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第二話『悪役令嬢になるにしても、世界のルールは守りましょう』

 高飛車な笑い声が、庭園に響いていた。

 一方は豪華なドレスに身を包んで、甲高い声を発し続けている。

 もう一方はその声に身を縮めて、青い顔をしている――見知った顔の少女だった。


 奇縁とはこのように繋がるのだな、と私は先日届いた二枚の手紙を思い出す。


 今回の契約は、正しく履行されなければ、貴族としての立場が即座に消える。

 行動の拒否権を奪われ、意思すらも金でもぎ取られる契約だ。


 この契約――従僕契約は、清くも醜くも存在しうる。

 

――だから、彼女は名前も知らない私を探し出したのだろうか。


 片方の手紙は、以前私が婚約破棄に立ち会った令嬢殿――リミル・フィリア嬢からの、契約破棄の依頼だった。


「一度会っただけなのに送ってくるとは、しかし……まぁ……」


 私は読み終えて封をした手紙を仕舞い、もう一枚の手紙に目を落とすと、思わず目を逸らした。

 これも、知っている名前だ。それも悪い噂と一緒に――曰く悪役を演じているとまで揶揄される悪役令嬢殿からの依頼。


 それはフィリア嬢と契約を結びたいという、真逆の依頼だ。

 しかし、私はどちらにも味方する権限を持たない。


――ルールの上で、彼女たち自身が決めることだ。


 私は悪役令嬢殿の手紙に添えられていた荷物を少し解いて、嫌悪を覚えながらその荷物を丁寧に結び直す。


「一度も関わったことのない私に、買収を持ちかけるとは……中々剛胆な令嬢だ」


 しかし、契約執行官には無関係の手紙だ。

 

「ふむ――フィリア嬢は随分と不幸を引き当てる才を持っている……が、運を手繰り寄せる行動力もある。相手は面倒……しかし私が行かなければ誰かが行く、か」


 契約執行官になるためには、国内における貴族や国家間の情勢を理解する必要がある。だからこそ私はフィリア嬢の従僕契約の相手『キャリム・ヴァルコス』の名前を良く知っていた。書類上では貴族と記載するしかないが、私見を挟むのであれば成金貴族、その一人娘だ。

 

 つまり、玩具を欲しているのであろう――茶会での見栄張りのようなものだ。

 尤も、ヴァルコス嬢に会ったことはないので、あくまで執行官になる時に作った個人資料、そうしてこの仕事をしていると嫌でも聞こえてくる噂を元にした想像ではあるが、大体はその通りになる。


 そうして翌日、高飛車な笑い声が響いている庭園に足を運ぶ。

 遠くからも聞こえる愉快そうな声は、明確に悪意を含んでいた。直接的な罵倒の言葉は、今はまだ聞かなかったことにする。


 このような令嬢は少ないわけではない。何度も経験してきた光景とそう変わることはないが、気持ちの良いものでもない。


 判断材料の書類はまとめ上げている。だから、あとは現場での結果だけだ。フィリア嬢が従僕としての立ち居振る舞いをするのか、ヴァルコス嬢が主として正しいと判断できる態度を取れるのか。それを見極めるだけだ。


――書類上、両者の立場は確かに上下関係に成り得る。強者と弱者の構図は成り立っている。

 しかし、従僕契約についてのルールはそれだけに収まらない。

 婚約契約に明確なルールがあったように、あらゆる契約には差し出すべきものや感情が存在するのだ。


 フィリア嬢は私を見て少しだけ明るい表情を浮かべたが、私の会釈を見て現状の理解に至ったようで、カチャリ、と震えた手でティーカップをソーサーに置いた。

「お、お久しぶりです。執行官さん……」

 声もまた、震えていた。行動する意思はあるものの、心を強く持つ余裕はあまりないらしい。だったら契約を受けなければいいものをと思った所で、答えが出る。

「あら? 執行官様とお知り合いでしたの? いつもだんまりかと思えば姑息なことをしたものね。男の人とのお喋りは得意なのかしら?」

 ヴァルコス嬢のその言葉に、フィリア嬢は首を横に振るだけで、何も応えない。下を向く顔を青くして声を出せない令嬢と、それを気にせず嫌味をまじえて強く糾弾する令嬢。この構図は誰が見ても明らかだ。フィリア嬢は、虐げられているのだろう。


 契約執行官の仕事は、書類が生命だと言って差し支えない。

 だが、現場でしか分からないことも、確実に存在している。


「執行官様? 契約後の賃金は、もう少し下げられませんの? フィリア嬢との契約額としては、些か多いように思えますわ?」

「それは、(わたくし)の管轄外ですので、不満がお有りでしたらご両人で決めてくだされば、と」


 こんなやり取りも、現場での判断に大いに影響する。

 確かに、フィリア嬢の資料を見る限り、彼女自身も令嬢として甘く育てられたタイプのように思える。正しい従者の一人や二人はいるだろう。であるならば、身の回りの世話をどれだけできるかというのは、大人と呼ぶにはまだやや早い彼女たちの年齢から考えると未知数ではある。


