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第33話 魔女の楽器

(らち)が明かない。あの名器が要る」


 静湖(しずみ)との夜の語らいから数日後、(あかり)は言いはなった。


 雨の昼さがり、今日も店内で灯の指導のもと、静湖が歌い太鼓が叩かれてという催眠が試されていた。


 そこに今は楽器が加わっていた。(じゅん)のオーボエ、(がい)のピアノである。


 静湖の歌に合わせた即興演奏は歓迎、という灯の言葉で、准と鎧は参加するようになった。准はいつも手入れをしているオーボエを吹き鳴らし、鎧は店の隅に置かれていた年代もののピアノの(ふた)を開けた。


 この日はもうひとり、店内に客がいた。

 (すい)であった。


 いつも持参の古楽器をつま弾いてばかりの彗が、合奏から顔をそむけ、カウンタの(せん)のもとで酒をあおっていた。そればかりか灯が「埒が明かない」と演奏を止めたあと、彗がそそくさと帰り支度をはじめたのを、准は見ていた。


 灯と彗の関係は謎のままだった。灯が食客として店に居ついて以来、彗はめっきり店に来なくなってしまった。酒が切れたときにだけ、こっそりと顔を出している。


 灯は彗には背を向けたまま言った。


「本来、この催眠は太鼓を使うものではなく、ある楽器で通奏低音の流れを拾うものだ。百年ほど前、()()()()()()()()()()はその名器がぶんぶん鳴っていたんだがな」

「なに言いやがる、百年前だぁ? うちは今も現役だっ」


 鎧がかみつくが、灯は取り合わない。

 代わりに、背中に目がついているかのように鋭く声をあげた。


「彗。おまえの行き先はそっちじゃないぞ」

「ひっ」


 厨房の裏口の戸に手をかけていた彗が肩をはねさせる。


 そこから捕物劇がはじまった。慌てて裏口を出ていく彗を、灯が大股で追っていく。硝子窓の外の小雨の湖畔で、彗が動きを止めた。魔法を放ったのか、灯が悠々と雨の中を歩いていく。石化して動かないかのような彗に灯は追いつき、背を三度叩いた──。


 皆があっけにとられる中、灯は()()()()()()をかついで店内に戻ってきた。


 それは年季の入ったコントラバスだった。


 灯は旅の荷をおろすかのように、店内に巨大な楽器を置いた。

 彗だった楽器がしゃべる様子はない。


「一度楽器に戻ると千年は〈(ヒト)〉になれないだのわめいて、なかなかこの姿に戻ってくれなくてな。彗はもともと私の楽器。またとない名器だ」


 誇らしげな灯に、准はこわごわと尋ねた。


「彗さんは千年戻れないんですか」

「ばか言え。百年と経たずに戻る」

「灯が魔法で戻してあげられるんでしょう……?」


 静湖の問いかけに、おそらくな、と灯は応じた。

 鎧がうめいたが、もう誰も口を挟もうとはしなかった。


 が、コントラバスが加わって催眠の合奏がはじまると、皆は緊張したことも忘れ、即興曲に夢中になっていった。底からすくいあげるような低音を(はじ)く灯の技は、誰もの体にこころよく響き、その弦からはしゃぼんが舞った。


 皆は静湖の歌に合わせ、音楽を奏でていた。世界にまたとない、この雨の日の音楽。皆がなにかになりきって演奏をしているかのようだった。奏者がひとり、またひとり休んでは合奏に戻り、一刻が経っても途切れることなく演奏は続けられた。


 しゃぼんたちは、舞台に散らされる花びらのように、そのはざまを泳いでいた。じっと聴き入る扇のほか、テーブルや椅子、店の隅々の楽器や部品を客として、店内はひとつの舞台になっていた。



 静湖が歌うのをやめても、皆の合奏は続き、しゃぼんは次々に浮きあがっていた。

 静湖はカウンタに座り、厨房に立つ扇に水を頼んだ。


「あの魔術師のこと」

「え?」


 水のグラスを置きながら、扇は唐突に静湖に話しかけた。


「足を失くしたのは〈(ソラ)〉に持っていかれたのだ、と彼は語っていました。〈宙〉で〈(リュウ)〉とやりあったのだと」


 扇がなぜその話をはじめたのか、静湖にはわからなかった。彼女は厨房を出て静湖の横へやってくると、スカートを膝上までたくしあげた。


「この足、膝の上下で造りが違うでしょう」

「は、はい」

「もともとの足は、その人に差しあげてしまったんです。義足として」


 扇の告白は、店内を揺らす音楽に溶けていく。


 義足……、と静湖はつぶやく。

 頭の奥で記憶が光り、(ひらめ)いた。


「その人は代わりに、ありあわせの楽器部品でこの足を創ってくれました。誰にもしていなかった話です。でも、しずさんには」


 ──かけられた布団からのぞく義足。口元を触れ合わせた感触。告げられた言葉。見てしまった行為。心に焼きついた微笑み。言葉の数々──。


 静湖の中に、追憶が濁流(だくりゅう)となってあふれる。


「しずさんには、伝えなくてはと。あの人はしずさん、あなたにこそ笑顔を向ける。そういう幻が、先ほどからずっと見えているんです」


 あなたにこそ。その言葉は静湖の心に突きたった。


 扇はまさに今、静湖にその人をゆずるかのようにして、その人に向けていた思いに(ふた)をしようとしている。扇の心の痛みが、静湖の心を共振させて傷つける。その人は──静湖が物心ついてからずっと慕ってきたその人、御影は、奥の宮という正体を持っていて、国王天海の妃だったのだ──。


「御影は僕のものじゃない」


 静湖は鋭くつぶやいた。え、と扇が首をかしげる。


「御影は僕のものじゃない……!」


 静湖は勢いよく立ちあがり、玄関から雨の中に走りでた。



 主役が店を走りでて、皆はやっと演奏を止めた。

 カウンタの前で立ちつくす扇に、准は急ぎ駆けよる。


「しずはどうしたの」

「わかりません、でも」


 扇は苦しげに胸を押さえた。


「伝わってくるんです。大切な人に自分はふさわしくない、振り向いてもらえないという痛みが……」


 皆が静まった。雨音がこだまする。


「追いかけなきゃ」


 楽器を置いて玄関へ向かう准を、待って、と扇が鋭く呼びとめた。


「お願いです、私も一緒に行かせて」

「お、おい扇、ぬれても歩けるか? 傘はさせるか?」


 鎧の心配はもっともだ。人形である扇は普段、店を出ずに暮らしている。


「雨くらい……、私の足は皆さんに劣るものではありません」


 扇は毅然(きぜん)と言いはなった。准は玄関で、一番大きな傘を探しあてていた。入れていくよ、と目で合図すれば、扇が会釈した。


「しずさんは丘へ向かいました。心ここにあらずで走っているのでなければ、丘の上を目指したかも」


 行こう、准と扇はうなずきあい、雨の中にひとつの傘を開いた。


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