第十一話 ドラン砦町、開いた門
十五日目。ドラン砦町。
城門は、開いていた。
ジンが、立っていた。
「あ! お、お帰りなさい!」
彼は、槍を取り落としそうになりながら、駆け寄ってきた。
「身分証は」
「……いや、いいですよ、覚えてますから」
「確認しろ」
「え」
「確認するのが仕事だ」
レインは、辞令を差し出した。
ジンは、慌てて受け取り、読み、数えた。
「一、二、三、四、五、六、七。……七名! お通りください!」
こつこつこつ、と石突きが鳴った。
「ジン」
「はい!」
「叩いてるぞ」
「……あっ」
彼は、真っ赤になった。
◆
その日の夕方、レインは町長と会った。
町長は、五十がらみの、身なりのいい男だった。
応接間に通された。この十五日で、初めて椅子に座らされた。
「北で、村がひとつ消えました」
レインは、そう切り出した。
そして、全部話した。
話が終わったとき、町長は、両手を組んでいた。
「……騎士殿。それは、王都から正式な通達として来ているのですか」
「まだです。我々が第一報を持ち帰る途中です」
「では、噂ですな」
「事実です。我々が見ました」
「あなた方が見た、という事実はあるでしょう」
町長は、指を組み直した。
「ですが、それが我が町に及ぶかどうかは、また別の話です」
レインは、彼を見た。
「町長。逃げる準備をするだけです。何も失いません」
「失いますよ」
町長は、静かに言った。
「この町は、街道の中継です。荷が集まり、荷が出ていく。『あの町は逃げる準備をしている』という話が回れば、荷が来なくなります」
「……」
「荷が来なくなれば、町が干上がります。魔物が来る前に、です」
彼は、そう言った。
言い分は、筋が通っていた。
「では、何もしないと」
「見張りは増やします。それは今日からやります」
町長は、頷いた。
「ですが、逃げる準備は、正式な通達が来てからです」
「通達は、早くて十日後です」
「では、十日後に」
「間に合わないかもしれません」
「間に合うかもしれません」
町長は、そう答えた。
そして、立ち上がった。
「騎士殿。私は、この町の人間の暮らしを預かっています。あなたは、この町の人間の命を心配している。どちらも正しい」
彼は、窓の方へ歩いた。
「ですが、私の方が、外れた時の被害が小さい」
「……外れなかった場合は」
「その時は、私が責を負います」
町長は、そう言った。
「死んでから責を負っても遅い、とあなたは言いたいのでしょう」
「言いたいです」
「その通りです」
彼は、窓の外を見ていた。
「その通りですが、それでも、私は今日、荷を止められません」
レインは、しばらく座っていた。
それから、立ち上がった。
「町長」
「なんです」
「一つだけ、お願いがあります」
「聞きましょう」
「今の会話を、記録に残してもいいですか」
町長が、振り返った。
「……なんですと」
「あなたが何を言ったか、俺が何を言ったか、そのまま書きます」
レインは、そう言った。
「王都に持ち帰ります」
「……脅しですか」
「違います」
レインは、首を横に振った。
「あなたの言い分は、正しい。だから、王都の人間に読ませたい」
「……」
「通達が十日かかることを、王都は知りません。町長が十日待たなければならないことも、知りません。書いておけば、次は変わるかもしれない」
町長は、長い間、レインを見ていた。
見て、それから、椅子に座り直した。
「……書きなさい」
「はい」
「名前も出しなさい」
「はい」
「そして、一つ足しなさい」
彼は、そう言った。
「『町長は、通達が来れば即日動くと言った』——これを書きなさい」
レインは、頷いた。
「書きます」
部屋を出たところで、フィーナが待っていた。
「駄目だった?」
「駄目だった」
「殴ってきていい?」
「やめろ」
「なんでよ! あいつ、人が死ぬかもしれないって言われて、荷の心配してたのよ!?」
「聞いていたのか」
「窓の外で聞いてた」
フィーナは、拳を握っていた。
「間違ってるでしょ、あんなの」
「間違ってはいない」
レインは、言った。
「あの人は、この町で三十年、外れた話に付き合わされてきたんだろう。旱魃が来る、疫病が来る、戦が来る。全部外れた。外れるたびに、荷が減った」
「……」
「今回も外れるかもしれない。その時、責任を取るのはあの人だ」
フィーナは、口を開いた。
開いて、閉じた。
「……あんた、なんでそっちの肩を持つの」
「持ってない」
レインは、首を横に振った。
「理解しないと、次の説得ができない」
「次って」
「次の町だ」
レインは、そう言った。
