早く見つける方法があります。」
「え?」
圭一の言葉に明良は不思議そうな表情をした。 飛鳥も自信ありげな父の顔を不思議そうに見た。
……
明良に真由のところへ戻ってもらい、圭一と飛鳥が部屋に残った。
飛鳥はまだしゃくりあげながら、ベッドのへりに座り、じっと目を閉じて動かない父を背中から見ていた。
「パパ…」
飛鳥がそういうと、圭一が目を閉じたまま「しっ」と人差し指を口に当てた。
すると、鋭い光と共に羽根を背に持った銀髪の男が現れた。
切れ長の目つきは鋭く、薄い唇は引き締まっている。男形の天使だ。
「呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃ…」
「アルシェ!」
圭一が笑いを堪えながら、天使をたしなめた。
飛鳥は驚いている。
「浅野のとっつぁん?」
「何だい?ふーじこちゃ…」
「アルシェ!」
圭一がまた天使の悪ふざけを止めるように言った。
「…それはとっつぁんじゃない…」
飛鳥が笑いを堪えながら言うと「そういや、そうだな」と天使は言い、飛鳥に手を差し出した。
「飛鳥君、天使形は初めてだな。アルシェだ…よろしく。」
飛鳥がアルシェの手を握った。
「本当に天使だったんだ…」
「なんだ?タカラヅカのトップスターとでも思ったか?」
圭一が顔を横に向けて吹き出した。飛鳥も思わず笑った。
「アルシェはれっきとした天使だよー。この背中の羽根は作り物じゃないぞ。ほら…」
アルシェがそう言って、背中を向けた。
「引っ張ってみ?」
飛鳥は恐る恐る羽根を引っ張ってみた。
「あいたっ!引っ張る奴があるか!!」
「引っ張れって言ったのは、アルシェじゃないですか!」
びっくりしている飛鳥の代わりに、圭一が笑いながら言った。
「そうだったそうだった。ごめんよ、飛鳥君。」
アルシェがそう言い飛鳥の隣に座った。飛鳥は目をこすりながら笑っている。
アルシェ式の「つかみ」に、飛鳥は完全にはまり込んでしまっていた。
「…ん?」
アルシェが、飛鳥の目を見て、眉をしかめた。
「どうして、聖人君が飛鳥君の中にいる?」
「聖人君!?」
圭一が驚いて言った。
「待て、みなまで言うな…」
アルシェは、飛鳥の額に指を当てて目を閉じた。
「…今日はえらい目に遭ったんだな…。…飛鳥君…真由ちゃんを助けたのは、聖人君だ。…それも…真由ちゃんを助けた後、発作を起こしている。」
「えっ!?」
飛鳥と圭一が思わず声を上げた。
「…大変だ…聖人君に電話…」
圭一が、携帯電話を取り出した。
「ああ、もう大丈夫だから。お母さんがニトログリセリンを飲ませて、もう落ち着いているから。」
飛鳥はほっとしたが、圭一は電話をかけていた。
「お母さんですか!?北条です!今日、聖人君が妹の真由を助けて下さった…ええ…息子の飛鳥が聖人君を覚えていて…確かに会ったことはありませんが…聖人君は大丈夫ですか!?…そうですか…後で発作を起こされたのではないかと…そう…ですか…それなら良かったですが…。あ、今寝てるならいいです。ゆっくり…はい、明日の稽古の時に改めて聖人君にお礼を…。本当にありがとうございましたとお伝え下さい。」
圭一は、ふーっと息を吐いて、携帯を閉じた。
そして、ベッドに座り込んだ。
「お母さんは発作は起こしてないって言ってたけど…。これで聖人君の心臓が止まってしまったら…」
圭一が目に手を当てて言った。飛鳥が下を向いた。
「ごめんなさい…やっぱり僕のせいで…」
「飛鳥…違う…」
「うん、違うよ。飛鳥君。」
アルシェの言葉に、圭一と飛鳥がアルシェを見た。
「飛鳥君、パラレルワールド…って、わかるかい?」
飛鳥は首を振った。アルシェが言った。
「今我々がいる世界の他に、別の世界があるんだ。そこでは、ここと同じ時間にいるのに全く違う事象が起きている。そんな世界が無数にあって、いわゆる層のように重なっているんだ。たまたま我々はこの世界にいるが、別の世界にも、飛鳥君と真由ちゃんがいて、全く違う生活をしている。」
飛鳥は目を見開いて、アルシェの話を聞いている。
「実はその別の世界では、真由ちゃんがあの同じ時間に1人で買い物をしていてね…」
「!!」
圭一も目を見開いた。
「…あっちの世界では…真由ちゃんは刺されて死んでいるんだ。」
「!!」
「つまり君が誘わなくても、真由ちゃんは1人で買い物に行ったかもしれないってことだ。」
飛鳥が目を見張って、アルシェを見ている。
