第九話 ミレド町、二度目
十三日目。ミレド町。
ハーヴは、同じ場所にいた。
荷馬車の脇に座り、鍋の底を叩いて音を確かめていた。
「おや」
彼は、顔を上げた。
「戻ってきましたね」
「戻った」
「予定より早い」
「早い」
「……ふむ」
ハーヴは、鍋を置いた。
置いて、荷馬車の縁から降りた。
「話を、聞かせてもらえますかね」
「聞きたいか」
「商売柄」
彼は、そう言って、それから、少し表情を改めた。
「……いや。商売柄ってのは、嘘です」
「嘘か」
「嘘です」
ハーヴは、荷馬車を見た。
「わしは、この街道で二十年、荷を運んでます。この道の町は、全部知ってる。宿の主人も、鍛冶屋も、パン屋も、門番も」
彼は、レインを見た。
「知ってる人間が減るってのは、堪えるもんです」
レインは、また全部話した。
ハーヴは、途中で一度も口を挟まなかった。
話が終わった時、彼は帳面を開いていた。
「……なるほど」
彼は、羽根ペンを走らせた。
「これは、回しますよ」
「回す?」
「街道中に、です」
ハーヴは、そう言った。
「わしは荷馬車です。騎士団より速い。三日で、この街道の全部の町に届きます」
「……正確に伝わるか」
「伝わりません」
彼は、あっさりと言った。
「途中で歪みます。必ず歪む。『遺体が積まれていた』が『山ができていた』になり、『山ができていた』が『山が動いていた』になる」
「では」
「ですが、速い」
ハーヴは、帳面を閉じた。
「歪んだ話でも、聞いた人間は荷をまとめます。正確な話が一か月後に届くより、歪んだ話が三日で届く方が、人は死にません」
その言い方に、ユートが反応した。
「……あの、ハーヴさん」
「なんです、記録係の兄さん」
「歪まないようにする方法、ないですかね」
「ありませんな」
「じゃあ、歪み方を決めるのは?」
ハーヴの手が、止まった。
「……なんですって」
「歪むのは仕方ないんですよね」
ユートは、板を開いた。
「じゃあ、どっち方向に歪むかを、こっちで決められないかなと思って」
「……ほう」
「たとえば、『遺体が積まれてた』って言うと、話がでかくなる方に歪むじゃないですか。山が動いた、とかになる」
彼は、そう言った。
「でも、『荷をまとめろ』って言うと、これは歪みようがないですよね。荷をまとめろ、しか意味がないから」
ハーヴは、しばらくユートを見ていた。
見て、それから、帳面を開き直した。
「……兄さん」
「はい」
「あんた、詰所の書類係だって言ってたね」
「はい」
「向いてないよ、それは」
ハーヴは、羽根ペンを構えた。
「じゃあ、二段構えで回します」
「二段?」
「そうです」
彼は、帳面に線を引いた。
「一段目は、短いやつ。『北から何か来る。荷をまとめろ』。これだけです。これは歪まん」
「はい」
「二段目は、長いやつ。ダルド村の話、駐屯地の話、谷の話。これは歪みます。歪みますが、一段目を聞いた後なら、歪んでても構わん」
彼は、そう言った。
「一段目で荷をまとめさせて、二段目で、なぜまとめるのかを教える」
レインは、その会話を横で聞いていた。
「……ハーヴさん」
「なんです」
「あなたは、二十年で何人助けましたか」
ハーヴは、少し目を丸くした。
「変なことを訊きますな」
「答えられますか」
「答えられませんな」
彼は、頭を掻いた。
「わしは商人です。荷を運んで、金をもらって、また運ぶ。助けたことなんぞ、あったかどうか」
「今日、助けます」
レインは、そう言った。
「一段目の一言で、何人か助かります」
ハーヴは、しばらく黙っていた。
それから、荷馬車の縁を、指で叩いた。
「……騎士の旦那」
「なんだ」
「あんた、人を乗せるのが上手いね」
「そうですか」
「上手いですよ」
彼は、そう言って、笑った。
「わし、今、荷を出す気になってます」
「ハーヴさん」
「なんです」
「あなたも、逃げてくれ」
ハーヴは、少し目を丸くした。
それから、笑った。
「わしは荷馬車ですよ。逃げるのが仕事です」
「本当に逃げてくれ」
レインは、繰り返した。
「あなたは、話を回すために、町から町へ行く。その動き方は、いちばん危ない」
ハーヴは、笑いを消した。
「……ほう」
「北のものは、南から来ました。移動しています。街道を動いていれば、いつか鉢合わせます」
「……」
「話を回した後は、王都へ入ってください。城壁の内側へ」
ハーヴは、しばらく黙っていた。
それから、荷馬車の幌に手をかけた。
「……騎士の旦那」
「なんだ」
「わしの荷馬車にはね、茶器が積んであります」
彼は、幌を少しめくった。
中に、布に包まれた木箱があった。
「死んだ女房のです。三十年前の。売り物じゃない」
「……」
「これを積んどるから、わしは荷馬車を降りられんのです」
ハーヴは、幌を戻した。
「まあ、聞いた話ですがね」
彼は、いつもの前置きを言った。
「人ってのは、荷物のせいで死ぬんですよ」
◆
その夜、宿の部屋で、レインは複製を一枚作った。
全記録の写しだった。
封をして、宿の主人に預けた。
「王都行きの早馬が通ったら、これを騎士団本部宛に」
「銀貨二枚になりますが」
「払う」
部屋に戻ると、ユートが板を広げていた。
「……なにしてる」
「写し」
ユートは、顔を上げなかった。
「もう一部、作っとく」
「二部あれば十分だ」
「三部にする」
彼は、そう言った。
「詰所じゃ、大事な書類は写しを二つ作って、別の便で出すんだ。片方が焼けても、片方が残る」
「……三部目はどうする」
「俺が持つ」
ユートは、そう答えた。
「一部は宿の主人。一部はハーヴさんに渡す。一部は俺が持って走る」
レインは、彼の手元を見た。
三部目は、まだ半分だった。夜半までかかるだろう。
「……ユート」
「なんだよ」
「明日、寝坊するなよ」
「するかもしれん」
「……」
「するかもしれんけど、書く」
ユートは、その夜、書き終えた。
書き終えた頃には、蝋燭が二本尽きていた。
◆
朝、彼は寝坊した。
ハーヴに渡した写しは、その後、王都へは届かない。
だが、街道の五つの町へ届く。
届いた先で、何人かが荷をまとめる。
その何人かの名前を、レインもユートも、最後まで知らない。




