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『魔王軍に追放された軍配者、外れスキル〈戦場俯瞰〉で辺境から異世界統一を始める』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第63話 ハルヴの名は、敵味方の境目に落ちていた

 味方か敵か。


 戦場では、それを早く決めた方が生き残りやすい。


 旗の色。

 鎧の形。

 合図の声。

 向かってくるか、背を預けてくるか。


 そういうものを一瞬で見分けなければ、次の呼吸で死ぬことがある。


 だが、戦場の外では違う。


 味方の旗を掲げている者が、こちらの足を縛ることもある。

 敵だった者が、こちらの命をつなぐ情報を持ってくることもある。

 商人は昨日の利で動き、運び屋は今日の信用で黙り、村人は明日の飯のために判断を変える。


 辺境では、敵味方を急いで切るほど、見えなくなるものがある。


 北寄りの古い祠跡から、本営方面へ報せが流れているかもしれない。


 その事実を持ち帰った翌朝、フロストゲート砦の小部屋には、いつもより濃い沈黙があった。


 机の上には二つの線が描かれている。


 南西へ向かう、商いと生活の線。

 北寄りから本営方面へ抜ける、報せの線。


 前者は、まだこちらに寄せられる余地がある。

 後者は、すでに誰かが“顔”を買っている可能性が高い。


 アイザックは腕を組んだまま、地図を睨んでいた。


「本営に流れてるとして、誰だ」


 声は低い。

 怒鳴ってはいない。

 だが、怒鳴るより重い声だった。


 ミレナは帳面を閉じ、静かに言う。


「ゼクト?」


「可能性はあります」


 レオルドは答えた。


「ですが、ゼクト本人へ直接流れているとは限りません。誰かが買い、誰かが選び、誰かが形を変えて渡しているかもしれない」


「つまり、途中がある」


「はい」


 ガルグが苛立ったように机を指で叩いた。


「面倒くせえな。敵なら敵、味方なら味方でいいだろ」


 アイリスが壁際から、少しだけ目を細めた。


「そう切ると、たぶん全部外すわ」


「何でだよ」


「本営の中にも、レオルドを潰したいやつと、利用したいやつと、ただ実情を知りたいやつがいる。全部同じに見たら、どの手が一番危ないか分からなくなる」


 ガルグは言い返そうとして、口を閉じた。


 それが前より少しだけ大人になった証拠なのか、単にアイリスに言い返すのが面倒になっただけなのかは、分からない。


 レオルドは地図の北寄り、古い祠跡から本営方面へ伸びる線に指を置いた。


「北の線は、ただの敵の斥候ではありません。敵なら、もっと直接的に砦の弱点を探る。

ですが、今回の線は“誰が何を動かしているか”を見ている」


 リドが不安そうに言った。


「それって、僕たちのこともですか」


「ええ」


 レオルドは誤魔化さなかった。


「あなたがどこを見ているか。ガルグがどこまで偵察できるか。ミレナが村をどう動かしているか。ドルゼンが何を直せるか。セラが人の流れをどう支えているか。

そういうものが、情報として売られる可能性があります」


 リドは小さく息を呑んだ。


 ガルグが短く吐き捨てる。


「気持ち悪いな」


「ええ」


 ミレナの声は冷たい。


「人を値踏みされるのは、村を燃やされるのとは別の腹立たしさがあるわ」


 アイザックがロトへ視線を向けた。


 部屋の端に座らされたロトは、縄を緩くかけられたまま、黙っていた。


「おい、運び屋」


「……何だよ」


「北の買い手に心当たりは」


「名前は言わねえ」


「名前じゃない。匂いだ」


 ロトは嫌そうな顔をした。


「お前ら、最近そういう聞き方ばっかりだな」


「慣れろ」


「嫌だね」


 そう言いながらも、ロトは地図から目を逸らさなかった。


 しばらく沈黙が落ちる。


 レオルドは急かさない。

 ロトが黙る時は、言わないと決めて黙る時と、言える形を探して黙る時がある。

 今は後者だった。


 やがて、ロトは低く言った。


「灰色の本営書記」


 部屋の空気が止まった。


