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第70話 王と聖妃

 闇の中、螺旋階段をくだっていく。


 歩いておりているのか、ひとりでに段がすべっていくのか。自分というかたまりが(まわ)りながら地の底へ向かっていく。なにかに()ばれるように、深く眠りゆくように。


 この先は〈流の炉〉だ。そうだ、自分はそこでなにかを……天海(あまみ)はぼんやりとした意識の中で必死に思考にしがみつく。


 炉を巡る〈(リュウ)〉は弱りきっている。代替の〈流〉を探さねばならない。日々の暮らしの中で触れるような小さな〈流〉ではなく、強大な〈流〉が。その一番の候補は──王子、静湖(しずみ)の中にいるという青の〈流〉。


 静湖の中の〈流〉を炉の力とすることができたら。それは王となって以来、天海につきまとってきた究極の選択肢、あってはならない選択肢だった。


 ──だが最近あの子は言ったのだ、自ら〈流の炉〉の力となると……あれは夢か? それからあの子は、自分はどうした?


 静湖の中から〈流〉だけを取りだす方法を探れればと思っていた。だがそんな都合のよい方法などあるはずもなく、静湖の〈流〉を力としたいとはつまり、静湖を〈流の炉〉において殺すことを意味していた。たとえ静湖が自ら望んだとしても、そんなことは許されない。静湖をみどり子として産んだ更紗(さらさ)が、許すはずがない。


「更紗……」


 名をつぶやけば、空虚がつのった。


 失踪した更紗の生存を、天海は信じられずにいる。

 あなたの妃になる、と書き遺し、更紗は触れられぬ世界へ旅立った。


 残された子である静湖を引きとり、父として育てたことは、旅立った更紗が心配をしないように、という思いあってのものだ。だが同時に残された子の父を名乗ることは、更紗とのつながりを強引に自分のものとすることでもある。更紗の伴侶は自分であった、と。


 そんな身勝手な思いで引きとった静湖を、天海はうまく愛せずにいた。


 もちろん、愛していないわけではない。だが静湖は教育係とした御影にばかりなつき、天海には少しおびえた表情を向ける──天海の下心を見通しているかのように。そんな相手にどうやって愛を伝えればいいのか、天海にはわからなかった。


 それは罰なのかもしれない。


 更紗の生存を信じきれず、長年のつれそいであった御影に異性の役割までもを求め。それでいて御影との間に自分の子をなすことからは逃げて養子をとり、擬似家族になぐさめを見出そうとした自分への罰──更紗からの──。


 それでも自分はせめて、静湖の中の〈流〉を狙う宮廷魔術師や大臣の一派からは、静湖を守り抜くつもりだ。他にも静湖を害するものがあれば、自分が盾となって守ってやりたい。その戦いが静湖の目に触れることはなくとも、心に届くことはなくとも。


 いつか人生を終え、更紗に会えたとき。

 静湖を育てあげたと胸を張れれば、更紗は、父を名乗った自分を許してくれるだろうか──そう思ったとき、声がした。


〝あなたは、もう立派にあの子の父です〟


 ふっと風にのったように体が軽くなった。


 ずっとくだってきた階段が巻きあがり、とぐろを巻く龍の姿になっていく。

 天海は螺旋の呑まれるように、龍の体に柔らかく包みこまれていた。


〝あなたは、私が守れなかった分まであの子を守り、導いてくれた〟


 神秘の光をこぼしながら、龍が言う。

 夢に何度も聞いた、忘れはしない声で。


「更紗なのか」


 果てしなく巻きあがる龍の体の中心から、天海は(くう)に手を伸ばす。

 天海を包むように、温かい声が響く。


〝私は聖妃として、母として、国を守ります。どうかあなたも、あなたにしかできないことを〟


 天海は自分のすべてが()()()()()()()に溶け、心の底までも見つめられ、なでられるのを感じた。夢にまで望んだ、彼女との交流だった。


 ──彼女を愛している。だが彼女は、自分などが愛していいはずもない、高尚な人だ。この思いと触れあいは、ひとときの夢。彼女に許されたがっている自分が思い描いた、ひとときの……。


〝天海〟


 龍は消えていき、更紗が笑っていた。はじめて親しげに天海の名前を呼んで。どくん、と心臓が打つ。たとえ幻だとしても、そこに彼女その人がいる、天海はそう悟った。


 周囲の闇が薄れていく。長い長い夢が覚めていく。


 はっと気づけば〈流の炉〉の入り口に立たされていた。久方ぶりに吸う空気、踏みしめる地面は、現実のものだった。


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