第27話 湖畔の喫茶店 2
「ほむらのつかさ じじがみよ ゆめのまにまに よいどれる……」
店内には古楽器の音に合わせ、呑気な歌が響いていた。中央のテーブル席に陣取った吟遊詩人めいた青年の歌だ。隣の席では、鎧があくびをかみ殺していた。
「なぁ彗、その歌なんとかならねぇのか?」
青年が歌を止めた。
常連客の彗である。他に客はない。
「じじがみをばかにせんでください。まぁ替え歌なんで、俺が創った〈流〉みたいなもんですが」
「お、しずちゃんに准、あがったか!」
鎧が軽く手をあげる。准はそちらへ向かうが、うしろでは、給仕服をまとった静湖が気恥ずかしげに店内をうかがっていた。
「おう、似合ってるじゃねぇか、俺の見立て通り! 准、着替えをのぞいたりしてねぇな?」
鎧がまくしたてる横で、彗もぽろぽろと楽器をつま弾きながら、興味津々の目を静湖に注ぐ。どう答えたものか、と准が思案するうちに、緊張した様子だった静湖が一歩進みでて、胸に手を当てて礼をした。
「一緒に入りました。お湯、ありがとうございました」
准は度肝をぬかれる。ぽろん、と彗の音が止まる。場がしんと静まった。
「おい、准っ!」
「准くん、やるねぇ」
慌てふためく鎧に、口笛を鳴らす彗。准は必死に弁明した。
「いや、あのね、しずは女の子じゃなくて」
またも場に沈黙が落ちた。
「……なんだって?」
「女の子じゃない子に、マスターはその服を?」
「そうじゃねぇ、誤解だ」
鎧と彗があたふたと言いあう中、静湖が小さな声ながらはっきりと口を挟んだ。
「これは、僕が着たかったんです」
誰もが三度、黙りこんで静湖を見つめた。雨の音がやけに響いた。
「……いいんじゃないですか、好きなものをお召しになれば。うちのマスターも、そうですので」
カウンタ内から落ちついた少女の声が飛んだ。服の持ち主の扇であった。香味茶の調合を続けている。鎧が頭をかきながら、准と静湖のそばのテーブル席にどっかと腰をおろす。いかつい体にはフリルエプロンをまとっている。
「あぁ、あぁ、そういうもんだよな、わかるぜ。俺だってある朝この姿になって以来、俺の顔や体はこれだって思っちゃいるが、かわいいカッコやモノを追い求め幾星霜、似合わないとは言わせねぇ──」
語りだす鎧の向こうから、彗が静湖の前にやってきて立ちふさがり、鋭く尋ねた。
「ねぇ、しずちゃんとやら。王都で会いませんでした?」
「なにぃ?」
鎧が彗を振り向く。准が驚いて様子をうかがうと、静湖は固まりながらも、なにかが引っかかったように、王都……、とつぶやいた。
鎧が手をひらひらと振って答える。
「ばか言え。王都なんかの子がこんなとこにいるわきゃねぇだろう」
「でも、青い髪。そっくりな子に会ったんですよ、春に王都で。しかもその子は、〈流の祭司〉に任じられた王子様だったんです」
静湖がびくりする。准は話についていけず、はらはらと見守ることしかできない。彗は見極めようとするかの目で、静湖に顔を寄せたのち──。
「ま、人違いですかねぇ」
「寝言もたいがいにしろよな、彗」
彗は准たちに背を向けて大きく伸びをし、店内をうろうろと歩いたあと、くるりと静湖に向き直った。
「やっぱり似てる! 本当に俺のこと憶えてない?」
静湖は縮こまって答えた。
「あ、あの……僕、憶えてないんです、なにも」
「なにも?」
彗は自分が否定されたかのように打ちひしがれた顔になる。准がなにか助け舟を出そうとしたとき、カウンタから見計らったように扇の声がかかった。
「カクテル、できましたよ」
「やった、俺の命の水!」
彗は今までのやりとりなど忘れたようにカウンタへ駆けていく。准は彼の言葉を思い返した──〈流の祭司〉を任じられた王子様。この国の王族など気にしたこともなかった。今は王都に若い王がいるらしい、という程度の認識だ。が、その王都に「しず」にそっくりな王子が暮らしていて、彗はその王子本人に会ってきたという。本当だとしたら、どんな人物なのだろう? 「しず」と関係はあるのだろうか?