「王都にも町長がいる。王にも、大臣にもいる。あの人と同じことを言う人間が、この先に何人もいる」
彼は、廊下を歩き出した。
「今日、俺は負けた。だから、次のために覚える」
◆
同じ頃、町の広場では、ユートが苦戦していた。
カルネ村では、四十人が集まった。
ドラン砦町では、七人しか集まらなかった。
「——だから、その、北で村が一つ、消えてまして」
「兄ちゃん、何屋だ?」
「騎士団の記録係です」
「記録係ぃ?」
初老の男が、鼻で笑った。
「騎士様は?」
「町長のところです」
「じゃあ町長が決めるだろ」
「いや、そうなんですけど」
「だったら町長が決めてから聞くわ」
男は、そう言って、行ってしまった。
残ったのは、四人になった。
ユートは、板を握ったまま、立っていた。
半刻ほど、そうしていた。
誰も、増えなかった。
「……あの」
声がした。
振り返ると、ジンが立っていた。
非番らしく、槍を持っていなかった。
「ジン、だっけ」
「はい」
「悪いな、こんなとこで喚いて」
「いえ」
ジンは、そう言って、それから、少し口ごもった。
「あの、僕、聞いてました」
「え」
「さっきから。ずっと」
「……見てたのかよ。恥ずかしいな」
「いえ」
ジンは、首を横に振った。
「あの、質問していいですか」
「なんでも」
「本当なんですか」
ユートは、板を持ち直した。
「本当です」
「その、村が一つ」
「なくなりました」
「人が」
「百二十七人、広場に積んでありました」
ジンの顔から、色が抜けた。
「……積んで」
「積んでました」
「なんで、積むんですか」
「わかりません」
ユートは、正直に答えた。
「誰にもわかってません。それが一番怖いです」
ジンは、しばらく黙っていた。
黙って、広場の石畳を見ていた。
「……あの」
「なに」
「僕、信じます」
「え」
「信じます」
彼は、顔を上げた。
「行きの時、アルディスさんが、僕に確認しろって言ったんです」
「……確認?」
「身分証です。僕、新入りだから、みんな『いいから通せ』って言うんです。でもアルディスさんは、人数を数えろって言った」
ジンは、そう言った。
「帰りも、確認しろって言いました」
「……ああ」
「そういう人が言うことは、たぶん本当だと思って」
ユートは、その言葉を、しばらく飲み込んでいた。
「……なあ、ジン」
「はい」
「あんた、俺の話は信じた?」
「……え?」
「今、アルディスがって言っただろ。俺の話じゃなくて」
ジンは、目を丸くした。
丸くして、それから、慌てた。
「あ、いえ、そういう意味では」
「いいんだよ」
ユートは、笑った。
「俺、そういう位置なんだよ。昔から」
「……」
「でも、それでいいんだ」
彼は、板を叩いた。
「話が伝わりゃいい。誰が言ったかは、どうでもいい」
ジンは、しばらくユートを見ていた。
「……あの」
「なに」
「カルヴァンさん、でしたよね」
「ユートでいいよ」
「ユートさん」
「はい」
「僕、その話、町の人に伝えます」
ユートが、顔を上げた。
「……いいの?」
「はい」
「町長、動いてないんだろ」
「動いてません」
ジンは、そう答えた。
「でも、僕は町長じゃないので」
「……」
「僕、この町の生まれなんです」
彼は、そう言った。
「幼馴染とか、近所の人とか、たくさんいます。そういう人たちに話すのは、規則違反じゃないと思うんです」
ユートは、板を差し出した。
「これ」
「え」
「写し。持ってけ」
「……いいんですか」
「三部作った」
ユートは、そう言った。
「一つは宿の主人、一つは行商のおっさん、一つは俺。俺の分をやる」
「でも、記録は」
「もう頭に入ってる」
彼は、自分のこめかみを叩いた。
「二週間、書き続けたからな。全部覚えてる」
ジンは、両手でそれを受け取った。
受け取って、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「あと、ジン」
「はい」
「非番の日、散歩しろ」
「散歩?」
「町の外の道を歩け」
ユートは、そう言った。
「どこに逃げられるか、自分で確かめとけ。それを人に話せ。町長じゃなくて、町の人にな」
「……それ、規則違反になりませんか」
「散歩は、規則で禁止されてないだろ」
ジンは、しばらく黙っていた。
黙って、それから、笑った。
初めて、まともに笑った顔だった。
「……散歩」
「散歩だ」
「わかりました」
彼は、槍を持っていない手で、地面を三度、爪先で叩いた。
叩いてから、自分で気づいて、赤くなった。
「あ」
「なんだそれ」
「癖です」
「面白い癖だな」
