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第31話 己の音楽 2

 何日か、客のないときに気まぐれに(あかり)の授業は行なわれた。静湖(しずみ)(じゅん)は、己の音楽を探って歌い続けた。雨は止まなかった。


 その晩、夢の中で、静湖は海底をたゆたっていた。そこには交響が流れていた。向かってくる、とてつもない音楽の波。静湖はその中を自在に泳ぎ、音をあやつっていた。


 はっと目覚めたとき、音楽がかすかに、だが確かに体の中に流れているのがわかった。



「〈己そのものの音楽〉をつかんだか」


 静湖の話を聞いた灯は、いつものように静湖と准をテーブル席に座らせたのち、店の隅の楽器や部品の山のほうへ歩いていった。そこから皮張りの太鼓を持ちだした灯は、歌ってみろ、と静湖をうながした。


 静湖は立ちあがり、目を閉じ、自身の内なる流れを歌いはじめる。

 それに合わせ、灯が太鼓を打ち鳴らした。


 准も、離れたカウンタのもとの(がい)(せん)もが、息をつめて聴き入る。ぼーん、ぼーん、ぼんぼんぼーん、と太鼓の響きに支えられ、静湖の海のような歌は(うしお)のうねりに乗っていく。


 そのうちに太鼓の叩かれる面から、透明なしゃぼんが現れて、ふよふよと皆の間を浮遊しはじめた。しゃぼんたちは次々に太鼓から弾きだされ、灯の周りにあふれ、歌う静湖や見守る皆のもとを巡って、店の隅々へ飛んでいく。


「あっ」


 声をあげたのは扇だった。皆がそちらを向く。


「あ……」


 扇は中空に手を伸ばしていた。


 やがて静湖は歌い終え、灯が締めに太鼓をひとつ鳴らし、店内にあふれていたしゃぼんも消えていった。静湖は最後のしゃぼんを見送りながら灯に尋ねた。


「今のはなんだったの? 僕の歌の間に……」

「ああ、催眠をかけたんだ。歌のはざまから現れたあの(たま)たちは、おまえさんの心の記憶が宿ったもの。浴びてもなにも思いださなかったかね」


 静湖はしゅんと目を伏せた。


「なにも」

「そうか」

「あれは、しずさんの記憶のかけらだったんですか」


 いつにない切迫した声音で、扇が口を挟んだ。


「どうした、扇」


 鎧が厨房に入り、気遣わしげに扇の顔をのぞく。

 ぽつり、と彼女は義手に目を落としながら言った。


「あの方が見えたんです。あの魔術師が」


 静湖は灯とともに首をかしげるが、准ははっとした様子で鎧と顔を見合わせていた。


「あの魔術師って?」

「ああ、あのなぁ……」


 おずおずと尋ねた静湖に、鎧が頭をかきながら語りはじめた。

 雨の昼さがりに語られる、少し奇妙な物語だった。



「前の冬のはじめ、まだ雪にならん雨の日だったよ。見たこともない緑の髪をした若い男が、女みてぇに綺麗な黒髪の男をかつぎこんできたんだ。緑の男はなんとも世俗を超越した雰囲気で、医者だという。かつがれてきた男には──両足がなかった。凍傷で、と医者は言うんだが、どうにも妙だ。足先はないっちゃあないが、影みたいにゆらゆら黒く足の形が見える。まるで足が影になっちまったかのような……ご本人はひどい熱で前後不覚なんだが、医者によれば、魔法戦をやらかした魔術師だと。〈(リュウ)〉の世界とやらで戦って、丘の上に逃げでてきたところを保護したというんだよ」


 皆はひとつのテーブルを囲み、固唾(かたず)を呑んで鎧の話を聞いていた。


 扇だけは離れた厨房で洗い物をしているが、いつもの落ちつきがない。はらはらと鎧の話に耳を傾けているのは明らかだった。鎧は扇の様子をうかがってから続けた。


「放っておけないから介抱したい、と医者が言うんで、冬の間、うちの母屋に魔術師を泊めていたよ。医者はときどき様子を見にくるんだが、そのたびにたんまり高価な石やら玉やら置いていきやがる。これで魔術師を世話してやってくれと」