「真由ちゃん1人では人だかりはさほどできなかったと思う。実際、別の世界では真由ちゃんは誰にも気づかれていないんだ。…そのために、後ろからさりげなく近づいた男に刺されてしまったってわけだ。」
「!?」
飛鳥は目を見開いた。アルシェは続けた。
「君と真由ちゃんが揃ったから、たくさんの人が集まる状況ができあがった。そしてその人だかりを見た聖人君がふと君達に気付いた。雑誌で見た圭一君の家族だってね。…真由ちゃんが助かったあの状況は、いろんな偶然が重なった結果なんだ。」
圭一が微笑んで飛鳥を見た。飛鳥は「良かった…」と言った。
「ありがとう…とっつぁん…じゃなくて、アルシェ。」
「ん。…じゃ、ドイツさ戻るわ。」
アルシェがそう言って両膝を叩いて、立ち上がった。
飛鳥が慌ててベッドから降りた。圭一も立ち上がって言った。
「アルシェ…。ヨーロッパ公演はまた延長になりそうですか?」
アルシェの人間形である「浅野俊介」は世界でも指折りの「イリュージョニスト」である。
浅野はため息をつきながら答えた。
「そうだなぁ。…たぶんそうなるだろう。」
「じゃぁ、浅野さんとして日本に帰ってこられるのはまだ先なんですね。」
「そうなるな。…ゆっくり君の手料理も食べたいところだが…お預けだ。」
アルシェがそう苦笑しながら言った。圭一が手を差し出して言った。
「今日はお休みのところを呼び出してすいませんでした。また、改めてお礼を…」
「いいよ。久しぶりに圭一君と飛鳥君に会えて嬉しかったし。」
アルシェと圭一が握手をした。そしてアルシェは飛鳥とも握手をした。
「じゃ、バイバイキー…」
最後の言葉が言えないうちに、アルシェが消えた。
圭一と飛鳥が吹き出している。
「…最近、アニメにハマってるとは言っていたが…」
圭一が笑いながら言った。
「それも、子供向けみたいだね…」
飛鳥も笑いながら、涙を拭って言った。
圭一が飛鳥の肩に手を回して、頭を抱いた。
飛鳥も父の胸にしがみついた。
……
翌日 防音室-
ミュージカル部のメインシンガー矢口聖人が、秋本の伴奏で発声練習をしていた。
ノックと共に圭一が入ると、聖人が歌をやめ、驚いた目で圭一を見た。
「社長」
秋本が立ち上がって、頭を下げた。聖人も慌てて頭を下げる。
「レッスン中、失礼します。」
圭一が秋本に言った。秋本は首を振って椅子に座った。
圭一は、後ろから入ってきた真由と飛鳥の背中を押して、聖人に言った。
「聖人君、君が助けてくれた真由と飛鳥だ。君に直接、お礼を言いたいというので連れてきたんだ。」
圭一がそういうと、真由と飛鳥が進み出て「助けて下さってありがとうございました」と聖人に頭を下げた。
「いえ…そんな…」
聖人がとまどっている。
飛鳥と真由が頭を上げた。身長が対して変わらない。
「飛鳥さんって…本当に8歳ですか?」
聖人が尋ねた。
「はい!」
飛鳥が気をつけの体勢で答えた。
「…見えない…です…真由さんも…年下に見えない…」
聖人が真由に、顔を赤くしながら言った。
真由も顔を赤くして頭を下げた。
「聖人君、2人に「トゥナイト」を聞かせてやってくれ。」
「えっ!?」
「オーディションでは、文句なしの最高点だったんだ。」
圭一が飛鳥と真由に言った。
「聞きたい!」
飛鳥が言った。
秋本が「じゃ、楽譜用意するから待って。」と言って立ち上がり、後ろの棚に並んでいる楽譜を探りだした。
聖人は、困ったように下を向いている。
「ミュージカルって、ウエストサイドストーリーをするの?」
真由が圭一に薦められるまま椅子に座り、尋ねた。
「いや…上演権の問題があるから、シェイクスピアを現代版でやるんだ。」
「やっぱり、ロミオとジュリエット?」
「そう。ウエストサイドストーリーの真似にならないように気をつけるよう脚本家には言ってあるが…頭を抱えているよ。」
秋本の準備ができた。
「じゃ、行くよ、聖人君。いいかな?」
秋本が最初の音を鳴らして言った。
「…はい。」
聖人が深呼吸をしてから言った。
秋本がイントロを弾き始めた。
聖人が歌い出す。
真由と飛鳥は体に何かが走ったように、背筋をぴんと伸ばした。
それを見た圭一が微笑んだ。
聖人の歌は、若い頃の圭一の歌声に似ていた。
真由が両手を口元に当てて、聖人を凝視している。飛鳥も膝に置いた手に力が入っていた。
…聖人が歌い終わってから、真由と飛鳥は拍手をした。
聖人が真っ赤な顔をして、頭を下げた。
「聖人君、ありがとう。座ってね。」
