第43話 夜の船で
夜更けの喫茶のカウンタに、向かいあう人影があった。厨房で夜を越す扇と、起きだしてきた准だった。
准はじっと黙って、扇から出された温かな乳飲料のコップを見つめていたが、やがてしぼりだすように声をこぼした。
「僕、しずに、及びもつかない」
扇が銀器を拭く手を止める。
「なにかの才覚の話ですか」
「まさか……抱えているもの、向きあわなきゃいけない世界のことかな。僕、しずが前にしているものの半分もよくわかっていない」
扇は静かに准に目を注ぐ。
「しずが背負うものを少しでも楽にしてあげたいと思うのに、その荷がなにかもわからない。僕は世界を知らない不器用で小さな狼にすぎないって思わされる」
准、と呼びかけられる。扇がまっすぐに語りかけてきた。
「誰しも他人の抱えるもの、向きあうものをわかりはしない。王子だから、狼だから、人形だから、そんな立場は関係ない。准や私たちがしずさんの側に踏みこみ、今よりもっと手を取りあえるか……そういうことだと私は思います」
准は目を瞬いた。
「しずと、手を取りあう」
「僕と?」
はっと声に振り返れば、暗い入り口に静湖の姿があった。女ものの寝巻きで枕をかかえ、泣きはらした顔をしていた。カウンタまでとぼとぼと歩みきて、准の隣に腰をおろした静湖は、扇の用意した好物の蜂蜜茶をすすりはじめる。
「泣いていたの……?」
准はこわごわと尋ねた。静湖は赤らんだ顔を抱きしめた枕にうずめ、浮かされたようにしゃべりだした。
「父上は母上を襲って、御影は流王様を殺した。僕が流王様の生まれ変わりなら、僕は御影に殺されて生まれ変わったのかな。御影は、僕の正体が殺めた〈流〉だから愛してくれたのかな。母上はそんな僕が嫌になっていなくなったのかな」
「しずさん」
言いつのる静湖を、ぴしゃりと扇が止めた。
「なにがあったんですか。なんですか今の話は」
「昼間、連れていかれた神殿で聞かされたんだ」
准が答えると、静湖はわっと勢いこんで続けた。
「そう、そして僕は王都の〈流の炉〉の贄にされるために王宮で育てられていたんだ、いつか僕は御影から告げられるんだ、〈流の炉〉の犠牲になれって──」
「しずさん!」
厨房を出てきた扇が、静湖の泣きついている枕を引っつかんで取りあげた。
「あなたはそれを信じるのですか。あなたの知っている彼らは、そんなことをする人たちだと思うのですか」
「あ……」
静湖はぽかんと扇を見あげる。
「どうなのですか」
「……僕、御影を疑ったんだ……」
ぽつりと答えた静湖に、扇はたたみかけた。
「しずさん。神殿の誰だかが、あなたの家族や愛する者のなにを知っているというのです。真実なんていくらでもねじ曲げられるものです。作りだした悲劇にひたってはいけません」
「扇、それは」
今の静湖にはすぎた励ましではないか、と准は呼びとめる。が、扇は准のほうを向いた。
「准はどう思っているのです」
取りあげた枕を握りしめ、扇は怒っているのだ、と准は気づいた。静湖がどれだけの理不尽に向きあわされたか、この短い間にも伝わったのか。
准はただ心のままを口走っていた。
「僕は、強くなりたい。しずが誰かにあんなことを言われても、黙って隣で聞いてるだけじゃなくて、しずを守れればよかった。僕はなにもできなかったんだ」
静湖のぬれた瞳が向けられた。准は静湖に向けて語る。
「僕、しずの家族のことなにも知らない。教えてって訊いたこともなかった。今までどんな人たちに囲まれて、どんな街でどういう風に生きてきたか……僕、しずの友達なのに」
准、と小さく名が呼ばれた。泣きそうだった静湖がはにかんでいた。
「……眠るまで、僕のお話聞いてくれる?」
「うん……!」
「扇も」
「はい、喜んで」
小さな灯りの揺れるカウンタで、静湖はそのまま語りだした。
それは静湖の師である御影が二年の旅から帰ってきた日、静湖が女ものの服を王宮の橋のたもとで燃やしていたことであったり。〈流の祭司〉になるべくはじまった御影の授業で、魔法の石の実習をし、街の広場で彗と灯に出会って石を買いこんだ話であったり。その石を歌わせて演奏会をした晩のことでもあった。
それから〈白流〉という〈流〉との不思議な出会いやできごと。静湖はそれを敵とも悪とも割り切れずに話している風であった。
だがその〈白流〉により王都は襲われたかもしれない──と話は終わった。
准は想像もつかなかった静湖の来歴に触れ、空が白むのも気づかず聞き入っていた。静湖とともに寝室に戻ると、昼過ぎに起こされるまでこんこんと眠ってしまった。
夢の中で、静湖とともに王都の街に遊んだ気がした。
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