夜の世界
私は高校を卒業したあと大学へ進学するはずだった。
高校3年の中頃。
私の父が経営していた工場が多額の負債を抱え倒産した。
私は父の仕事のことにはあまり興味が無かった。
むしろ、父がいつも汚い作業着を着て仕事に行き、帰ってくる姿を見て嫌悪感を抱いていた。
母は数年前に癌で亡くなった。
父から会社経営が上手く行っていないということを聞いたのは高校に入ってからだった。
それまでは順調だったのか、それも知らない。
そして──。
高校3年の中頃、父が会社が倒産したと、一言だけ私に伝えた。
頭が真っ白になった。
お金は?
これからの生活は?
大学の進学は?
父は何も言わなかった。
その後、父は私の元から消えた。
消息を絶った後、債権者が何度も何度も家に来た。
ある債権者が私にこう言った。
『体を売ってカネを稼いでこい』
私は怖くなった。
次の日、私は学校を辞めた。
あと、ほんの数ヶ月で卒業というときにだ。
もちろん、担任の先生は止めた。
が、私は今の状況を変えないといけないと思い、辞めることにした。
辞めたあと、私は銀座のクラブへ面接に行った。
ドレスなんて持っていない。
でも、少しでも大人っぽく見せようと化粧をしてそこへ行った。
面接に来たとクラブのスタッフに告げると、店の奥へ通された。
そこは更衣室だった。
何人かの女性がドレスに着替えていた。
私はパイプ椅子に座りその時を待っていた。
暫く待っていると
ドアが開いた。
入ってきたのは多分30代半ばくらいのとても綺麗な女性だった。
私はその人があまりにも美人で固まってしまった。
「緊張……してる? 大丈夫よ。リラックスして」
その言葉にハッと我に返った。
「あ、い、市川沙弥です!」
「市川さんね、ここで面接もなんか殺風景ね。少し外行きましょうか」
私はその人と一緒に近くの喫茶店へ入った。
“喫茶店”といっても、自分が行くような場所ではなかった。もっとハイレベルのランクの上の人達が行く場所だった。
私は、場違いな場所に来てしまったことを少し後悔し始めた。
「なにか飲む?」
「え?」
「いいのよ、なんでも好きなの頼んで」
「え、いや、でも……。私はただ面接に来ただけなので」
「そんな遠慮なんてしなくてもいいのよ。特に若いうちは、ね。」
そう言うとその大人の色気を纏った女性は、お店の人に何かを注文していた。
「あなた、高校生?」
色々なことが頭の中を駆け巡った。
蒸発した父のこと、高校を中退したこと、お金のこと、進学を諦めたこと。
「私、お金が必要なんです」
自分でも驚いた。なんでそんなことを初対面の人に言うのか。
目の前にいた女性は少し驚いたような表情をしたが直ぐに元の表情に戻った。
「どうしてお金が必用なの?」
シンプルな質問だったが、私にとっては深刻な問題だった。
私は今まで起きたことを話した。
父の事業が倒産したこと。
消息を絶ったこと。
借金取りが何度も来ていること。
高校を中退したこと。
進学を諦めたこと。
ひとしきり話し終えたところでその女性は言った。
「どう?働いてみる?」
「……え?良いんですか?」
「でも最初は見習いから。給料もちゃんと1人でお客様に付けるまでは時給制になるけどいい?」
考えるより先に、言葉が出ていた。
「よろしくお願いします!」
店内にいた人達がこちらを見た。
「す、すいません……」
「良いのよ。こういうのって縁だと私は思っているの。どう?よかったら今からお店に行って見学してみない?」
「そういえばまだ自己紹介をしていなかったわね。私の名前は、霧崎麗奈。一応あのお店のオーナーをしているの。」
唐突な提案に思考が追いつかなかった。
「あ、ハイ。よろしくお願いします」
そして、私はその日夜までその女性のお店にいた。
『いらっしゃいませぇ〜。ようこそクラブ◇ダイヤモンドへ』
