第37話 秘密の部屋
はっと気づけば、御影は見知らぬ部屋に倒れていた。
薄闇に満たされた頭上には、虹色の球があまたに浮かび、ゆっくりと自転していた。その表面は、景色を映している。ひとつひとつの内に音楽が宿っていることも、魔術師である御影には察せられた。
球に囲まれた中空に、月をあしらった椅子が浮かんでいた。
そこには部屋の主のおもむきで、見知った少女が腰かけていた。
「望夢様……」
「よくぞ目覚めてくれました、御影」
桜色の髪に月の冠をいただいた静湖の妹の王女は、きりりとした顔で御影を見おろした。
望夢からすんなり名を呼ばれ、御影ははっとする。
改めて己の全身を確かめれば、夢の中と同じ、半分が奥の宮になったかのような姿だった。黒髪の先は金銀に染まり、魔術師のローブの下は女の体。それでも今、王女の前にいる己は「宮廷魔術師の御影」だ、と気を引きしめ立ちあがる。
御影が口を開く前に、望夢はあたりへ向けて手を広げた。
「ここは〈月の王女〉だけが入ることのできる王宮の秘密の部屋。王宮が〈流〉に襲われ、皆の避難場所としてこの部屋を編みあげました」
〈月の王女〉とは、女性の王位継承者に贈られる称号である。波空国を創建したのは王女であった、という伝承にもとづいた称号だが、〈月の王女〉は秘密裏に特別な力をゆだねられてきたのだろうか……、御影は問いかける。
「この部屋が、皆の避難場所?」
「ここに回っている球の中に、王宮の人々を眠らせています。音楽として」
御影は改めてあたりの球を見つめた。そこに映る景色の多くは、御影が今しがた見ていた朝礼の夢に似た、王宮の日常の一幕であるようだった。音楽そのものとなり眠っている人々の夢が映されているのだろう。
御影自身も、この球のひとつの中で夢を見ていたに違いなかった。
「こんな大がかりな魔法を、望夢様が……」
望夢はうなずき、落ちついた声で言った。
「私は初代王女の記憶を継ぐ〈月の王女〉、彼女の生まれ変わりですから」
「望夢様が、波空創建の王女の生まれ変わり……?」
驚きを口にすると、望夢は少しだけ頬をゆるませた。
「前世の記憶が確信されたことで、地方にいた王家の親族にすぎなかった私は、王位継承者として王宮に迎えられたのです。それからは〈月の王女〉が代々守ってきた秘儀を教わり、古い書物を紐解いてきました。すべては、王国の危機のときのため。私はこんなときにこそ、務めを果たすよう期待されてきたのです……だから、私が」
がんばらなくては、しっかりしなくては、という言葉は、口にされることなく望夢の胸にしまわれたようだった。十一歳にすぎない王女が、おそらくはひとりで〈流災〉のさなかにこの部屋を現し、王宮の人々を避難させたことに、御影は驚嘆するとともに心が痛んだ。自分も早く力にならなくては。
「望夢様、外の世界ではなにがあったかご存知ですか」
その問いかけに、望夢は急に目を伏せた。
「あの日吹きあれた雪の嵐は、触れた者を凍らせたのち、音に溶かしていきました。王宮の皆はなんとかこの部屋につなぎとめましたが、城下の人々は……」
望夢は頭上に手を伸ばし、いくつかの球を目の前に呼びよせた。
「これらは空の球です。映しているのは、今の王都の街。なにが起こっているか、わかりますか?」
望夢が手を動かすと、空の球たちは御影のもとへ滑ってきた。
そこには街の様子が映されていた。その中を動く、黒々としたものたち。
王都の人々の姿は、顔も衣服も見分けのつかない影になっていた。
音に溶かされた人の姿だというのか……! 御影は息を詰めて答える。
「世界の裏側ともいわれる〈宙〉に呑まれた人間は、体を失い音楽だけの存在になるといいます。まるで今の王都の人々は……」
御影自身の両足も、白流との戦闘の中で〈宙〉に呑まれてなくなった。そのときは足先がゆらゆらと影になっていたことが思いだされる。御影は苦い思いになりつつも、声を落として続けた。
「しかし、これでは王都そのものが〈宙〉になってしまったかのようです」
望夢が、周りにさがっていた真珠の紐を引いて月の椅子を地上までおろした。椅子からおりてつかつかと御影のもとへ歩みよった彼女は、王国中に宣告するかのようにはっきりと言った。
「〈反転〉が起こったのですね」
おそらくは、と御影はうなずく。〈宙〉の〈反転〉、それは大災厄の名であった。
〈第四番につづく〉




