第59話 流の工房
大通りの影たちは、互いを人と認めあい、街の暮らしをいとなんでいた。色彩ある静湖たちを気に留める者もない。四人はすぐに雑踏に溶けこんだ。
周りを見回しながら歩いていくと、路地から楽器の音が聴こえてきた。うしろから四人を追いこした大きな影が路地に入っていく。影は楽器のセロにも見える形の荷を背負っていた。
「なんだろう」
「行ってみようか」
静湖が准に応じると、灯と朔夜もうなずいた。
大きな影は、一軒の店で足を止めた。
開け放された軒先のつららの下には、椅子と譜面台が並べられ、二人の影が軽く楽器を鳴らしていた。黒々として男女の見分けもつかないが、銀のフルートと硝子のヴィオラははっきりと影から浮かびあがっていた。
大通りからやってきた大きな影は、二人の奏者に挨拶をして荷をおろす。影の手を離れると、楽器鞄は実体を取り戻し、中からセロが取りだされるのが見えた。
奏者たちの真ん中には小机があり、緑の木箱が置かれていた。一見、演奏には関係なさそうだが、ひょっとして録音や反響のための器械だろうか? 興味をひかれた静湖が近づいていくと、ヴィオラ奏者の影が声をかけてきた。
「やぁ、〈流〉の工房が珍しいですか」
若い男のようだった。普通の人と変わらぬ調子ながら、相手には顔もない。静湖はびくりとするが、言葉の内容にひかれた。
「〈流〉の工房?」
「ええ、この店では〈流〉を作っているんですよ」
はらはらと見守っていた准、遠まきにしていた灯と朔夜も、そばへ寄ってくる。
フルート奏者の影が四人を見回し、女性らしき声で尋ねた。
「先日の〈流災〉で街中の〈流〉が消えちゃった話はご存知?」
「〈流災〉──」
静湖たちが顔を見合わせると、セロ弾きの大男が口を挟んだ。
「ひょっとして旅人さんかい。外からの道がやっと通じたのかね」
「ええと、それは」
准がとっさに言いよどむと、静湖は一歩進みでた。
「ええ、王都が大変だと聞いて、外から来たばかりです。〈流災〉って、なにがあったんですか」
影たちに正面から対峙するのは勇気が必要だった。だが静湖は心を決めていた。この街の人々にかかわろう、真相を受けとめようと。ここは静湖の育った波空国の王都なのだ。
静湖の視線を受け、セロ弾きの影が身振りを交えて語った。
「夏の夜だったよ。どえらい曲が鳴り響いて、ひどく吹雪いて街は呑まれちまった。音楽が吹きつけるんだよ。聴いてるうちに気を失って、起きたら家の扉も開かない大雪だ。人の作った音楽とは違う、大自然とは恐ろしいと思ったね!」
「じゃあ、この雪は音楽だったんですか」
准が目を丸くして問いかける。セロ弾きは、うーむ、とうなった。
「聴いてる自分がどうにかなっちまう、ってくらいの前衛派もびっくりの交響曲でね。飛び交う音が風になって家を叩くわ、雪になって地面を凍らせるわ、めちゃくちゃだよ。誰も彼も、嵐の真っ最中に意識を失っちまって」
そして影の姿になってしまった、ということか──静湖は改めてあたりの雪景色と影の人々のいる街の光景を見渡し〈流災〉の異様さを思った。
ヴィオラ奏者は、一同の中央に置かれていた緑の小箱を片手で持ちあげた。
「こちらの〈流の箱〉のことはご存知ですか」
「〈流の箱〉?」
静湖と准は同時に訊き返す。ヴィオラ奏者は説明を続けた。
「家を建てるときには、どの家にもすえつけます。街灯や標識の裏などに設置することもありますね。知らずに暮らしている人も多いですが、この中には〈流〉を詰めて、家々や街角に〈流〉の力が巡るようにしているんですよ」
「〈流〉を詰めた箱ということですか?」
静湖が尋ねると、今度はフルート奏者の女性が答えた。
「そうよ。この箱から〈流〉が少しずつ流れでているから、水道の水を引きあげる力だって、お風呂の湯をわかす術だって、台所のかまどの魔法だって動いているのよ」
「そうだったんですか」
「でも〈流災〉の大嵐で、街中の箱の〈流〉が消えちゃったの」
静湖に向けて、フルート奏者は肩をすくめる。
「それで、少しずつ新しく作った音楽を演奏して、箱に新たな〈流〉を詰めているんです」