女性達の声が店内に響く。
皆、それぞれ煌びやかなドレスを身に纏っている。
けれど、その中に立つ麗奈さんだけは、明らかに質が違っていた。
目立とうとしていないのに、視線が自然とそこへ集まってしまう。
声を張るわけでも、派手な仕草をするわけでもない。
ただ、彼女が一歩動くだけで、テーブルの空気が静かに整っていく。
余裕。
それも、作った余裕じゃない。
この場所で何が起きても、すべて掌の上にあるという確信からくる余裕。
場の流れを読むのではなく、場の流れそのものを作っている。
そんな存在だった。
圧倒的な“存在感”――
(これが超一流なんだ……)
それが、つい先日まで高校生だった私にも、はっきりと分かった。
始め私は麗奈さんと一緒にいた。
新規のお客様、何度も来店している常連のお客様。
麗奈さんからは色々なことをを学んだ。
立ち方
歩き方
所作
言葉遣い
お客様への気配り
初対面のお客様との会話する時の話題/逆に聞いてはいけないこと
お酒の作り方
そしてなにより観察力
相手を褒めるタイミング
そして、常に最新の情報を頭に叩き込むこと。その為に新聞を隅から隅まで読む癖を身に付けたこと。
初めての失敗。
その日私は初めて1人でお客様に付いた。
そのお客様はロケット事業をしている実業家の方だった。
お客様がロケット事業をしていると話されたとき、私は考えるより先に
「凄いですねー」
と素直な気持ちからそう言ってしまった。
その時、お客様は
「こんな三流キャバクラにいるような受け答えしか出来ないやつなんて辞めろよ」
と、目の前で言われた。
今の私ならその意味が理解できる。
でも、当時の、まだ新人だった私にはそれが理解出来なかった。
頭が真っ白になった。
その時、助け舟を出してくれたのが麗奈さんだった。
「どうされましたか? あら、篠原さんじゃないですか? いつも私をご指名してくださるのに、浮気ですか?」
ジョークを交えながらお客様と会話を始めた。
「違うよ。浮気なんかじゃないよ。この娘新人って言うからさどんな感じなのかなって思って」
「なにか不手際がございましたか?」
「不手際ってもんじゃないけどさ、もうちょっと教育したほうがいいんじゃない?凄いですねー。なんてその辺のキャバ嬢じゃないんだからさ」
「でも、ロケット事業をしているのは凄いことなんじゃないんですか?彼女は素直にそう思ったから、そう言ったんだと思いますよ」
「ん……。まぁ、そうなんだけどさ。」
「なにかご不満でも?」
「新人の受け答えが軽いって話さ」
「そうですね」
麗奈さんは、私の方を一度だけ見た。
「この子、凄いですねって言いましたけど――
本当は“簡単に凄いなんて言えない仕事”だって分かってるんです」
客が、眉を上げる。
麗奈さんは、くすっと笑った。
「ロケットの仕事って、三流が一度でも混じったら、空にすら上がれない世界ですよね」
客が、苦笑しながらグラスに手をかける。
「……言うね」
「ロケット事業って、失敗して当たり前。
その為に国から補助金やスポンサーからお金を集めないといけない。物凄くお金のかかるビジネスであると同時にロマンですよね。だからこそ、続けていらっしゃるんでしょう?」
相手のお客様はそれ以上何も言わなかった。
その日、仕事が終わったときに麗奈さんから一言だけ言われた。
「ちゃんと相手を見てたわね。大丈夫。あなたにはあなたの武器を見付ければいいわ」
私はほんの少し、心の何処かで若さを武器に出来ると思っていた。
でも小手先の武器は諸刃の剣になるということを身を持って知った。
それからだ。
私は新聞を数紙購読し隅から隅まで読むことにした。
また、その日来たお客様で自分の知らない業界があれば自分の宿題にし、次にそのお客様が来たとき対応出来るようにした。




