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第73話 宙の裂け目

 衝撃波が去ったのち、静湖(しずみ)たちはあたりの様子に息を呑んだ。弾けた龍が引き裂いていったかのように、床や水路、反響装置の上に、そして中空に、幾筋もの亀裂が走っていた。広大な場が、大穴を中心にして、見果てぬ彼方までも大小の傷に切り裂かれている。


 亀裂の向こうは、ぎらぎらと銀色の輝きが満ち、空間がゆがんでいた。

 光を煮詰めたようにも、影を重ねたようにも、透明なゆらぎのようにも見える。


「うぁ……っ」


 静湖たちは亀裂と亀裂の間に残された場に、なんとか身を寄せる。周りでは見る間に、びりりと空間の裂け目が広がり、まるで怪物が口を開くようにしていくつかの反響装置を呑みこんだ。ドームの輪郭が海に沈んだようにゆらぎ、やがて溶けていく。


「これはなんなんだ、御影!」

「〈(ソラ)〉が裏返っているようです。絶対に触れないように」


 天海の叫びに、御影が厳粛(げんしゅく)に答える。


〈宙〉の亀裂は広がっていき、静湖たちは大穴のそばへ追い詰められた。そこにはまばゆい光が噴きあがり続けている。それもまた触れてはならないものであることは明らかだった。


「〈宙〉に呑まれてしまったら、どうなるんですか」


 (じゅん)がこわごわと尋ねると、御影は険しい顔で答えた。


「〈宙〉には音楽以外の存在はありません。少なくとも体はなくなる──」


 そのとき、〈宙〉の亀裂が両側から拡大し、皆に襲いかかった。


「わぁっ」

「静湖、危ない!」


 思わず腕で顔をかばった静湖は、天海に抱きよせられ、そのまま転がった。〈麗星(レイセイ)〉、〈櫂覇(カイハ)〉、と〈(リュウ)〉の名を呼ぶ御影の声が耳元で響いたかと思ううち、体が回転し、景色がめまぐるしく流れた。


 先ほどまで立っていた場所が〈宙〉に呑まれるのを、気づけば静湖は見おろしていた。


 天海に抱きしめられるまま、体は虹色の球体に閉じこめられていた。球体はふわりとしゃぼん玉のように浮遊しながら、頭上に張りめぐらされた空中通路に至り、ぱちんと弾けて静湖と天海を通路に着地させた。


 御影も、准も(あかり)もが、虹色の球体によって通路へ運ばれていた。

 あたりには同じ球体があまたに浮かんでいる。


「皆、無事でよかった」


 凛とした声がし、通路の奥がゆらいだかと思うや、その場に少女が現れた。


望夢(のぞむ)!」


 静湖と天海は声をあげる。


「皆、間一髪でしたね、よかった。ですが王国各地は今──」


 望夢は影のある表情で両手を広げた。あたりに浮かぶすべての球の表面に、景色が流れだす。


 夜の光景だった。馬車の行き交う街角、灯りのもとににぎわう市場、森の集落、湖をのぞむ神殿、あるいは帰り道をいく親子や笑いあう若者。そのそばの暗闇が突如、銀色の輝きをぎらつかせて裂け、異空間が口を開けた。


 それは、今なおこの場でも広がり続けている〈宙〉の裂け目に他ならなかった。


〈宙〉に人が呑まれる様子が映る。巻きこまれた者は、輪郭をなくしていき、王都の住人を思わせる影の姿となった。人々を影に変えながら、〈宙〉は夜の中を広がって家も木々も呑みこみ、周りの者は恐慌状態になって逃げ惑っている。


 王国各地が、危機に見舞われていた。

 望夢は目を伏せ、誰へともなく問いかける。


「王国全土に〈反転〉の力が放たれたのですね」


 静湖は、どうしよう、と球の景色に釘づけになった。自分たちも今にも裂け目に呑まれてしまうかもしれないという恐怖よりも、王国各地がめちゃくちゃになっていく様子に焦りがつのった。それは御影をはじめとした皆も同じであるようだった。



