第3話 魔術師の帰還 3
空からおりたつ水鳥のように橋のたもとに着地した御影は、つかつかと静湖に歩みよった。
「お手を」
静湖は声もあげられずに、火傷した手を差しだした。服を一着つかんでいた。雪の結晶をあしらった冬祭りの衣装。御影は静湖に向きあって、衣装を含めて抱くように両手をかざした。
「〈麗星〉、頼む」
誰に聞かせるともないつぶやきのようだった。
が、呼応したものがあった。
御影を取りまく気に、音の流れが加わる。
幽玄でありながら心温まる音楽が、静湖の耳をかすめて風に流れた。
あっと思う間に、手の痛みとただれは消え、調べは去っていった。
冬祭りの衣装はさらさらと風にさらわれ消えてしまった。
「ありがとう」
ぽつりと口にすると、御影がにこりと笑った。
男としてはとりわけ長身ではない。女性と見紛う姿である。それでも流れる黒髪や紫と緑の長衣が、彼をすらりと高く見せる。すっとした顔立ちに浮かべられた笑みに、静湖は釘づけになっていた。
夢を見ているのかな──。
「夢ではありませんよ、静湖様」
「え?」
御影に言われ、静湖はにわかに慌てた。
「い、今、心を読んだの?」
「お顔に書いてありました」
ぱちくりと目を瞬く静湖を見て、ふっと日和が横で笑いをもらす。くすくす笑いだす日和につられ、静湖も軽く声を立ててしまう。御影が二人を見て目を細め、朝陽をあおぐ。爽やかな風が吹いた。流れる音楽が溶け残ったかのような風が……。
「あの魔法は皆、御影様が?」
御影は問いかけた日和に向きあう。
「日和さん。御影、でいいと言っているのに。同僚でしょう」
「答えてくださいったら」
「ええ、あ、いえ……魔法は、〈流〉が」
流? 静湖と日和は同時に声をあげる。
その言葉を知らぬ者はいない。音楽の精霊とも称される、すべての生活と産業に使われる魔法の動力源。にもかかわらず〈流〉の実体を知る者はいない、とまでいわれる。魔術師の中でもごく一握りの者が、〈流〉そのものを魔法や奇跡の源として扱うという。
「御影、〈流〉を?」
「静湖様、また後ほど。時間は豊かにありますから、それよりも」
御影にうながされ、二人の視線は燃えた衣類の山に注がれた。
服はまた作ったり手に入れたりできますから、と御影は言った。
それよりも静湖の身が無事でよかったと、いたわりの優しい笑みを向けてくれた。
*
静湖との一件が終わり、日が高くなった頃。
国王謁見の間に、帰還した魔術師、御影は参じていた。
波空国王、天海の玉座は、周りに装飾の星々が垂らされている。広間の壁に並ぶ硝子窓から差す陽が反射して、星々は七色にゆらめいていた。
「門番の衛兵から聞いたが、拾いものをしたそうな」
挨拶ののち、他の宮廷魔術師や大臣たちが横にひかえる前で、天海と御影のやりとりが交わされていた。天海は昨年、齢三十を数えた若き王だ。御影は彼の二つ歳下であり、二人は幼なじみである。
「ああ……、いじらしい天使さんが」
うそぶくように御影は答える。くっく、と少年の面影を残した国王は笑った。
「まったく、もったいのないことだ。思い詰めていたのかな」
もったいのない、とは、男子である静湖の女装姿が見られなくなるのはしごく残念だ、ということらしかった。
「あの子に〈流の祭司〉を任ずる方針は変わっていない。教育係に復帰してくれるな、御影?」
御影は改めて膝をつき、臣下の礼をとった。
「ええ、喜んで」
*
その日の夕方、静湖はひとり自室で寝台に腰かけていた。
開け放した衣装箪笥の中はがらがらだ。その隙間に、今は幸せが風に乗ってまぎれこみそうにも思える。御影はもう城のどこかに身を落ちつけて、荷をほどいたり父と話したりしているだろう。ひょっとして以前の御影の部屋? 静湖の頬はゆるむ。
「失礼します」
「あ、はい」
顔をあげると、丸みある扉から日和が顔をのぞかせた。
「静湖様。いいお報せをお持ちしました」
薬草茶のポットとカップを盆に載せ、日和はにこにこと部屋に入ってくる。世話係である日和とは、今朝のことでより親しくなれたように感じていた。静湖は身を乗りだす。
「なに、なに?」
「御影様が、静湖様の教育係に復帰なさるって」
「えっ!」
驚きに開いた目と口が、すぐに笑みの形に変わってしまうのをおさえられない。
「ふふ、目が輝いていますよ、静湖様」
「だって、嬉しいんだもん」
寝台の抱き枕を引っつかんで、静湖は顔をうずめた。
「嬉しいんだもん……!」
「はいっ」
やれやれ、とばかりの表情をしながら、日和は薄い布団を静湖の肩にかける。妙に楽しそうにふんふんと歌いながら。
「服がなくても、静湖様は十分おかわいらしいですよ、きっと御影様が見たって」
「も、もう……なんてこと言うんだよ」
「だって!」
いつまでもくすくす笑いながら、日和は温かい夜の茶を淹れて、部屋を退出していった。
ひとりになり、暮れる夕空を大きな硝子窓の向こうに眺めながら、静湖は再び衣装箪笥に目を転じた。
「あ……」
そこに一着の女ものの服がまぎれているのを見つけ、静湖は歩みより手に取った。
それは御影のような魔術師が着るドレスローブで、静湖の髪の色に合わせて仕立てられた青い衣装だった。波間の光のように青と白、藍と紫が織りこまれている。
静湖はその服に、ぎゅっと顔をうずめた。
暮れていく空に、きらりと星が落ちた。
〈序曲おわり〉
〈幕間につづく〉
ここまでお読みいただきありがとうございました。
全86話予定、明日からは20時半ごろに1日1話ずつの更新となります。
このあとに続くエピソードは「登場人物・地理紹介」です。
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