庭師の日常02
王城に勤める者が通る小路を通って城の中を移動し、一軒の瀟洒な屋敷の裏門に到着した。
小さくとも立派な門をくぐり、慣れた様子で裏庭を進んでいく。
やがて、井戸端で野菜を洗っているメイドとご婦人の姿が見えてくると、
「ただいま帰りました!」
と少し大きな声で呼びかけた。
ご婦人の方がその声に反応し、
「おかえりなさい!」
とこちらも少し大きな声で応じてくれる。
私はそのご婦人のそばまでいくと、もう一度、
「ただいま帰りました。ハンナさん。留守中異常はありませんでしたか?」
と微笑みながら訊ねた。
「ええ。おかげ様でなにもありませんでしたよ。でも主人は退屈してましたね。なにしろ剣術のお稽古相手がいないもんですから」
「ははは。それは申し訳ないことをしました。今日と明日は休みですから、たっぷりお相手させていただきますよ」
「うふふ。ほどほどにしてあげてね?」
「それはどうでしょうか? カイゼルさんのご機嫌次第ですね」
「あら。じゃあまた湿布がいるかしら? シャーリー先生に頼んでおかないと」
「ははは。そこまで激しくはならないでしょう。カイゼルさんもお役目があるでしょうから」
「だといいんだけど……。あの人ったら剣術のことになると子供みたいに夢中になるでしょ? だから、こっちはいつもヒヤヒヤなのよ」
「熱くなり過ぎないように注意します」
「うふふ。よろしくね」
「ところで、マロンのやつは帰ってきていますか?」
「ええ。さっきおやつに糖蜜タルトを食べさせたから、きっと今頃サロンでお昼寝していると思うわ」
「相変わらずですね。じゃあ、私は離れに戻って軽く体を休めておきます」
「じゃあ、あとでメイドにタルトを届けさせるわね。今回のはけっこう自信作なのよ」
「それは楽しみです。では、また夕食の時間に」
「ええ。ゆっくり休んでちょうだい」
軽く会釈をしてその場を離れる。
裏庭を通り抜け、小さな離れに着くと、ようやく人心地着いたような気になり、
「ふぅ……」
と軽く深呼吸をして家の中に入っていった。
荷物を下ろし、防具の類を脱ぐ。
部屋着に着替えてソファにどっかりと腰を下ろすと、さっそく防具の整備に取り掛かった。
傷んでいる箇所は無いか確認しつつ、保護用の脂を塗りこんで磨いていく。
そうしてゆっくりとした時間を過ごしていると、玄関の扉が開く音が聞こえ、
「ユーリ、おかえり! タルトを持ってきたわよ!」
という元気な声が聞こえてきた。
立ち上がって声の主を迎える。
「久しぶり、元気そうね」
「おかげ様で、今回も無事帰還いたしました。ノンナ様」
「もう、やめてよね。そういうの。私とユーリの仲でしょ?」
「ははは。そうだな。しかし、一応伯爵令嬢と居候という線引きはしておかないといかんだろ」
「なにそれ……。まぁ、いいわ。タルト、一緒に食べましょう。ああ、お茶淹れてくるわね」
そう言ってノンナは勝手知ったるといった感じで台所の方へ向かっていく。
私はその様子を苦笑いで見送り、その辺に置いてあった防具を片付け始めた。
防具を自室に置き帰ってくるとソファの上でマロンがくつろいでいる。
どうやらノンナと一緒に戻ってきたらしい。
私が隣に座り無造作に撫でると、マロンは、
「今回のタルトは絶品じゃったぞ」
と器用に片目を開けながら、上目遣いに言ってきた。
「そうか。そいつは楽しみだな」
と言っているところへノンナがお茶を持ってやってくる。
「お嬢様自らすまんな」
そう冗談をいうとノンナは困ったような感じで笑いつつも、
「そうよ。ありがたくいただきなさい」
と冗談を返してきた。
さっそく紅茶をひと口いただき、絶品だという糖蜜タルトに手を伸ばす。
無造作に手づかみで取り、遠慮なくガブリといくと、生地に沁み込んだ糖蜜の濃厚な甘さが口いっぱいに広がった。
しかし、次の瞬間、柑橘の爽やかな香りがほんのりと香ってくる。
(ほう。この爽やかさがあるならいくらでも食べられそうだ……。なるほど、そういう計算の上に作られているのか。さすがはハンナさんだ)
心の中でそんな感想を持ちながら、もう一口ガブリとタルトをかじった。