 御影がはっとして、通路の奥へ駆けていく。


 その先には、壊れたパイプオルガンが座していた。上方へ伸びたパイプの列はひしゃげて砕け、二段の鍵盤と足元のペダルは焼けこげている。白流の雷撃によるものだった。


「ひどい壊れようだ」


 天海の言葉に、御影はええ、と短く答え、オルガンの周りの配線に手を伸ばし、鍵盤の周りの操作盤を叩いていく。


「譜面台と鍵盤を再現できるか、〈麗星(レイセイ)〉、〈櫂覇(カイハ)〉」


 御影がつぶやくと、義足であるはずの両足の膝下が淡く発光し、そこから輝く配線が周囲に伸び、光の器械のようなものを形づくっていった。それは光の幻でできた三つの鍵盤と、いくつかの譜面台だった。


 御影は光の鍵盤を持ちあげて移動させ、壊れたオルガンの上にそっと置いた。二段鍵盤と足元のペダルに、幻の鍵盤がそれぞれ覆いかぶさり、輝きながらなじんでいった。光の譜面台は、オルガンの脇に配置されると黒い盤面になり、そこには白い音符や記号がひとりでに流れはじめた。


 静湖は驚きながらオルガンに近寄っていく。御影は口早に説明した。


「今、譜面台に流れているのは、炉の中の〈流〉の響き──〈反転〉の力を世界に放っている〈白流〉と〈黄金流(キンル)〉の音楽です。楽曲の形を成してはいませんが、このような聴こえない音楽が鳴っているのです」

「その音楽が〈反転〉を起こしているの?」


 静湖の問いかけに、御影は、ええ、とうなずく。


「そしてこのオルガンは〈流の炉〉の〈流〉の制御装置。鍵盤は反響装置につながれていて、〈流〉の音楽を()()()()()ためのものです」


 静湖は小さく首をかしげる。


「弾き換える?」

「そう。この装置は長年〈黄金流〉の音楽を弾き換えて〈反転〉を起こさないように抑えてきました。白流は〈反転〉の響きを大陸中に放っていますが、この装置は、〈反転〉を抑える音楽も鳴り渡らせることができるはずなんです──!」


 御影の声には焦りがにじんでいた。白流に破壊されてなお、この装置に希望をたくす御影のすがるような思いが、静湖にもひしひしと伝わってくる。


 御影は、幻の鍵盤の重なったオルガンの上に指を置いた。

 周りに展開した譜面を──この場の〈流〉の響きをじっとにらむ。


「〈反転〉を弾き換えます。こんな破天荒な譜面を見るのははじめてですが、旋律をなだめたり、不協和音をほどいたり、やりようはあるはずです……!」


 御影は大きく息を吸い、演奏をはじめた。

 幻の鍵盤とペダルから、星を鳴らすような儚げな音が響き、地下空間のすべてに広がって吸いこまれていく。


 皆が息を詰めて見守った。


 オルガンの音はあまりに弱々しかった。大陸中に音楽を響かせる力があるらしい反響装置も、いくつかはすでに〈宙〉に呑まれ、機能しているか定かでない。


 時が経つにつれ、流れる譜面は複雑になっていった。〈反転〉の音楽が入り乱れているのだろうか。御影の額には冷や汗がにじみ、片手や足元の演奏を途切れさせ、危うく曲をつないでいた。


 流れてくる譜を見つめているうち、静湖には、聴こえはしない〈流〉の音楽こそが浮き彫りになって感じられた。


 どんどん複雑になっていく〈反転〉の音楽。そこには意志がある。心が世界に放たれている。ああそうか、白流が今、全霊で歌っているんだ──世界に未来を創るという白流なりの創世の歌を──。


 静湖は御影の背に抱きついた。


「御影、音楽を弾き換える、って型にはめて考えないで。〈反転〉の音楽は白流の思い、意志なんだ。それなら僕たちも、音楽を通して意志を伝えて、対話しなきゃ」

「静湖様……?」

「僕はこの世界の混乱が収まるよう、調和と優しさの音楽が世界を包むよう、すべての〈流〉に願いたい」


 導かれるように体が動き、静湖は御影の隣に並び、連弾をはじめていた。


 御影の音楽に乗せて、祈りと願いの旋律をすべらせていく。流れくる白流たちの曲を捕まえて、そっと呼びかけ、心をからませる。そして世界中でこの異変を見守っているはずの〈流〉たちを、その幾千もの音楽を思った。


 この曲が届いているなら、どうか──。


 やがて御影の演奏も、悲愴な響きをなくし柔らかな調べになっていく。静湖と御影の連弾は、幻のオルガンの星が鳴るような音を重ねあわせ、地下空間の果てまでも広がっていった。


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