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第35話 王子と天狼

 青年、緑流(みどる)に先導され、静湖(しずみ)(じゅん)は丘の脇から森を抜ける道をくだって湖畔に出た。


 土砂崩れで丘の半面が流れこんだ湖は灰色ににごり、無残に露出した土の壁のそばに、(せん)が立ちつくしていた。


 扇の見つめる先は、(がい)の店があった場所。

 湖畔の大地がえぐれるように消え、店は跡形もない。


 が──揺れる湖に、どんぶらこと浮かぶものがあった。


「おぅい! おぅい!」


 鎧の声が湖上から響く。湖畔にあった三角形の建物が、今、本来の船として掘りおこされ、湖に浮かんでいた。舳先(へさき)の下にあった硝子瓶のような鎧の店は、形をそのままに甲板の上に移動していた。


 その店の扉から、鎧がおぅい、と手を振っている。


 湖畔の静湖と准は、ぽかんと顔を見合わせた。扇も言葉が見つからないようだ。三人のうしろで、緑流がうそぶくように言った。


「小さな舟が要りそうだね」



 しばらくして静湖たちは、緑流が土砂の中から魔法で組みあげた小舟に乗り、店の大船に合流した。緑流が合図をすると、(あかり)が上から力を通じあわせ、小舟を引きあげた。


 小舟の一行が甲板の上にたどりつくと、広がる湖を指差して、鎧がわぁわぁとまくしたてた。


「灯さんが傘を振った途端、店が移動してたんだよ。それが船の上で! そうしたら船は湖に出ちまうし!」


 転送魔法により店の危機を救ったらしい魔女、灯はふんと鼻を鳴らした。


「百年前はちゃんとこの船が湖を行き来してたんだ。その姿に戻してやったにすぎん」


 皆が再会を喜びあう中、のこのこと店内から出てきたのは、目を覚ましたばかりといった顔をした(すい)であった。


「なんじゃこりゃあ!」


 波乱の中で〈(ヒト)〉の姿を取り戻したようだ。湖と店と皆を見比べ、ぱくぱくと口を開けては閉じをくりかえし、ひとり合点した。


「ま、生きてると不思議なこともありますねぇ」


 皆は店内に入り、めいめいにテーブル席に腰をおちつけた。静湖は准と向きあって座り、よかったね、と視線を交わす。そのうしろで、最後に扉をくぐった扇の肩を、はし、と鎧がつかんだ。なにかを思うように目を伏せていた扇がびくりと肩をはねさせる。


「扇、おまえ〈人〉に──」


 が、扇は鎧の手を振りはらい、つかつかと灯のもとへ向かった。テーブルの一角で息をついていた灯が顔をあげる。


「灯さん。あなたは彗さんを楽器に戻すことがおできになります。私のことも、人形に戻してください」

「なんだって?」


 鎧が驚き、灯も珍しげな目を扇に向ける。


「それがおまえの望みなのか?」

「はい。私には〈人〉になる必要がありません」


 灯はじっと射るように扇を見つめる。


「しかし、おまえの心がなにものにも代えがたい感情を──おまえさんの音楽をつかみとり、その体は〈人〉となったんだ。人形に戻ろうが、おまえが今得た心はおまえを解放してはくれないぞ。人形の体で、その心を支えるつもりか。愛する者を思うとき、会って話し触れあうときも、おまえは人形の姿でいたいと望むんだな?」

「わかっています。私に必要なのは、私の誇りであった人形の体です」

「だとさ」


 灯は緑流のほうを向いた。なに食わぬ顔で皆にまぎれていた緑流は、よくわかった、とうなずく。


 緑流は扇に歩み寄り、手を握った。場がしんと静まり、皆が固唾(かたず)を呑んで見守る。緑流の手の先から、淡い光が扇に伝っていき、扇の体を包んだ。そうっと手が離されたとき、扇の手は、足は、体は、人形のものに戻っていた。


「やはりあなたも魔法使いだったのですね」


 冬の間、この店に出入りしたという緑流に、扇が改めて声をかける。緑流は一同を見回して告げた。


「ええ、そう、僕は湖の〈(リュウ)〉。天流(あまる)の一帯のものたちが〈人〉となる力をつかさどる、湖の存在だよ」


 流……、と誰かが息を呑む。


 緑流はそんな一同に向けて満足そうにうなずいたあと、静湖のほうを向いた。その体が光に包まれてほろほろと消えていく。正体を明かしたら、もう皆の前にいる時間は終わり、とばかりに──。


「静湖。向かうべき場所は、わかっているね」

光海国(ひかるみこく)、ですか」


 静湖は立ちあがり、はっきりと答える。


「そう、君の青の正体を確かめたまえ」


 その言葉を残し、緑流は消え去った。誰もが口をつぐんだまま、光の残滓(ざんし)を見送る。

 船が波に揺れ、鎧が頭をかいて歩きまわった。


「光海国ってぇと、この湖をずっと北に行った果てじゃねぇか」

「この船、動かしてやろうか」

「なにぃ?」


 灯が鎧を押しのけて厨房に踏み入り、持っていた傘をうららぁっ、と振りぬく。


 厨房の様相が変わっていった。見る間に、(かじ)が取りつけられた操舵室(そうだしつ)が出来あがる。


「俺の厨房がぁ!」

「いちいちうるさいな」


 灯は鎧を再び押しのけて厨房、改め操舵室を出ると、立ちつくしていた静湖に向きあった。


「記憶が戻って〈流〉の王とも相まみえたというわけかい、〈流の祭司〉の坊」


 静湖は、はい、と灯にうなずく。それから准に、彗と鎧と扇にも顔を向け、誠意をこめて礼をした。


「僕の名前は静湖。波空国の王子です。光海国に行くのに、力をお貸しください」


 頭をさげていると、鎧と彗の声が飛んできた。


「なぁに改まってんだ」

「そうですぜ。しずちゃんはここではしずちゃんだ、だろ?」

「服も、お似合いですよ」


 人形に戻り、いつもの固い表情をした扇もそう言った。


「しず」


 准の声に、静湖は振り向く。


「僕、しずの……友達でいて、いいかな」


 静湖は目を見開く。誰よりそばにいてくれた准に、今の静湖の言葉が、静湖の思いだした生まれや生きてきた世界が、こんなに距離を感じさせている──。


「あのね、准」


 その距離は気のせいでも幻でもないけれど、と思いながら静湖は言った。


「僕のはじめての友達に、なってくれる?」


 手を差しだすと、准の目が輝いた。


「うん──!」


 手はしっかりと握り返された。

 王子と天狼。異なる生まれの二人は今、人と人として友となったのだった。



 王都に戻るとしても、光海国を経由するのはひとつの確実な道だった。光海国は湖の北端にあり、王都はさらに北の山脈の上にある。


 その王都から転送魔法をかけたのは御影なのだと、最後に見た御影の顔を、静湖は思いだしていた。だがどうして? あのとき、なにが起こっていたのか? 白流は王宮の皆になにをしたのだろう?


 なにがあったかはわからない。だが御影は、自身が世話になったこの店ならば、静湖の行き先にふさわしいと思ったのだろう。


 旅の間に両足を失い、店では世話になりながらも、愛想悪く名乗りすらしなかったという御影──でもきっと、なにより深くこの場所に心を寄せたんだ、僕が今たくさんのものを受け取ったこの場所に、と静湖は思う。


 静湖の心では、不安と心配、温もりと感謝が両極に揺れた。


〈第三番おわり〉

〈幕間につづく〉

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