「どう? 美味しいでしょ。今回は私もお手伝いして一緒に作ったのよ?」
「ほう。それはすごいな。もう、こんなに美味しいタルトを作れるようになったのか。偉いぞ。ノンナ」
「なにそれ。子ども扱いしないでよね。これでももう社交界デビューしてる立派な淑女なんだから」
「ははは。そうだったな。学校は順調か?」
「ええ。お友達もたくさんできたし、授業はちょっと難しいけど毎日楽しいわ」
「それはよかった。たくさん勉強して立派な淑女になってくれ」
「もう。ユーリったら、また子供扱いして」
「ははは。すまん、すまん。ノンナに関しては小さい頃のお転婆さんの印象が強いもんだから、つい、な」
「またそんなこと言って……。いいわ。そのうち、ユーリが驚くような立派な淑女になってやるんだから、見てなさいよね!」
「ああ。いつまでも側で見守らせてもらうよ」
私が苦笑い半分の笑顔で適当にそう答えると、ノンナは、
「……もう。そういうとこだぞ」
と言い、困ったようなため息を吐いた。
「ん?」
と問い返す私に、ノンナは、
「なんでもないわ。それより、今回はどんな冒険をしてきたの?」
と子供のように目を輝かせながら話をねだってくる。
そんな様子を見て私は、
(なんだ、やっぱりまだまだ子供じゃないか)
と思いつつも、いつも通り、ノンナに森の様子を聞かせてやった。
ひとしきり話し終えたところで、窓から西日が差し込んできていることに気付き、ノンナと一緒に母屋に向かう。
「今日はユーリの大好きなハンバーグみたいよ。お母様がウキウキしながらお肉をこねてたから、きっと美味しいのが出てくるわ」
「ほう。そいつは楽しみだな」
「うふふ。ユーリってばほんと食いしん坊さんよね」
と話す私たちの間にはどこか家族を思わせるような温かい空気が漂っていた。
母屋に着くとメイドの案内で家族専用の食堂に入る。
その食堂は伯爵家の屋敷にあるとは思えないほど、質素で、どちらかと言えば庶民のそれに近い感じの場所だった。
「旦那様もすぐに来られます。おかけになってお待ちください」
というメイドの言葉にうなずき、遠慮なく腰掛けさせてもらう。
久しぶりに見る小さな木のダイニングテーブルを見ていると、なんだかとても懐かしい気持ちになった。
そこへこの家の主、カイゼルさんこと、カイゼル・グランフォード伯爵がやってくる。
カイゼルさんは部屋に入るなり、
「明日は休みか?」
と訊ねてきた。
「はい」と答える私にカイゼルさんは嬉しそうな顔で、
「午前中は執務があるが、午後は時間を空けた。稽古するからそのつもりでいてくれ」
と言ってくる。
私はなんとなく苦笑いで、
「どうぞお手柔らかに」
と答えた。
やがて、ハンナさんとメイドがワゴンを押して食堂に入ってくる。
そこからは遠慮のない家族の時間が始まった。
「そういえば、お前がうちに来てからそろそろ十五年か」
「はい。おかげ様で長いことお世話になっております」
「ふっ。最初は執事見習いのつもりで雇ったんだが、世の中わからんもんだな」
「それもこれもカイゼルさんが私に剣を教えてくれたおかげですよ」
「ああ。お前はどこに出しても恥ずかしくない自慢の弟子だ」
「ありがとうございます」
「で。今回はどうだった?」
「異常は特にありませんでした。しかし、奥地で鹿の食害があるかもしれないということだったので、近々隊長と一緒に奥地に行くことになりそうです」
「そうか。あの森の薬草とそれがもたらす製薬産業は我が国の宝だ。しっかり守ってくれよ」
「もちろんです。拾っていただいたご恩に報いるためにもしっかりと働かせていただきます」
「……そう堅苦しいことを言うな。私たちはお前のことを本当の息子のように思っているんだからな」
「ええ。そうよ。ユーリ。あなたはあなたの人生を自由に生きなさい」
「ありがとうございます」
そんな会話で少ししんみりしたところへマロンが、
「お代わりを所望じゃ」
と、あえて空気を壊すような言葉を発し、そこでまた食堂に温かい空気が溢れる。
私はそのなんとも言えない温かさを心にじんわりと刻みながら、
「こっちにもお願いします」
と笑顔でハンナさんに皿を差し出した。




