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第76話 消えた流

 大穴の光はますます輝いて(ふち)からあふれ、あまりのまばゆさに、落ちていった(あかり)の姿を探すことはできなかった。


「これが赤き〈(リュウ)〉の決断だったのですね」


 声に振り向くと、御影が立ちつくしていた。その言葉が終わらぬ間に、あたりの交響曲がうねるように盛りあがった。重なりあう音楽を貫くように、(とき)の声を思わせる歌が(とどろ)いた。


「灯さんの歌だ……!」


 (じゅん)が地下空間の彼方を見つめ目を細める。

 そこには音楽が響き、〈流〉の戦いを描くかのようだった。


〈流〉たちの交響曲は、もはや器楽として聴こえはしなかった。世界に満ちるのは歌だった。幾筋もの流れとなり、色彩を響かせあう〈流〉の歌。遥かな山脈の絶頂のごとき白金の歌と、そこに立ち向かう風雲や流星のような、赤の歌、緑の歌、黒の歌。色彩たちは二つの流れにわかれて戦っていた。天と地、影と光、夢と(うつつ)ほどにも相反しながら。


「各地で、戦いが」


 望夢(のぞむ)が声をあげる。あまたの球の向こうの景色に、異変が起きていた。夜の深まった王国各地では、再び〈(ソラ)〉の裂け目が急速に広がっていくのが見えた。地割れのように、稲妻のように、あるいは薔薇の花弁のように、世界がひび割れて〈宙〉がのぞく。そこに夜が流れこんでは傷を溶かしてふさぎ、それが癒えぬうちにまた裂けていく──いたずらな世界の表裏の追いかけっこの中、人々が逃げ惑っていた。


 むやみに世界が傷つけられていると思えたそのとき、突如として、戦いあう二つの歌声が差し違えるかのように交錯した。


 世界に響く音楽が、瓦解する。


 歌いあっていた味方同士の歌すらもこじれてばらばらになり、立ちはだかっていた白金の響きは、地に堕ちて不気味な吼え声となった。


 御影はオルガンに駆けより、譜面台を凝視して蒼白になった。


「これは」


 静湖(しずみ)は准と身を寄せあいながら、崩壊していく音楽に震えるしかなかった。


〈流〉たちの歌は、だんだんにもろく弱くなり、ゆがみながら薄れていき、曲の形を保つことをやめていく。そして耳鳴りのような不協和音を残して、すべての響きがふっと消え失せた。


 ──世界から音がなくなった。そう感じられた。


 やがて聴覚がごうごうという水音を拾ったが、体からひとつの器官が失われたかのように空虚が響くだけだ、と静湖には感じられた。光を噴きあげていた大穴からも一切の輝きが消え、深淵に黒々と水が流れこむばかりだった。


「〈流〉の力が消えた」


 御影が譜面台に目を走らせながら、焦った声でつぶやく。

 望夢の震える声があとに続いた。


「世界の動きが、止まりました」


 周りの球に映る王国各地は、荒れ果てていた。


〈宙〉の裂け目はいまだ多く残され、ひとつの町が、砂漠が、山が、透明な闇を思わせる〈宙〉に呑まれている様子も映っている。その境界はそれ以上、拡大することもふさがれることもなく、静止していた。暴れまわっていた怪物が、世界の景色にしみこんで眠ったかのようだった。


 元来の世界と〈宙〉という裏地の世界は混在し、つぎはぎを合わせた布のように隣に並んでいた。せめぎあう力はもはやなく、裂け目はただ虚無として口を開いていた。


「どうなってしまったの……?」


 准が弱々しく声をあげる。


「世界からすべての〈流〉が消えたよ」


 この場の者のものでない声が上空から響いた。


 声とともに、白いざんばら髪の少年がマントをはためかせて現れ、通路にふわりと降り立った。手には、銀光りする鎌をたずさえている。


 静湖は思わず目を見開いた。その姿は、幼い頃に読み聞かされた物語の中の死神のようだ──が、静湖が恐怖を感じる前に、望夢がつかつかと少年に近づいていった。


斑葉(いさは)さん、それは確かなのですか。〈流〉が消えたとはどういうことです」


 斑葉と呼ばれた少年は、ひょうひょうと答えた。


「言葉通りさ。僕には世界の斜め上に立ち、生と死を見つめる目がある。王都の住人をはじめ、この騒ぎの中で〈流〉になっていた〈人〉も消えた。すべての〈流〉は〈流〉の王たちの争いに巻きこまれ、力を吸いあげられ……最後には、相打ちになった二つの流れの中で相殺されて消えたよ」

「相打ち……?」


 准が息を呑む。皆があっけにとられていた。

 望夢が動揺した様子で、斑葉に詰めよる。


「世界の大半は荒れ果てています。あの裂けた傷跡はなんですか? 調和を望む〈宙〉の意思が働くはずではありませんか? 〈流〉の力は〈宙〉に満ちているのでしょう?」


 斑葉は、望夢の言葉を一笑した。


「世の終末に大戦が起こされて、双方が全滅したようなものさ。世界を助ける力は、もうないよ」


 ──僕はまだここにいる。


 静湖ははっとして両手を見つめ、体を抱いた。

 自身の中で何者かが、確かな声をあげていた。


 ──僕はまだここにいる。消えてない。まだ戦える、まだ癒せる。世界に流れていた音楽は、世界の()()は、こんなところで終わってはいけない──!

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