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序章 ― 勇者、指名される



 大聖堂の奥。

 磨き上げられた白い大理石の床に、天井から差し込む陽光が淡く反射している。

 高くそびえる柱は荘厳で、頭上には何百年もの歴史を刻んだステンドグラス。

 そのガラスは朝の光を受けて七色に輝き、堂内をまるで虹色の海のように染め上げていた。


 中央の祭壇には、一振りの剣。

 深紅の布に包まれた台座に突き立てられているそれは、誰もが知る「伝説の勇者の剣」だった。

 幾世代もの人間がこの剣を抜こうと挑み、しかし誰ひとりとして成功せず、ただ祀られ続けてきた。


 ――その日、その剣が、突如として強烈な光を放った。


 大聖堂に集まっていた人々は、一斉にどよめく。

 祈りを捧げていた神官たちも、観光がてら来ていた町人も、目を丸くして剣を見つめた。


「……え?」


 声を上げたのは、祭壇の隅っこで退屈そうに見学していた一人の少女。

 アリアナ・ブライス、十六歳。

 栗色の髪を二つに結い、茶色の瞳をきょろきょろさせながら、彼女は思わず一歩下がった。


 剣の光が、まるで道を描くように彼女の足元へと伸びてきたのだ。


 ――いやいや、ちょっと待って。

 どう見てもただの町娘である私に、何の用ですか?


「おお……!」

「選ばれたぞ! 勇者が!」

「伝説は真実だったのだ!」


 群衆が一斉に沸き立つ。

 口々に歓声を上げ、拍手し、涙ぐむ人までいる。

 大聖堂の空気は一気に祝祭のような騒がしさを帯びた。


 当の本人――アリアナだけが完全に取り残されていた。


「ま、待ってください! 私、そんな……!」

「アリアナ・ブライスよ! そなたこそ選ばれし勇者だ!」

「これで魔王も滅びるぞ!」


 神官の長老らしき人物まで立ち上がり、荘厳な声で宣言する。


 ――いやいやいや。


 料理はそこそこできるけどよく焦がすし、弟たちの喧嘩を止めるのだって毎回母に助けてもらう。

 剣なんて握ったこともない。

 勇者? 世界を救う? いや、ほんと冗談でしょう!?


 しかし、群衆の熱狂はとどまることを知らなかった。

 人々に押し出されるように祭壇の前へ進まされ、気がつけば神官の手で勇者のマントを羽織らされていた。

 頭に花冠まで載せられて、まるで結婚式の花嫁のような気分。


 アリアナの小さな抵抗の声など、誰の耳にも届かなかった。



 そして翌朝――。


 早朝の空は澄み渡り、鳥のさえずりが町を包んでいた。

 まだ店の準備が始まったばかりの通りを抜け、アリアナは自宅の前に立っていた。


 石畳の道の向こうには、緑豊かな丘と遠くに霞む山並み。

 その山脈の向こうには、魔王の領域があるという。

 けれど今のアリアナにとっては、ただ「行きたくない場所」の象徴でしかなかった。


「アリアナ、身体に気をつけるんだよ」

 母が涙ぐみながら娘を抱きしめる。

 父は大きな手でアリアナの頭を撫で、無骨な声で「しっかりやれ」と言った。

 弟たちは無邪気に跳ね回りながら、「姉ちゃん、勇者とかカッコいいじゃん!」「おみやげよろしくね!」と騒いでいる。


 ……違う。違うんだ。

 私はカッコよくもなければ、おみやげを買いに行くわけでもない。

 そもそも出発したくない!


 だが、家族の温かい見送りを前にして、アリアナはもう何も言えなかった。

 結局、押し出されるように街道に立ってしまったのだ。


 背には大きな荷物。

 手には「伝説の勇者の剣」。

 ――ただし中身は旅の準備を母が勝手に詰め込んでくれた鍋や保存食、針仕事道具まで入った“生活感満載”の荷物だった。


 街道の先は緑の丘陵地帯。

 遠くには煙を上げる小さな村の屋根が見える。

 行商人の荷馬車が軋む音を立てながら通り過ぎ、旅人が軽快に口笛を吹きながら歩いていく。


 アリアナだけが、取り残されたように立ち尽くしていた。


 しばらくの沈黙のあと。

 深くため息をつき、肩を落とし、アリアナは声を張り上げた。


「それでは世界を救ってきます……いや、無理でしょ!?」


 その叫びはあまりに大きく、道行く旅人たちが振り返り、荷馬車の御者まで怪訝な顔をするほどだった。

 空は青く澄み、遠くの山にかかる雲はのんきに流れていく。


 こうして――。

 “普通の町娘”アリアナ・ブライスの、前途多難な勇者の旅が幕を開けたのだった。


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