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第79話 宙の夢、流の曲 1

 (じゅん)は大穴を見おろして震えていた。


「しず……、御影さん……」


 二人の姿はすっかり暗黒の中に消えてしまった。今頃どうしているか、想像もつかない。


 そのとき、かららん、と乾いた音がした。

 なにかが通路の下、穴の(ふち)に転がったのが見えた。


 准が目を凝らすと同時に、穴の縁に光が瞬いた。直後、准のよく知る三人の人物が、その場に転がりでた。


(がい)さん? (すい)さんに(せん)まで!」


 天海や望夢(のぞむ)が目を丸くする中、ひゅう、と斑葉(いさは)が口笛を吹き鳴らした。


「〈(リュウ)〉は消えたってのに、意志の残響か」


 准はそれを聞くまでもなく、准はとっさに天狼の姿になって通路を飛びだし、三人のもとに舞いおりて変身を解いた。


「准じゃねぇか! ってことは、ここは王都か?」


 鎧が大きく目を見開いて周囲を見回す。


 立ち並ぶ巨大なドームと、その間を張り巡らされた水路に空中通路、脇の大穴。そして中空に無数に浮かんでいる、世界中の光景を映した球。


 鎧は目を白黒させながら言った。


「あんなことのあとじゃ、もう驚きはせんと思ってたが……王都ってのは、けったいなところだな、彗」

「いや、俺の知ってる王都とはだいぶ違いますね」


 鎧と彗が言いあう横で、扇が床からなにかを拾いあげた。


「これは、私の……いや、御影さんの」


 それは一対の義足だった。

 扇は皆の視線を受けながら、静かにつぶやく。


「これはもともと私のものだったのです。この場に私たちが呼ばれたのは、きっと」


 義足を握りしめ、扇はゆっくりと准に顔を向けた。


「御影さんに、なにかあったのですね。ひょっとして、しずさんも」

「あ……」


 准は答える言葉が出てこない。


「二人は、今……」


 言いよどむ准を、三人が固唾(かたず)を呑んで見守る。


「しずは、世界からすべての〈流〉が消えた今、自分が青き〈流〉として世界に響くと言って、御影さんとともに、その穴に……」


 声が震えるのをこらえ、准はなんとか伝える。


「そんな」

「しずちゃん」


 彗と鎧がぽつりとこぼし穴を見つめる。そこにはごうごうと水が流れこみ、深淵が口を開いている。扇が義足を抱いて言った。


「しずさんはそういう……自分を投げだすような決断をするんじゃないかと心配していました。でも、きっと帰ってくるはずです、皆で信じましょう」


 准はぽかんと扇を見つめた。静湖たちが帰ってくる、それを考えもせずにいた自分を恥じ、心に希望がわくのを感じた。


 ──僕が信じなくてどうする……!


「……うん!」


 准は大きくうなずいた。



 ゆらゆらと海が揺れていた。

 いや、空だろうか。


 光る波が走り、すべての色を内包してなお青く輝いていた。


 そこには音楽が満ちていた。あるいは音楽の予感が。いまだ音楽とはならず、響くための力をあふれさせる寸前の予兆が、青の海、ないし空には満ちていた。


 その中を、静湖(しずみ)はたゆたっていた。


 静湖もまた、響き渡る寸前の音楽をかかえていた。あふれそうな力が静湖を静湖たらしめていた。芽吹く間際の音楽のつぼみは、今にも花弁を震わせそうだ──その印象が静湖のすべてだ。


 体はない。世界は見えているが、顔も目もない。いや、見えているのだろうか? もし目が現れて、それを開けることができたら、もっと違う光景が見えるのかもしれない。


 そう思ったとき、()()()()()()


「わっ、見えた」


 口も現れ、言葉がこぼれた。そして静湖は自分という器に──体に収まった。それとともに、萌芽しそうだったつぼみの音楽は、心のどこかつかめない領域へ遠ざかり、どんな曲だったのか、もう感じられなくなっていく。


 一方で目の前には、登り階段が現れた。陽炎のように金色にゆらめき、夢の中のものであるかのように階段以外にはなにもない。その上には誰かがいる気配があった。


「どうしよう」


 静湖は少しためらった。体に収まってみると、あるべきものが取り去られたような、抱きあっていた半身が消えたような空虚を感じた。ごっそりとなにかを忘れていた。ここに来るまでのことも、大切なもののことも。