 アイザックが眉を寄せる。


「何だ、それは」


「名前じゃねえ。呼び方だ」


「誰のことだ」


「だから名前は知らねえって言ってるだろ」


 ロトは舌打ちする。


「本営の中に、灰色の書記がいるって話は聞いたことがある。

黒でも白でもない。ゼクト派でもなけりゃ、完全に反ゼクトでもない。

ただ、紙の裏を読むやつだって」


 ミレナが小さく呟いた。


「灰色の書記……」


 レオルドの胸に、ある男の顔が浮かんだ。


 ハルヴ。


 本営で、書類の流れを見ていた男。

 追放の処理にも関わっていた。

 ゼクトに仕える形を取りながら、どこか一歩引いて見ているような目をしていた。


 味方かと問われれば、違う。

 敵かと問われても、即答はできない。


 まさに灰色。


 アイザックがレオルドの横顔を見た。


「心当たりがある顔だな」


「あります」


「誰だ」


「ハルヴという本営書記です。

ゼクトの周辺にいますが、ゼクトそのものとは少し距離がある」


 ガルグが顔をしかめる。


「そいつが売ってんのか?」


「まだ分かりません」


「またそれかよ」


 レオルドは首を横に振った。


「ここは本当に分からない。

ハルヴが買っているのか、ハルヴに売られているのか、それともハルヴの名を誰かが利用しているのか。

ただ、北の線に本営書記の影が落ちている可能性は高い」


 アイリスが静かに言った。


「敵味方で切ると、一番見えなくなる相手ね」


 レオルドは頷く。


「はい」


 ミレナが少し考え込む。


「もしそのハルヴって人が、ゼクトを探るために情報を集めているなら?」


「こちらにとって、完全な敵ではありません」


「でも、こちらの情報を勝手に買っているなら?」


「危険です」


「じゃあどうするの」


 レオルドは地図を見た。


 北の線。

 古い祠跡。

 本営方面へ抜ける道。

 その先にいるかもしれないハルヴ。


「直接は動きません」


 アイザックが眉を上げる。


「行かないのか」


「今、本営側へ探りを入れれば、こちらが北の線に気づいたと知らせることになります。

それは避けたい」


「なら放置か」


「いえ」


 レオルドはロトを見た。


「灰色の本営書記という呼び名が、どこで使われていたかを知りたい」


 ロトは露骨に嫌そうな顔をした。


「お前、本当に嫌な聞き方するな。名前じゃなくて、言葉の出どころを聞くのかよ」


「はい」


「性格悪いぞ」


「自覚はあります」


「あるなら直せ」


「必要なので」


「……お前、話してると疲れる」


 ロトはそう言いながらも、完全には拒まなかった。


「灰色の本営書記って呼び方を最初に聞いたのは、南西じゃない。北寄りでもない。

その間だ」


「間?」


「旧中継小屋より少し南。

名前のない見張り所跡のさらに手前に、乾いた井戸跡がある」


 オルダの古い話に出てきた場所だ。

 水はもう出ないが、昔は荷引きが休む目印にしていたという。


「そこで聞いた。

運び屋同士の話じゃねえ。読むやつと、買うやつの間にいる連絡役が使ってた」


 アイザックが低く言う。


「連絡役がいるのか」


「いる。

たぶん一人じゃねえ」


「灰色の本営書記に繋がる連絡役」


「繋がるかどうかは知らねえ。

ただ、その呼び方を知ってるやつはいる」


 レオルドは地図に新しく印をつけた。


 乾いた井戸跡。


 また一つ、名前を失った場所が意味を持ち始める。


 ガルグが呆れたように言った。


「また増えたな」


「はい」


「砦、村、旧中継小屋、見張り所、南西の待ち場、古い祠、今度は井戸跡か」


「辺境は細かい場所でできています」


「それっぽいこと言って誤魔化すな」


 ミレナが小さく笑った。


「でも、その通りよ。

村の人間にとっても、地図にない場所の方が大事だったりする。

誰かの畑の端、昔水が出た場所、雨宿りできる木。そういうのがないと道は道にならない」


 ドルゼンがいれば「地図より杭だ」とでも言いそうだった。


 レオルドはロトへ向き直る。


「ハルヴ……灰色の本営書記が、もしゼクトを見ている側なら、あなたたちはどう扱いますか」


