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第65話 魔術師の心

 すべてが過ぎ去ると、静湖(しずみ)は震える声で、地上にいる魔術師の名をつぶやいた。


「御影……」


 (じゅん)が地上に向かう。人形の散らばる広場の中ほどで、御影は降りてくる天狼と静湖たちをさやかな表情で見あげていた。


 地上に降りたち二、三歩進むや、准はどさりと前足を折ってくずおれた。


「准!」


 静湖は(あかり)とともに背から飛びおり、傷ついた前足に駆けよる。傷は深かった。こんな傷で翔んでいたなんて、と静湖が言葉をなくしていると、うしろから温かな声がした。


「〈麗星(レイセイ)〉」


 御影が静湖の横から手を伸ばし、准の傷に触れた。そして低い女声で朗々と、治癒の術を歌った。


〝わ……、傷が……〟


 ゆっくりと准が前足を伸ばす。傷がみるみるとふさがっていく。准は立ちあがり、ぶるぶると身を震わせて〈(ヒト)〉の姿に戻った。


「ありがとうございます! 御影さん……ですよね?」


 御影は、ええ、とうなずいて口を開いた。


「准くんですね、あの家の。その節はお世話になりました」

「え、ええ。御影さんは、あの……」


 御影は旅の間、おそらくは白流との戦いで足を失い、(がい)の喫茶店で静養していたはずだ。准はそのときに御影を介抱したというが、言いよどむのも無理はない。


 だって、今の御影は──女性なのだ。


 静湖ははらはらとしながら、御影の一挙一動を見つめ続ける。

 御影は静湖に小さく笑いかけてから、灯に向きあった。


「この王都の危機に現れてくださったこと、感謝いたします──赤き〈(リュウ)〉よ」

「面識もなしに私の音楽を()び、あれだけの魔法を使う術者は珍しい」


 灯が気をよくしたように答えると、御影は頭をさげた。


「春に、静湖様があなたとお会いになっていたようだったので、あなたの音楽の印象は聴こえていたのです。静湖様を守っていただきありがとうございました」


 灯はふん、と笑った。


「守った覚えはないな。〈流の祭司〉の坊は、私のもとにたどりつき、〈緑流(ミドル)〉にもかかわり、滅多に姿を現さないあの〈黒流(クロル)〉までもを雲海から引きずりだしたんだ。そうだろう?」

「は、はい」


 緊張のあまり、声が裏返った。

 静湖の様子を察した灯と准が黙する中、静湖と御影は改めて体を向きあわせた。


「静湖様」

「御影」


 御影がそっと静湖の頬に手を伸ばした。その手は肌に触れることなく、柔らかな冷気が伝ったのち、頬の傷が癒えていくのがわかった。続いて肩にも同じような術をかけたのち、御影はぎこちなく微笑んだ。


