翻訳スキルは翻訳スキルじゃなかったんだよ
「Yo カズ、why 異世界ってどの作品でも翻訳スキルが必要なんだ?」
深夜1時すぎ、Discordの通知が光った。
画面に映ったのは、アメリカの大学寮らしき部屋。散らかった机の向こうで、いつものごとくテンション全開の男――ダニエル・リヴァースが語っていた。
メディア文化論専攻の大学生。俺が留学中に知り合って、日本の暗黒面、つまりアニメを含むサブカルチャー文化を教えてしまったせいで、すっかりオタク思考に染まってしまった。
……あの夜のノリは一生忘れられないし、正直少しだけ、いや結構後悔してる。
「言語が違うからだろ?」
当然の答えを返すと、ダニエルはニヤリと笑った。
「Yeah, I get that, でもさ、それって完全にEarth-based assumptionじゃん?
逆に言えば、なんで俺たちの世界には地域ごとに言語が分かれてんの?って話になるだろ?」
……出たよ。また面倒くさいスイッチが入った。
「言語分化なんて、地域性とか文化的背景の積み重ねだろ。理屈で説明できるじゃん。」
「Yeah, I get that!
でもな、異世界的視点で見れば、それってバベルの罰っていうmythological protocolが起点なんじゃないかって考えもあるわけよ。」
「神話ベースの設定を現実の言語学にぶつけてくんな……」
「でも聞けよ。RedditのBabelProtocolスレッドで見たんだけどさ、
バベルの塔事件って地球ローカルの呪いなんじゃないかって仮説があるんだよ。」
「呪いが……ローカル?」
「そう。言ってみれば、バベルの罰は地球ってOSに配布された限定的アップデートなんだよ。
もし異世界がその範囲外にあるなら、言語が統一された状態――いわゆるOriginal Unified Languageがそのまま維持されててもおかしくない。」
「Windows Update扱いかよ……」
「なんといっても創世記には全地が一つの言葉ってちゃんと書いてあるだろ?
だったらさ、異世界がバベル前の状態、もしくはNo Update空間だったら、翻訳スキルなんていらないんじゃね?っていう仮説が立つ。」
妙に理屈が通ってるようで、通ってないようで……いや、たぶん通ってない。
でもダニエルの熱量に押されて、つい聞き込んでしまう。
「要するに、異世界ではバベルの罰が未適用なんだとしたら、言葉が通じないって前提自体が成立しないってわけだ。」
「そもそも、異世界に聖書の概念があるかどうかも怪しいだろ。」
「Exactly!そこなんだよ!バベルってのは地球上の特定の宗教圏に属する神によるintervention。
だったら異世界が別の宗教圏(というか異体系)の管轄なら、その罰の適用外=safe zoneなわけよ。」
「……やべぇな。お前ほんとにそれだけで卒論書きそうだな。」
「いける気がしてる!」
その自信はどこから来るんだ。
「でもまあ、考えてみろよ。異世界が言語統一された空間だったら、翻訳スキルってのは何をしてるんだろうな?」
「確かに。翻訳不要な世界で翻訳スキルって存在自体が矛盾してるような気がするな。」
「そこだ。俺の仮説だが、翻訳スキルってのは、
地球側の|Punished Languageが異世界のPure Languageに混ざらないようにする何かだとしたらどうだ。」
「……混ざらないようにする何か?」
「そう。俺らの言葉が通じないのは意味の違いじゃなくて何かNoiseが邪魔してるんじゃないか?
この世界の言語空間にNoiseが染み込んでる。翻訳スキルはそれを濾すシールド。」
「つまり、異世界では言葉が通じないって概念がないのに、こっちの言語がノイズだらけだから理解できないってこと? シールドってよりノイズキャンセラーじゃないか?」
「That’s right. ノイズキャンセラーでもフィルターでもいいと思う。が、シールドにしたのは意味があるんだ。まず翻訳スキルがあると、ノイズを遮断して|clean communicationが可能になる。
でも、もしそのスキルが最初は働いてたとして、途中で消えたらどうなる?」
「……話が通じてた相手と、急に通じなくなる。そりゃ混乱するだろうな。」
「そう。その混乱だ。
人間って、言葉が通じなくなるとジェスチャーしたり、叫んだり、何とかして何かを伝えようとするだろ?
その試行錯誤が、あっちの言語空間に罰のノイズを引き込むアリの穴になるんだ。」
「どういうことだ?」
「ここでちょっとノイズについて考えてみろ。俺やお前はバベルの罰から何年たってると思う?」
「知らんがな……」
「そりゃそうだ。俺も創世記の出来事がいつだったかなんて知らん。だが、標準的に違う言語と感じられる表現をしてるってことは、罰は感染して継続してるってことだ。」
「ん。まあ、そう……かな?」
「これはノイズの混ざった言語を使ってるとノイズが伝染するってことを意味してる。そこで話を戻すが、異世界でスキルがなくなったらこのノイズの混じった言語を聞いて理解しようとするってことになる。てことは……」
「おいまて嫌な予感しかしねえぞ」
「異世界で使われてる原初の言語にノイズを感染させることになる。俺たちが異世界にバベルの罰を届けることになるんだ。なにせcommunicationそのものが、罰のノイズを運ぶpathになるんだからな。翻訳スキルはそれを塞ぐ結界。だからシールド表現にしたわけだ。だから、それが壊れると、一気に世界は言語の黙示録状態に突入するわけだ。」
「……映画化できそうだな。」
「脚本書こうかと思ってる!」
そこまで真顔で言うな。
「また何かあったらDiscordするよ! 今日は楽しかった、See you!」
あの野郎、次回はせめて時差を考えろという前に切りやがった。
通話を切ったあとも、俺はスマホを見つめたままだった。
言葉が通じるって、本当に当たり前のことだったんだろうか。
翻訳スキル――それは、もしかすると、ただの便利なガジェットじゃなくて、
世界を守る封印なのかもしれない。
そんな考えが、頭から離れなかった。
寝つけず、SNSアプリを開いて、タイムラインをぼーっと眺める。
意味不明な略語、ミーム、流行語、文脈なしの引用合戦……。
……何言ってるのか、全然わからない。
ネット歴はそこそこ長いはずなのに、まるで別言語だ。
言葉が通じないって、案外こんなに身近なことだったのかもしれない。
「……バベルの罰って、案外まだ終わってないのかもな。」
自嘲気味に笑いながら、俺はスマホを置いた。
でも、胸の奥に残ったざわめきは、どうしても消えてくれなかった。