「どうって?」


「情報を売る相手として信用するのか」


 ロトは少し考えた。


「信用はしねえ。

でも、払うなら渡す。

ただし、そういう手合いには全部渡さない」


「理由は」


「全部渡すと、こっちを切れるからだ。

半分渡して、半分残す。そうすりゃ次も買う」


 サイラスと同じ匂いがする考え方だった。

 商人も運び屋も、違う顔をして同じような場所に立っている。


「では、灰色の本営書記は情報を買うが、全部は掴んでいない」


「たぶんな」


「つまり、こちらが動き方を間違えれば、ハルヴに誤った情報を掴ませることもできる」


 ロトが目を細めた。


「おい」


 アイザックも同じようにレオルドを見る。


「やる気か?」


「まだです」


「まだ、か」


「はい。

ただ、北の線を完全に潰すより、何がどこまで流れるかを選べるようにした方がいい」


 ミレナが静かに言う。


「危ないわね」


「はい」


「でも、北を完全に塞げば、本営はこちらをもっと疑う」


「その可能性が高い」


「なら、流す言葉を選ぶ」


「そうです」


 アイリスが少しだけ口元を上げた。


「本当に軍配者っていうより、道の嫌な商人みたいになってきたわね」


「褒め言葉として受け取っていいですか」


「半分だけ」


「では半分、ありがとうございます」


 ガルグが頭を抱える。


「何だよこの会話」


 部屋に少しだけ笑いが落ちた。


 その後、具体的な方針が決まった。


 まず、乾いた井戸跡はまだ触らない。

 いきなり見に行けば、北の線にこちらの気配が混じる。


 代わりに、南西線との接触を先に進める。

 ネリアを通じて南西をこちらへ寄せれば、北へ流れる報せの一部も横から拾える可能性がある。


 同時に、ハルヴの名前は本営への正式な文書には一切出さない。

 出せば、その時点でこちらが灰色の書記を意識していると知られる。


 アイザックが最後に確認した。


「つまり、ハルヴは敵扱いしない」


「はい」


「味方扱いもしない」


「はい」


「灰色のまま置く」


「それが一番いいと思います」


 副官は小さく息を吐いた。


「気持ちの悪い判断だな」


「私もそう思います」


「だが、今はそれが一番まともか」


「ええ」


 ロトがぼそりと言った。


「灰色は、白黒つけようとしたやつから汚れる」


 レオルドはその言葉を静かに聞いた。


 運び屋らしい言い方だった。

 正しいかどうかは別として、辺境の実感がある。


 その日の夕方、レオルドは一人で東壁へ上がった。


 風は冷たい。

 遠くの道は見えない。

 それでも、頭の中ではいくつもの細い線が見えている。


 南西。

 北。

 古い祠。

 乾いた井戸。

 本営。

 ハルヴ。


 敵ではない。

 味方でもない。

 だが、この先の流れを決める可能性のある男。


 レオルドは、昔本営で見たハルヴの横顔を思い出した。


 派手な男ではなかった。

 ゼクトの横で目立つこともない。

 だが、書類の束を見る目が妙に静かで、誰がどこで嘘をついているのかを紙の折れ目から読んでいるような男だった。


 もしあの男が本当に北の線に触れているなら。

 それは、フロストゲートを潰すためか。

 それとも、ゼクトの手を測るためか。


 今はまだ分からない。


 分からないものを、分かったふりで切ってはいけない。


 夜、記録帳へ書く。


【第六十三日 所見】

・ ロトより「灰色の本営書記」という呼び名を確認

・ ハルヴの可能性あり

・ ただし、本人が北の線を直接動かしているかは不明

・ 北の線は、敵味方で単純に切るべきではない

・ 乾いた井戸跡に、灰色の書記へ繋がる連絡役の気配

・ 現時点ではハルヴを敵にも味方にも定めず、灰色のまま置く


 最後に、一文。


【所感】

ハルヴの名は、敵味方の境目に落ちていた。

急いで拾えば、こちらの手まで汚れる。

今はまだ、どちらへ転がるかを見極めるべきだ。

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