MPのMは何のM?
俺はスマホを片手に、Discordの通話アイコンをタップした。
たまには仕返ししてやろう。アメリカは今、深夜のはずだ。
数秒後、通話がつながる。
「Yo! カズ? なになに、こんな時間にどうした?」
あっさり元気な声が返ってきた。まったく眠そうじゃない。
「……この前の件で、ちょっとお前の意見聞いてみたいことができてな。大丈夫か?」
「OK、こっちはまだ普通に活動時間だよ」
「……え?」
「昨日も3:00AMくらいまで小説読んでたし、今ちょうどRedditの陰謀論スレ漁ってたとこだし」
そうだった、こいつは夜更かしのプロだった。
「……そういうやつだったよお前は」
「ほめられると照れるな。で、聞いてみたいことって何?」
「MPって、そもそもなんなんだろうなって。お前、前に“リソース”って言ってたよな」
「お、いいね。じゃあまずそこからいこう」
ダニエルの声に熱がこもる。やっぱりこういう話題になると全開だ。
「MPって、今でこそresource of magicみたいに扱われてるけど、最初からそうだったわけじゃない。たとえばD&D初期――MPなんてなかった」
「なかった? じゃあどうしてたんだ」
「呪文の使用回数が決まってた。今日はレベル1のこの呪文とこの呪文を使えるって感じ。呪文は前もって選んで準備しとく必要があった。pray to God、力を借りるイメージだな。唱えたら消える」
「なるほど。つまり、MPって元は使う許可の数だった?」
「Exactly。で、そこから数値化されたのが、諸説あるけど有名なのは日本のRPG。ドラクエで初めて“MP:○○って数が出てきた。魔法を使うたびにMPが減って、ゼロになれば使えない。それが今のMPの始まり」
「リソース管理って発想か」
「うん。どの魔法をどう配分するか、プレイヤーの裁量に委ねるシステムになった。呪文の許可を得るんじゃなく、リソースをやりくりする。ここが大きなparadigm shifだった」
そこまで聞いて、俺はふと違和感を覚えた。
「……でも、それってさ、神の力を人間が管理できるようになったって話じゃないか?」
「Exactly。そのとおり。神から借りていた力を、自分の中にある数値として持つようになった。祈らずとも使える、再現可能な技術としての奇跡――それがMP」
「つまり、奇跡が技術に変わったってことか」
「うん。そしてもう一つ大きなポイントがある。力は神のものから、力は自分の中にあるって考え方への転換。Paradigm shiftだよ」
「でもさ、日本的な感覚だと、それってあんまり違和感ないかもしれない」
「というと?」
「法力とか神通力とかって、外から与えられるもんじゃなくて、修行したり悟ったりして得た自分の力だろ。弘法大師様とか、山伏とか。神や仏に近づこうとする存在は、自ら鍛えて神聖な力を得たってイメージあるし」
「なるほどな……つまり、power from Godを借りるんじゃなく、自分を神にチューニングしていく感覚か」
「そう。だから魔法が自分のMPから出てくるって設定も、あんまり抵抗がない。鍛えた結果そこにある、みたいな」
「That’s exactly what scares me.
その発想は、一神教からはたぶん出てこなかった。
俺らにとって神は、The Other。
人間が近づこうとしただけでバベルの塔は崩された。
越えてはならない一線ってやつだよ」
「つまり、魔法を扱えるって時点で、その一線を越えてる?」
「そう。MPっていう概念そのものが、神の領域にあった力を、地上に引きずり下ろした証なんだ。
昔は祈ってしか触れなかった奇跡を、プレイヤーが自分の裁量で起こせるようになった。
ありがたみもmysteryも、costも、MPコストに置き換えられた。」
俺は息をのんだ。
「……つまり、MPって、祈りじゃなくて、管理の対象にしたってことか」
「Exactly。数値にした時点で、managementできるものになる。管理できるものは評価される。“奇跡の平等化”だよ。誰でも、訓練さえすれば同じ魔法が使える」
「それって……なんか、すごいことのようで、逆に怖いな」
「そうなんだよ。たしかに魔法を techniqueとして使えるようになった。でもその分、奇跡の輪郭はあいまいになった。どこからが奇跡で、どこまでが努力の成果なのか――境界がなくなってきたんだ」
ダニエルの声には、どこか寂しさが混じっていた。
「文化によって、miracleの定義そのものが違ってたのにさ。
MPって数値が、その違いをごっそり均して、翻訳しちゃった。
信仰や文化の違いを超えて、魔法=MP消費っていう共通言語ができあがった。
便利だけど……ちょっと、空しいよな」
「でもさ、よく考えると、現実にもそういうMPっぽいものあるよな。創造力とか集中力とか」
「Exactly。数値化されてないだけで、実際には消耗するし、回復も必要。
創作のラストスパートとか、勉強の追い込みとか、まさにMP切れだよな」
「徹夜明けのMPゼロ状態とか、マジであるな……」
「そして今、その見えないMPを数値化しようって動きが現実にもある。
もしそれが完全に管理可能になったら……俺たちは人間じゃなくなるかもしれない」
「……つまり、MPを定義したその瞬間から、人類は祈る存在じゃなくなったってことか」
「うん。prayからmanagementへ。
それがMPの持つ、いちばん深い意味だと思ってる」
しばらく沈黙が流れたあと、俺は静かに言った。
「……ありがとな、ダニエル」
「おう。またな。Good night—or Good morning?」
通話を切ると、スマホの画面が元のホームに戻る。
時計は午後4時半。
窓の外には、やわらかい西日の名残が部屋を染めていた。
ぼーっとした頭でSNSを開くと、たまたま流れてきた記事が目に留まる。
――『脳波で操作するインターフェース、ついに実用段階へ』
――『心の中をスコア化? 就活・教育現場で注目される情動センサー』
――『冷戦期、某国が超能力兵の研究を行っていた極秘文書が公開』
スワイプする指が止まった。
たった今まで語り合っていたMPの話が、どこか遠いファンタジーじゃない気がしてくる。
神の力の数値化。
どこまでが想像で、どこからが現実なんだろう。
その境界線は、思っていたよりも、ずっと曖昧になっているのかもしれない。
「……MPって、マジであるのかもな……」
誰に言うでもなく、ひとりごちた。
もう一度スマホを伏せて、仰向けに寝転ぶ。
天井の向こうにある、まだ知らない世界を、なんとなく想像しながら。
祈るでもなく、考えるでもなく、ただ――
少しだけ、怖くなった。
……怖いというより、もう戻れない場所に、足を踏み入れてしまった気がしていた。