「……白流には、逃げられてしまったようです」

「そ、そうだね」

「緑の〈流〉や黒の〈流〉にもお会いになったのですね」

「御影は旅の間に、緑流さんに助けてもらったんだね」


 何度か視線を交わしてそらして、やがて静湖のがまんは限界を超えた。


「み、御影、心配したんだから……っ!」

「静湖様」


 わっと勢いこんだ静湖を、御影は静かに制した。


「静湖様。私はすべてを捨てて、あなたを送りだしました。もう会えないかもしれないと思っていた……」


 静湖ははっとして、なにも言えず御影と見つめあった。


 御影は僕がどこかで生きていればそれでいいと──死を覚悟していたのか。御影の瞳の奥に秘められた感情が揺れているのを、静湖は恐れずに見つめた。


 二人の間に、永遠(とわ)にも近い沈黙が落ちる。


「御影……、僕は、絶対に会えると思ってたよ」


 御影の目が見開かれ、瞳になにかが宿った。


 そしてその目は、たくさんの仲間とともに帰還した静湖の決意を見てとったように、あるいは静湖の存在そのものになにか心を動かされたかのように、ふっと細められた。


「静湖様。おかえりなさい」


 優しい笑みが向けられる。


「ただいま……!」


 静湖は勢いよく御影に抱きついた。

 腕を回すと、柔らかな女性の体に抱きかえされた。


 誰より愛する、そしてなにも知らなかった、大切な人。その温もりをいっぱいに感じた。



 静湖を迎えるときは女性の姿で出ていこう、と御影は決めていた。

 それは同時に、女の心を隠さずにいよう、という試みでもあった。


〝静湖様。私はすべてを捨てて、あなたを送りだしました。もう会えないかもしれないと思っていた……〟


 その言葉を聞いたときの静湖の表情。その凪いだ青い瞳を前にして、御影は言い知れぬおののきを覚えていた。


 ──知っている。遠い昔から、この方のことを。


 そこにいるのはまだ幼い教え子の王子ではなかった。御影ははじめて、静湖の瞳の奥にひとりの対等な成人の意思を見た。揺るぎない信愛が、御影に向けられていた。その信愛のもとになにも隠すものなどない、と御影は思った。奥の宮として心に闇を飼って生きてきた自分をさらけだしても、今の静湖ならば受け止めてくれる……そんな風に御影の心の扉を一気に開いてしまう強さを、静湖の瞳は宿していた。


 静湖を抱きとめながら、御影は深く確信する。


 ──ああ、私はこの方を求めてきたんだ……。


 静湖に対する愛情に、名前をつけることはできずにいた。


 御影は今でも伴侶である天海を深く愛しており、()()()()()()静湖の母である更紗に、強烈な愛を抱いていた。

 その複雑怪奇な心模様が、静湖を抱きしめながら、すがすがしく晴れていく。


 あの日、更紗が静湖を懐胎したとき。更紗の身に流王が流れこむ光景に、御影は言いようのない凄まじい感情を駆りたてられた。それを宿して強く生きることを選んだ更紗に恋をし、あこがれを抱いた。だがそれは信仰だったのだ、と御影ははっきりと気づいた。


 それがわかると同時に、ともに生きてきた天海の心もが見えた。御影が更紗を信奉する一方で、天海はいつも寂しげな瞳の先に、更紗という聖女を宿していたと。


 ──私が今、この方を求めるように、天海様はきっと……。


 御影と天海の二人は、更紗という希望をともに失い、暗闇で支えあい傷をなめあってきた。いなくなった更紗にともに聖なる愛を向け、目の前の伴侶には欲望と身勝手をぶつけあって……。

 天海は今や御影の英雄ではなく、御影はもう天海の寂しさを埋めることができない。


 それらのことが、まざまざとわかる。

 なぜなら御影は確信したからだ。


 誰かを愛するとは、純粋な光の行為であると──自分が今、静湖を抱きしめるように。


 更紗が残した子どもだから、そんな理由ではじめて二歳の静湖と対面したときの記憶が蘇る。かたくなに口を引き結んでいた静湖は、御影に抱きしめられてやっと号泣した。


 それから長くともにいた静湖を、いつのまにか愛していた。


 親愛だと思っていたその愛は、静湖から向けられている気持ちに呼応して、今やたやすく燃えあがり、御影を焦がそうとしていた。そう、静湖に応えようとした途端に、御影の中でもその愛が大いなる恋にひるがえるのが予感された。


 こうして彼を抱きしめ、彼の音楽に身を浸していると、すべてが満たされる心地になる。ずっと昔からこの音楽と共鳴してきたかのような心地よさが、御影を包む。あるいは静湖の音楽を求めているのは、御影の意識ではなく、御影の音楽なのかもしれない。


 だがそれは、決して一線を越えてはならない愛だ。


 自分は天海の妃であり、相手は義理の子どもにも等しいまだ年若い少年。結ばれるなど、考えるのもどうかしている。それなのに……それならば……。


 この思いは、秘めておかなくてはならない。

 御影は感情にきつく(ふた)をしなおして、抱きしめていた静湖の体を離した。


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