「よく言われます」
◆
その夜、宿の部屋で、レインとユートは記録を突き合わせた。
「町長は動かない」
「だろうな」
「お前の方は」
「七人集まって、三人帰った」
ユートは、そう答えた。
「最終的に四人」
「……少ないな」
「少ない」
彼は、板を閉じた。
「でも、門番の子が写しを持ってった。あの子、町の生まれだって」
「ジンか」
「知ってんの?」
「行きに会った」
「あの子、たぶん、四人より多く回すぞ」
レインは、頷いた。
「ユート」
「なんだよ」
「今日、負けたな」
「負けた」
「俺もだ」
「知ってる。窓の外で聞いてた」
「お前もか」
「フィーナちゃんの隣で」
二人は、しばらく黙っていた。
窓の外で、犬が吠えていた。
「……なあ、レイン」
「なんだ」
「勝ち方って、あんの、これ」
レインは、答えなかった。
答えられなかった。
「……わからない」
「わかんないのかよ」
「わからない」
「じゃあ、どうすんだよ」
「同じことを、次の町でも言う」
レインは、そう答えた。
「王都でも言う。何度でも言う」
「……それ、勝ち方じゃなくない?」
「勝ち方じゃない」
レインは、認めた。
「だが、やめ方でもない」
◆
翌朝、パン屋の前を通った。
セラが、店先に立っていた。
鼻歌を歌っていた。
窯の前で、焼き上がりを待っている時の癖らしかった。
節のない、ゆるい歌だった。
「あ、騎士団の方」
彼女は、顔を上げた。
「お帰りですか」
「ああ」
「七つ、包みますね」
「……頼む」
セラが奥に入った後、フィーナが横に並んだ。
「ねえ」
「なんだ」
「あの子、歌ってるわね」
「歌ってる」
「……なんで歌えるのかしら」
彼女は、そう言った。
責める調子ではなかった。
本当に、わからないという声だった。
「知らないからだ」
「知らないって」
「北のことを、知らない」
レインは、そう答えた。
「知らないから、歌える」
「……」
「俺たちが北で見たものは、この町にはまだ来ていない。だから、この町ではまだ、朝はパンを焼く時間だ」
フィーナは、しばらく黙っていた。
「……それ、いいことなの? 悪いことなの?」
「いいことだ」
レインは、即答した。
「守るべきものだ」
その時、ユートが店の前に来た。
「うわ、うまそうな匂い」
「あんた、寝坊したくせによく来るわね」
「間に合っただろ」
「間に合ってない。もう出発よ」
「え!?」
フィーナは、そう言って、それから、財布を出した。
出して、しばらく手の中で握っていた。
「……あんた」
「なんだよ」
「パン、いくつ食べる」
ユートが、動きを止めた。
「……え?」
「いくつ食べるかって訊いてるの」
「いや、あの、フィーナちゃん」
「二つでいい?」
「え、いや、なんで」
「訊いてるの!」
「……に、二つ」
「二つね」
フィーナは、店の奥に向かって言った。
「すみません、九つでお願いします」
「九つですね」
「……いや、七つでいいんじゃないの?」
ユートが、おそるおそる言った。
「うるさい」
「うるさい!?」
「九つよ」
フィーナは、そう言って、そっぽを向いた。
「余ったら、私が食べるから」
ユートは、口を開けたまま、レインを見た。
レインは、目を逸らした。
「……レイン。今の、なに」
「知らん」
「知ってるだろ」
「知らん」
「なあ!」
セラが、包みを持って戻ってきた。
「九つです」
「ありがとう」
フィーナが、代金を払った。
払って、包みを受け取った。
受け取って、それを——ユートに押しつけた。
「持ちなさい」
「え、俺!?」
「あんたが食べるんでしょ」
「二つだけだろ!?」
「持ちなさい!」
セラが、その様子を見て、くすりと笑った。
笑って、それから、店の奥に引っ込んだ。
一行が町を出るとき、城門にジンが立っていた。
非番のはずだった。
それでも、立っていた。
「アルディスさん!」
「ジン」
「あの」
彼は、槍を持っていなかった。
代わりに、板の写しを持っていた。
「僕、散歩します」
「……そうか」
「毎日します」
「非番の日だけでいい」
「毎日します」
彼は、そう言った。
「非番の日は、遠くまで行きます」
レインは、少し笑った。
「ジン」
「はい」
「一つだけ、言っておく」
「はい」
「もし、何か来たら、戦うな」
「……はい」
「門を閉めて、人を逃がして、それからお前も逃げろ」
レインは、そう言った。
「お前の仕事は、数えることだ。戦うことじゃない」
ジンは、しばらく黙っていた。
それから、頷いた。
「……はい」
彼は、そう答えた。
答えて、地面を三度、爪先で叩いた。