 うちはうるおってよかったがな、とうそぶき鎧は続ける。


「魔術師はひと月くらい熱にうなされてたな。ありゃあ普通じゃなかった。よくなってからもむっつりでね、名乗りもしなかった。扇だけが少しは仲良くなって、そいつの足を気にかけてやって──」

「それは」


 扇が鋭く先を制した。皆の視線を集めた彼女は、動揺したように目を泳がせる。


 准は、その魔術師がともに暮らした間のことを、まだよく憶えている。美しい青年だったが、ひたすら苦しげに寝こんでいた印象が強い。准は彼に飲み物を運び着替えさせたが、彼は打ちひしがれたように黙りこくり、足のことを尋ねようとすれば傷ついたような瞳でにらまれた。


 一方で扇は、彼の世話をしながら日々変化していった。機械仕掛けのように型通りのことしかこなさなかった扇は、魔術師との交流を通し、日に日に柔らかな様子になった。今の扇は、昔に比べればはるかに饒舌(じょうぜつ)で感情豊かなのだ。


「なんだ扇、ずいぶん思い入れてたのを思いだしたか?」


 茶化すような鎧に対し、扇はぴしゃりと言った。


「私にそんな心のようなものは宿っていません。あのときは責務をこなしただけです。私はこの店を守る人形ですから」

「……人形?」


 静湖が首をかしげた。すると扇は、厨房を出て皆の前に立ち、義手の両腕をまくりあげて首元のボタンを外した。


「しずさんと灯さんにはお伝えしていませんでしたが、店の客の多くは知っています。私はこの店を構えた鎧の友人に創られた絡繰(からくり)人形です」


 その腕の関節には球体がはまり、首元には人と見分けのつかない頭を支える接合部があった。静湖が目を丸くする。灯は勘づいていたのか、わかった、とうなずく。


 鎧が説明を挟んだ。


「創られたばかりの頃は、絡繰が動いて何種類かの料理をするだけだったんだ。だが余興で厨房に立たせるうちに、先代店主が次々に作れる料理や菓子を増やしていって、すっかり厨房担当になっちまって。どういう仕組みか、おうむ返しに言葉を覚えてくってことだったが……なぁ扇、心がないってこたぁねぇだろ。おまえさんも湖の水にあてられて、〈(ヒト)〉に近い心を得つつあるんだよ」

「私は人形であることが誇りなのです」


 扇ははっきりと言い残し、厨房へ戻っていく。


「……あれを言いだしたら聞かねぇぜ? 話を戻そう、その二人連れのことだ」


 鎧が改めてテーブルの皆を見回す。


「時折やってくるその医者がな、なんの楽器をやらせてもべらぼうに上手いんだよ。どんな楽器もちょっと貸してみりゃ神業かって演奏をしやがる。それに加え、弦でも管でもなんでも組みたてちまうんだ。そこらの部品が、ちょっと目を離したすきに名器に変わってるのさ。ありゃあ何者だろうな、人世離れしてたよ」


 鎧は思いだしたように、ううん、とうなる。


「そんで魔術師のほうは、世話になったと書き残して冬の終わりにいなくなってたよ──話は終わりだ、おかしなもんだろ」


 皆が口をつぐみ、鎧の話の余韻にひたった。強まった雨が音を立てていた。

 やがて灯が、それで、と厨房の扇のほうへ顔を向けた。


「しずの記憶の(たま)を浴びて、その魔術師が見えたというんだな?」


 扇は洗い物の手を止めた。


「笑顔のあの人が見えました……そんな顔、見たことなかった」


 ふぅむ、と灯は目を細め、催眠をもう少し試す必要がある、と締めくくった。


 雨の午後の語らいは終わり、准は久しぶりに思いだした魔術師たちのことを改めて不思議に思った。書き置きを残して消えた居候のことを、気にかけていなかったわけではない。扇は僕よりもずっと心配していたはずだ、と准は察した。


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