最終話『世界のルールを守るのならば、その幸福も認めましょう』
今日もダイナーで友人と食事をとる。
友人殿――リミルと呼ばないとむくれる彼女は、マスターが差し出した皿に乗っている林檎のタルトにナイフを入れていた。
「執行官さんもいかがです?」
彼女が嬉しそうにこちらを向いて、皿を渡そうとしてくる。その後ろで、マスターが微笑ましそうに目を細めていた。
「えぇ……頂きます」
彼女は最初に切り取ったタルトが乗った皿を私に渡して、もう一枚のタルトを自身の皿に乗せる。
これは、何度か彼女と食事をしていて気付いたことの一つだ。彼女はまず私を優先している。
「あれ? 先に食べてくださっても良かったのに」
「いえ、せっかくのデザートです。待ちますよ」
――そうしてまた、私も彼女を優先しようとしている。
「リミルはここの林檎が気に入ったみたいですね」
「ええ、美味しくて大好きです! ただ……」
友人として共に食事をとるようになってから、彼女は時々に言葉に迷う。
「なんというか……気に入ったのは林檎じゃなくて……」
「ふむ……この店はなんでも美味しいですからね」
確かに林檎を使ったメニューも美味しいが、彼女はどれも美味しそうに食べている。
「……そう、なんですけども、それは二人で……まぁ、これはあとでいいです」
当たり前の会話をしているつもりが、どうも歯切れが悪くなったり、沈黙が生まれることがあるのだ。
私としては少々気になるが、人の気持ちを推し量るのは、やはり苦手だ。
「……では、勘定を済ませてきます。先に外でお待ちください」
そうして、もう幾度目かになるリミルとの食事を済ませる。
外に出ると、冬を感じる空気が、私たちの息を白く染める。
彼女の歩幅は、小さいが、跳ねるように進む。
私はその歩幅に合わせて少しだけゆっくりと進む。
「……意外でした」
楽しそうに歩く彼女を見て、私はリミルと初めて会った日のことを思い出していた。
「意外、というと?」
少しだけ私の前を歩いていた彼女は、くるりとこちらに振り向いて、私を見上げるような仕草をする。
「もっと、静かな方だと思っていたんです。だけれど実際に会った貴方は、よく笑っている」
「えへへ……それは、執行官さんと一緒だからですよ?」
確かに、私も彼女との食事は、仕事で疲れた心の癒やしになっていた。
互いに、良い関係を築けているように思う。
「それに、変わったようにも思えます。あの日の貴方はもっと……」
「それは! 貴方のせいですよ! 行動をしろって、言ったじゃないですか」
口を滑らせた時のことだ。意図せず彼女に肩入れした時の私の微かなルールへの抵触の瞬間。
だが、結果的に彼女がこうして笑っているのならば、少しくらいは構わない、はずだ。
「……それに、人を好きになるって、変わるには十分過ぎる理由なんです」
――足を止めた彼女を、月が照らしている。
思っても見ない彼女の言葉に、私は動揺して足を止められず、彼女の顔を胸で受け止めてしまった。
「……失礼、人を好きになると、仰いましたか?」
「ええ! 仰いましたよ! どうです! いくら鈍い執行官さんでも、言葉にすれば気付くでしょう!」
それは、間違いなくそうだ。言葉にされたなら、理解はできる。
ただ、その言葉を受け止める前に、私の頭にルールがよぎった。
「……やめた方が、いい。私はルールの上に立っているんです。自分の名前すら、明かせない」
「なら、私はいくらだって抜け穴を探し出します。それが、私の、私だけのルールです」
――ルールと、来たか。
「とはいえ、それとこれとは話が別です。貴方のご期待に沿うのは難しい、かと」
ちゃんと私は、事実を告げられている。私はできないこと、明かせないことが多すぎるのだ。
「沿うだとか沿わないだとかじゃなくって……もうっ! そんなに言うなら私が貴方の希望に沿います! 本当の名前なんか、問題じゃない! 私は貴方が好きです! 貴方はどうなんですか?!」
「私だって人間です。嫌いな相手と食事など何度も行きません、しかし」
彼女の顔が赤くなっているのは、私の言葉のせいだろう。だがその言葉がどれなのかは、私には分からない。しかし、私の顔が熱い理由がどの言葉のせいなのかは、分かる。
「……難しいことになりますよ?」
「行動すべきなのは、私なのでしょう? だったら私が貴方の希望に沿います! そのルールの上に立とうじゃないですか! 添い遂げますよ!」
「名前も知らない相手に、ですか?」
契約でもないのに、私たちは気持ちをぶつけ合っている。
同じ言葉で抵抗するしかない私の心を、彼女は違う言葉でこじ開けようとしている。
「だから! もう名前は問題じゃないんです。今じゃもう、救ってもらった事も問題じゃない、恩も問題じゃない。結局は、私が想ってしまったから! それだけなんです!」
人の気持ちを汲み取るのは難しい。だけれど彼女の言葉は、静かに胸へと落ちていく。
「……苦労を、かけますよ」
「契約でも、しますか?」
いたずらっぽくリミルが笑う。
もう、そこまで言われたら、私にはお手上げだ。
「……なら、私にも呼び名が必要ですね」
「え?! 名前教えてくれるんですか?!」
ルールは、ルール。破れないものは破れない。
だけれど、やさしい抜け穴だって、存在していても、いい。
「いいえ、ルールですので」
「即答じゃないですか?!」
私も、リミルに影響されたのかもしれない。
思いついてしまったルールの抜け穴を見つけて、思わず笑ってしまう。
「だから、貴方が私の名前――ではなく、私を呼ぶための言葉を作ってください」
「ん……? はい。でも、それってどういう……」
私の、根負けだ。
私たちは、決して契約を結んだわけではない。
だけれど、彼女の想いと私の想いが同じならば、幸福な口約束くらい、してもいいはずだ。
「だって、不便でしょう? これから日々を共にするというのならば、呼び名くらいは必要になります」
その言葉を聞いた彼女は、目に涙を溜めながら少し考えた素振りを見せる。
――そうして、嬉しそうに、私の事を呼んだ。
その瞬間、彼女にとって私は『執行官さん』ではなくなった。
寒さも忘れるほどの夜になった。
私たちは、二人が同じペースで歩いている。
「……さてと、困った」
ただ、変わったのは、手に温もりがあるということだ。
どうやら明日は、この感情のおかげで、仕事になりそうもない。