ヴィオラ奏者がそう言ったとき、店の奥の階段をぱたぱたと影がおりてきた。ヴィオラ奏者は小箱を置き、静湖たちに顔を寄せる。
「作曲家先生のお出ましだ」
降りてきた影は、眼鏡を直すような仕草をしながら、皆の前の譜面台に手を伸ばしていく。その手をひらりと離れ、譜面の紙が並んでいった。どれどれ、と奏者たちが吹いたり弾いたりをはじめる。作曲家だという影が額をぬぐうと、ヴィオラ奏者が静湖たちを紹介した。
「こちらは旅人さん方。工房の仕事を案内していたよ」
作曲家は、どうも、と会釈する。小柄な中年男性のようだ。
「いやはやなんとか曲が仕あがりましたよ。よかったよかった」
「〈流〉を作るために曲を書いているんですか」
作曲家は黒々とした頭をかしげ、尋ねた静湖をのぞきこむ。静湖の中にもう恐れはわかず、相手が人懐こい笑みを浮かべているような気さえした。
「私が書いているのは〈流〉そのもの──と言えたら格好いいのでしょうねぇ」
「おいおい俺たち演奏家の役割を忘れないでくれよ」
セロ弾きが大きく笑いながら口を挟む。
フルート奏者も楽器を口から離した。
「〈流〉は魔法の源となる音楽の力といわれるけれど、作られた曲が〈流〉であるわけではないし、演奏した音楽も〈流〉そのものではない。それなのに新しい曲を私たちが演奏するうちこの場には〈流〉が現れて、この箱に詰めることができる。私は、音楽に〈流〉という命が宿るのだと思ってるわ」
静湖はその言葉に目を見開いた。かつて御影も、〈流〉とは音楽に宿る命だ、と教えてくれた。静湖は自分が演奏をするときのことも思いながら問いかけた。
「〈流〉が宿る瞬間って、わかりますか」
ヴィオラ奏者が朗らかに答えた。
「僕はわかる気がする。こうして初見の楽譜を手探りで奏でるうち、曲がすっと流れに乗って自ら歌いはじめるんです。その流れこそを〈流〉と呼ぶのだろう、と僕は思っています」
「俺は心だと思うね」
セロ弾きがぶぅん、と弦を弾いて言った。
「弾いてるうちに、俺たちの心が曲を受け入れて、心からの演奏ができるようになる。それこそが〈流〉を生みだすに違いないさ。俺たちの心が〈流〉を作るんだよ」
「偉そうねぇ」
フルート奏者がため息をつく。
奏者らが再び試奏をはじめると、作曲家がしみじみと静湖たちに語りだした。
「私はこの工房専属の作曲家で、紙一枚におさまる幻想曲を書くことを生業としています。でもいつかは壮大な交響曲を完成させたい」
作曲家の言葉は熱を帯びていった。
「交響曲を書いた作曲家の中には、曲作りの中で、赤の〈流〉や緑の〈流〉といった伝説の交響をかいま見た者もあるという。それらは〈流〉の王と呼ばれ、人の姿をとりもするのだとか。いやはや、会ってみたいものだ、伝説の〈流〉の王に」
「それは見あげた志だな」
この場にいる赤の〈流〉──灯が、静湖のうしろから口を挟んだ。灯は神妙に目を細め、影の奥に彼の人生を見透かすかのまなざしで作曲家を見つめる。
作曲家はおや、と気をひかれた様子で灯を見るが、フルート奏者が横槍を入れた。
「〈流〉が人として現れるの? やはり〈流〉には人のような心があるのね!」
「いや、人のような心があるかはわからない……〈流〉が意思を持っている、そう感じられるものは曲調なのだとお偉い魔術師たちはいう。人として現れても、その実体は音楽なのかもしれないよ。音楽と対話するとは、どんな心地だろうか」
ひげをなでるようにそう言った作曲家から、灯がふん、と目をそらす。朔夜がそんな灯の肩に軽く手を置いた。
フルート奏者はやれやれ、とばかりに言った。
「あの夜の嵐みたいなとんでもない音楽だったらどうするのよ」
「それもまたよし、だ」
作曲家はひとりうなずき、ぱんぱんと手を叩いた。
「では皆さん、とりあえず合わせても?」
奏者らがうなずき、作曲家の指揮のもと合奏がはじまった。静湖たちは会釈をして店から離れた。
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