「でも、行かなきゃ」


 ここにいても仕方がない、と静湖は階段に足をかけた。

 登っていくと、階段の脇に世界が広がっていった。


 花々が咲き誇り、鳥や虫が遊び、木々が枝葉を広げ、その向こうにはあの海ないし空が波打っている。青い海や空から、さまざまなものたちが虹色に生まれでて、形をとっていく様が見えた。


 波打つ海ないし空は原初の根源、あるいは混沌。花や木や生きものはそこから生まれでている音楽だ、と感じられた。音楽は花そのもの、木々そのものになるのではなく、花に虫がもぐる様を、鳥が枝を飛びたつ様を響かせていた。そこには〈流〉が生まれつつあるのだ、と静湖はどこかで知っていた。


 それらに目と耳を遊ばせるうち、頂上にたどりついた。

 大理石が並べられた場に、淡い天空から星々を表した金銀の装飾が垂れ、しゃらしゃらと音を立てて揺れていた。


 中央には七角形の神座があり、黄金に輝く神像が座していた。その前には、大きな卵のようなものが浮いている。透明な殻の中には、ひざをかかえてうずくまる子どもの姿があった。


白流(しろる)……!」


 白流は透きとおった殻の中に守られ、(ひざ)に顔をうずめて動かない。神座に向かいあって瞑想をしながら永年を過ごし、いつしかその思念が殻を形づくったかのように、神像に見守られていた。


 静湖はそばに近寄ろうとして、ぎょっとした。

 黄金の肌に薄布をまとった神像が、あぐらをかいた足を組みかえ、思案するように(あご)に寄せていた手を膝につき、静湖のほうに顔を向けたのだ。


 静湖は神像の視線に(とら)われた。いや、像ではなく生きた存在だ。


「よく来たな、青流(あおる)


 神像のような男が、ゆっくりと場に声を響かせた。


「あなたは……黄金流(きんる)?」


 静湖が尋ねると、男はすがすがしい表情でうなずいた。


「さよう、黄金流と呼ばれる者だ」

「白流はどうしてしまったの?」


 静湖は不思議と黄金流に気圧されることなく、旧知の相手であるかのように尋ねていた。黄金流は金色の腕を組み、卵のようなものに目をやった。


「泣き疲れて眠り、心を閉ざしてしまった。もとはこんなに幼くはなかったのだが」


 静湖は殻の中の白流をうかがう。眠っている姿はあどけない。子どもでない白流を想像することはできなかったが……。


 黄金流は卵のようなものから目をあげると、静湖に語りかけてきた。


「久しいな、青流。君をこの場に呼んだのは私だ。でも今は青流と呼ばれても響かないかな。私のことも覚えていないだろう」


 静湖はその言葉で、自分のことに引き戻された。

 あふれるような音楽を、忘れてしまった。


 その音楽で、なにかをしようとしていた。その音楽は、響き渡る場所を待っていた。

 自分はなにをしようとしていたのだったか──。


「……いろいろなことを、忘れてしまって」


 静湖はそう言いながら、神座に近づいていった。


「この場所はいったい? あなたは神様みたいですね」


 黄金流は腕組みを解いて、ははは、と笑った。


「神として慕われたこともある。表の世界の私は〈反転〉を起こしかけた〈流〉として、長らく〈流の炉〉に眠らされていた。それからは神を気取って王都を、王国を眺めていたよ。この座からね」

「波空の神様……」

「そんなたいそうなものじゃない。君と同じ〈流〉の王と呼ばれる存在だ」


 そっか、僕は青流なんだ──と静湖は素直に感じた。

 だが黄金流は親しみに満ちた表情をくずし、重々しく目を伏せた。


「今、表の世界での戦いによりすべての〈流〉は力を失い、形を失い、混沌の中に溶けあっている。私と白流ももうすぐこの姿を保てなくなるだろう。そうなる前に、君と話がしたくて待っていたのだ」

「僕と話がしたくて?」

「ああ。〈人〉として生きる君に、伝えておきたい話があるのだ──この世界はどうして生まれ、これからどうなるべきか」

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