「まったく、また酒頼みやがって。うちは酒場じゃねぇんだぞ。もっとかわいいものを頼みやがれ、花蜜茶とかハーブのソーダとか!」
カウンタ席で楽器を手に酒をあおる彗のもとへ、鎧が大股で向かっていく。
准は静湖をうかがう。うつむき加減で、彗の言葉を考えこんでいるようだった。
「しずもなにか飲もう、一緒に」
准が差しのべた手を、静湖は少し驚いて、うん、と握り返した。なにもかもがわからないが、准の手だけは安心だといわんばかりに。
一同はカウンタに集った。楽器をつま弾く彗に、並んだ准と静湖。鎧はカウンタ内に入り、扇とともに立ち働く。
注文のやりとりが落ちつくと、彗が話題を蒸し返した。
「まぁ、人違いだとしても青い髪なんて。一体いつからその姿に? 記憶も曖昧みたいだし、生まれはなんだったんでしょうね?」
あ……、と准は目からうろこが落ちる思いがした。鎧もぽん、と手を打つ。
「なるほど、新しく〈人〉になった子か! こりゃ久々だ、そうとなりゃ祝わねぇと」
准はきょとんとする静湖に改めて尋ねた。
「しず、〈人〉になる前のこと、なにかわかる?」
「なんのこと……?」
「わからねぇか、まぁ無理もねぇ。しかし扇、先を越されちまったなぁ」
「私は現状で不足ありません」
静湖は首をかしげ、鎧と扇のやりとりを見つめる。准は、思い浮かんだ考えをそのまま話した。
「しずは、みかげさんのもとにいたなにかだったのかな。生きもの、あるいは物に心が宿ることもある。鎧さんは、鉱物の生まれだよ」
「鎧さんが……鉱物?」
静湖は目をぱちくりとさせ鎧を見あげる。鎧は照れるように、はは、と笑った。
「混乱するだろ。俺は色無森の洞窟に生えた紫水晶だったのよ。それがあるときから〈人〉に近いことを考えるようになり──気づいたらこの姿になってたのさ。うちの客は、たいてい皆そんな生まれよ」
「准も?」
静湖が見開いた目を准に向ける。
「僕は狼の生まれだよ」
「狼は狼でも、天翔ける天狼だ」
鎧が威勢よく口を挟む。天狼の生まれだと明かすことに、准は抵抗はないが、自分からは口にしない。数少ない一族はもはや散り散りになり、〈人〉になってしまった准にわかることはほとんどない。
静湖はしばらくぽかんとしていた。
「……どういうこと? ここは魔法の国なの?」
カクテルをあおりながら彗が答える。
「湖の力で、皆〈人〉になると言われてますよ。聖なる湖と呼ばれるだけあって、湖には〈流〉の力が満ちているとか」
「〈流〉の力で、〈人〉になるの?」
尋ねた静湖に、彗は楽器をかかげて、にか、と笑い返した。
「〈流〉の力とは、すなわち音楽の力。動物や鳥だって歌い、花や木や鉱物も音を響かせるのは得意ですがね、やはり音楽の申し子は〈人〉だという。音楽の力を浴び続けたものたちは、音楽を極めるべく〈人〉にさせられるんですと──受け売りですけどね」
「星ノ実ソーダ二つ、お待たせしました」
扇が、准と静湖の前にグラスを置く。
今しがた交わされた話を考えるように、静湖はソーダ水をのぞいていた。准はその姿に親しみを覚えた。そう、准も〈人〉になったばかりの頃は、右も左もわからず戸惑ったものだ。この店に拾われていなければ、街にさまよい出てのたれ死んでいたかもしれない。
「クッキーも焼けています。ご入り用ですか」
淡々とした扇の声に、静湖が目を輝かせ顔をあげる。
雨の午後はわいわいと過ぎ、夕刻になって彗は森のねぐらへ帰っていった。准は屋根裏部屋に静湖を招き、夜を明かした。
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