 しかし、この契約のルールとしての肝はそこではない。

「まぁ……この子に不相応な金額でも、それを使えるかどうかを決めるのは私なのだから、構いませんわ。従僕に食事や寝床を無料で提供する貴族がいるかは、別ですものね?」

 ヴァルコス嬢の言葉を諌めようとした執事殿にも、彼女は視線の一つも向けなかった。


 それより気になったのは執事殿だ。その年齢から考えても、情報から見ても、彼女の従者ではないことは確かだ。つまりは、彼はヴァルコス家そのものと従僕契約を結んでいる人間だと分かる。これは、資料では分からなかったこと。


――ただ、ルールに則るならば、これこそが正しい従僕契約であると位置づけられる。


「執事殿、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」


 私が執事に言葉を投げかけると、ヴァルコス嬢は執事を強く睨む。その視線に気付いた執事は、やや疲れたように、私へかヴァルコス嬢へか分からない頷きを見せた。


「貴方も、従僕契約をされていますね? それも、かなり長期間と見える」

「ええ……(わたくし)は旦那様にお仕えしております。この老体にはもう、商売をする気概はありません……昔は旦那様と共に悪さもしましたがね、今はただの老木ですよ」


 ヴァルコス嬢はその言葉を聞いて、不敵な笑みを浮かべていた。彼女は、この老齢の紳士までを見下しているのだ。

 ヴァルコス家がどのようにして貴族に成り上がったかは、私の知る所ではない。しかし確かに、彼らの暮らしにはこの老齢の紳士が正しい従僕として存在している。


「ありがとうございます、執事殿――では、従僕契約の執行に移らせていただきます」


 フィリア嬢の顔が絶望に染まっているのが見える。ヴァルコス嬢のニヤつく顔が目に浮かぶが、そちらは見ない。


「最後に、フィリア嬢。執事殿の話を聞いた上で、執行の前に貴方のお考えをお聞かせください。貴方は心から、ヴァルコス嬢に仕え、従僕として日々を終えることを望むのですか?」


 彼女は、婚約契約の件の時に、何も言えなかった人間だ。

 いくら、ヴァルコス嬢に主としての器が欠損していることが最初から、そうして現場を通して理解できたとしても、フィリア嬢に従う意思があるのであれば、ルールとしてこの契約は、成立してしまう。


 一言で良い。


 だけれどその一言が言えない人間は、醜い従僕契約を結ぶことになるのだ。


「今回は、前のようには、行きませんよ」


 やはり、少々出過ぎたことを言ってしまう。もしやこれは、私の悪癖なのだろうか。

 それでも、これはあくまで、事実を言っただけだ。


「私、私は……」


 小さく、息を吸う音。大きく開いた彼女の目が、答えを示していた。


「……嫌、です」

 

 従僕は従僕として主を、主は主として従僕を、認めなければいけない。それを偽ってしまえば、従僕契約は酷く醜い見世物となる。

 しかし、それが正しく履行されたならば、この名も知らぬ老齢の執事――紳士と、ヴァルコス家の当主のような、関係性も作ることができるのだ。


「承知しました。よって、従僕契約の執行は不履行とします」


――だから、この契約など、フィリア嬢が断れば最初から不履行になると決まっている。


「は? 不履行? 貴方に幾ら渡したかご承知の上で仰っていますの? 執行官如きに金を払ったんですのよ?」


 こういう言葉を言われることも、分かっていた。

 フィリア嬢が不安げな視線を私に送っているのが分かる。それもそのはず、ヴァルコス嬢もまた私に接触していたことは、フィリア嬢にとって今知れた事実だ。


 しかし、契約の不履行は覆らない。今回の一件については、明確な悪意が存在していた。賄賂なども言語道断、判断材料は揃いすぎていた。


「幾ら渡されたか、ですか。存じ上げませんね、荷は解き切る前に戻しましたので」


 そう言って、私は先日届いた。私を買収しようと試みたのであろう金が入った包をヴァルコス嬢の前にトン、と置いた。


「金で、人は買えやしませんよ。私も、彼女も」


 フィリア嬢の顔を見て、私は小さく頷く。それからのヴァルコス嬢の暴言については、しっかりと記録して、今度手紙にて罰則を言い渡そうと心に刻んだ。


「だって、金で雇うというのがこの契約でしょう?! 確かに私は金を払いましたわ?! 賃金の交渉こそ致しましたが、それでも私は譲歩して、金は払うと断言したはずです!」


 結局の所、この契約は最初から誤っていたのだ。


「執事殿、このような茶番はもう懲り懲りだと、主殿にお伝え下さい」


 執事に向かってそう告げると、彼は苦笑しながら私に深々と頭を下げた。


 そうして、喧しいヴァルコス嬢の言葉は無視して、フィリア嬢に告げる。


「このように変わられるのなら、やはり変わるべきでしょう。しかしやはり茶番仕事は懲り懲りですよ。フィリア嬢」


 彼女は強く頷く。

 そうして、改めて彼女は、私の名前を問いてくる。その眼差しは、今までとは打って変わって、強いものだった。


「さて……これはまた、困った」


 呟いて、私は曖昧に誤魔化すという逃げの一手を選ぶかどうか、考え込んだ自分に、困惑していた。

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