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第66話 死神の契約

 夜の湖畔に、ひとりの青年が立ち、月を眺めていた。


 青年の真上にかかった月のもと、右手の湖面には小さくさざ波が立ち、左手は水面(みなも)のあるべき場所に雲が流れている。聖湖(せいこ)の水面と雲海のはざまに、青年は立っていた。緑の髪をふわりとなびかせて、顔には穏やかな微笑を浮かべて。


 雲間から深い声が青年の名を呼んだ。


緑流(みどる)よ、行くのか〟


 声とともに、左手の雲海から右手の湖面へと、白虹がかかっていった。その虹の道の上を、黒き龍の影がさっと通っていき、ざぶりと湖の中にもぐった。


「まさか僕をひとりで行かせる気じゃないだろう、黒流(くろる)


 青年、緑流が呼びかけると、黒き龍は、水面と雲海の境目から立ち昇った。


〝そうだな──赤流(あかる)との約束もある〟


 緑流はそれを聞き届け、ふっと湖に飛びこむ。


 闇のような黒龍と風のような緑龍が、月へと昇っていった。



 朔夜(さくや)は気がつくと、深遠な薄闇の広がる部屋にいた。


 広場に入っていく静湖(しずみ)たちを見送ったのが、少し前のこと。人のごとくひしめく人形たちが武器を手に蜂起するのを見ていたが、見慣れぬものに目を引かれ、人形の間に割り入った。


 見慣れぬもの──それは人形たちの上をたゆたう透明な球だった。実体あるものではない。長い間〈(ソラ)〉をさまよってきた朔夜だからこそ目にとまったものだ。


 球の向こうに視線を感じた。誰かが球を通して広場を見ていた。

 手を伸ばし球に触れ、魔法の流れのもとをたどった途端、体が吸いこまれ、朔夜はこの別の空間へと転送されていた。


 朔夜はゆっくりと部屋を見回す。暮れの夜空のような薄闇の中、あまたに球が浮かんでいる。広場にあったのと同じものだ。


「あなたは」


 上方から、凛とした声がかけられた。虹色にゆらぐ球のはざまに、月をあしらった椅子が浮かび、少女が座していた。


 朔夜は少女を見あげ一礼した。


「前代〈流の祭司〉の朔夜と申します。〈月の王女〉望夢(のぞむ)さんですね」


 望夢は無言で、横手の(ひも)を引いて椅子を地上におろし、立ちあがって朔夜のほうへ歩いてきた。その体がかしぐ。朔夜は駆けよって王女の小さな体を支えた。


「お疲れのようだ。休まれるとよろしい」


 でも、と望夢は苦しげにつぶやく。


「この部屋の(あるじ)は私──私が皆を──」

「この場のことは聞き知っています。たどりつけてよかった。王宮の皆を守ってくださったのですね」


 少しの間に推察したことを朔夜が告げると、望夢は安心したように意識を手放した。


「今はお休みください」


 朔夜は望夢を椅子に座らせようとして、はっとした。


 そこにあったはずの椅子はなく、代わりに少し離れたところに、透き通るようなざんばら髪の少年が、鎌を手に立っていた。

 時を刈るという伝説の鎌──背には震えが走ったが、朔夜は静かに声をかけた。


「これはこれは、王国の伝承の御方ですね」


 望夢を支えたまま、朔夜は注意深く言葉を投げる。


「力を貸してもらえるのでしょうか。伝承によれば貴方は玉座から王国のすべてを見通し、生や死の(ことわり)を超えて人を生かしも殺しもするという」


 少年はからからと笑った。


「へぇ、よく知ってるね。で、どんな風に力を貸してほしいのかな」


 朔夜はごくりとつばを呑んだ。


 この部屋のことは先代〈月の王女〉から聞いていた。今回の王都の危機においても、この部屋と王女がなんらかの役回りをしているのでは、と捜してもいた。が、目の前の少年の出現は予想外だ。


 玉座に宿る〈死神〉として語り継がれてきた存在。〈月の王女〉に強大な魔法の力を与え、その代償として命の時間を刈り取るという。朔夜は慎重に問いかけた。


「私も命の時間を差しだせば、大いなる魔法の力を貸していただけると?」


 少年は朔夜を見極めるように目を細めた。


「君は普通じゃないね。一度〈宙〉に溶けて帰ってきたんだっけ? 僕がもらいうけるのは命の時間とはいっても、その者の〈(リュウ)〉の力に他ならない。君はなんというか、もう、〈流〉が人の姿をとっているような存在だね」

「では、どうなると?」

「──上質な〈流〉の力が得られそうでわくわくするよ」


 少年は笑って、鎌を振るった。闇が踊り、朔夜に襲いかかった。


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