圭一が言った。聖人は恐縮したように頭を下げると、傍にあるパイプ椅子に座った。
「…パパの声に似てる…」
「そうかい?」
圭一が飛鳥の言葉に嬉しそうに言った。真由が言った。
「ほんと…圭一の歌をレコードで聞いているみたい…。でも、圭一「トゥナイト」は歌わなかったよね。」
「うん。その選択肢は思いつかなかったな。」
「聖人さんのトニーがみたいなぁ…」
飛鳥がそう言うと、聖人が一層恐縮した。
「俺もそう思うんだよー。」
秋本がピアノの前で言った。圭一が聖人を見た。聖人は真っ赤になって下を向き、もじもじとシャツの裾を弄んでいる。
「斎藤君のベルナルドも見てみたいしね。」
圭一のその言葉に、聖人が急に顔を上げ嬉しそうにした。
「あーっ!それ最高!!」
秋本がピアノの前で独り悶えている。
きょとんとしている真由と飛鳥に、圭一が「ごめん」と言った。
「斎藤君は聖人君の同期生でね。ダンスが抜群にうまいんだ。とても迫力があってね。」
「へぇー…」
飛鳥が言った。圭一が真由と飛鳥に向いて言った。
「上演権を全く取れない訳はないとは思うけど…でも…他とは違うことをするのが…?」
「アイプロ!」
真由と飛鳥が声を揃えて答えた。
秋本も笑いながらうなずいた。聖人が驚いた目で飛鳥達を見ている。
真由が、ふと思いついたように言った。
「そう言えば…ウエストサイドストーリーでは…トニー死んじゃうんだよね…。」
「!…そう言えば、そうだよな。」
飛鳥も今気づいたように言った。真由が下向き加減に言った。
「…それは悲しすぎる…。圭一…今作ってるお芝居ではどうなの?」
圭一が腕を組んで、考え込むように言った。
「うーん…。シェイクスピアでも、ロミオは死んでしまうからな…。それは避けられないだろうな。」
「ジュリエットは?」
「ジュリエットももちろん。」
「そっかー…。ハッピーエンドが見たい。…私…。」
真由がそう言って、思わず聖人を見た。聖人はどきりとしたように、また下を向いた。
「…そうか…シェイクスピアにこだわらなくていいんだ…。」
圭一が呟いた。秋本が立ち上がった。
「脚本家に連絡しましょうか。」
「うん。ロミオとジュリエットのハッピーエンド版を作るように言ってもらえますか?」
「わかりました!」
秋本は何か嬉しそうに部屋を出て行った。
「真由、ありがとう。…いいアドバイスをくれたよ。」
「ううん。…私、お芝居でも人が死ぬシーン…見たくないだけ…」
「そうだよな。ディズニーでもそうだもん。人魚姫も泡にならないし…。」
その言葉に、聖人が驚いて飛鳥を見た。
見られた飛鳥は「へへ」と笑って、照れくさそうに目を反らした。
……
真由と飛鳥は迎えに来た明良の車で帰って行った。
圭一と一緒に見送った聖人が「今日はありがとうございました。」と圭一に頭を下げた。
「何を言ってるんだ。礼を言うのはこっちだよ。…本当に真由を助けてくれてありがとう。」
地下駐車場からエレベーターに乗りながら圭一が言った。聖人は首を振った。
1階につき、2人はエレベータを降りた。
「お母さんが迎えにくるまで、一緒に社長室で待っていよう。」
圭一がそう言うと、聖人は「はい」と言った。
……
「社長の息子さんすごいですね。真由さんもすごい。」
「何がだい?」
ソファーに座って言う聖人の言葉に、デスクの書類の整理をしながら、圭一が言った。
「…2人とも小学生なのに、ウエストサイドストーリーがシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を元にしていることも知ってたし…ディズニーのことだって…。」
「2人とも小さい時に、いろんなビデオを見せたんだよ。…だが、幼児に「ウエストサイドストーリー」ってのはよくなかったって反省しているけどね。」
圭一がそう言って笑った。
「シェイクスピアは、真由が好きなんだ。あの小難しいセリフとかがいいんだそうだ。真由は母親のように女優になりたいと言っている。」
「そうなんですか…。」
聖人が少し残念そうな表情をした。
圭一がその聖人の表情を見て、くすっと笑った。
「君もシェイクスピアを読んでみるといい。…いつか真由と演じてもらう日が来るかもしれない。」
「えっ!?」
聖人が顔を上げた。みるみるうちに顔色が赤くなっていく。
「聖人君!大丈夫かい!?…心臓が…」
「いえ…!いえ大丈夫です…。大丈夫…」
慌てる圭一に聖人も慌てたように言い、顔を手で仰いだ。
(続く)