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第24話 迷いの森と氷の王城

 波空国中央の聖湖(せいこ)のほとり、そこは色無森(いろなしのもり)と呼ばれ人々から恐れられる迷いの森。その森には魔女が棲み、呪いの術を極めているというが……。


 冷たい雨の降りしきる森の一軒家からは、古楽器の()がもれ聴こえていた。


「そこ! 一拍遅い」


 ぱん、と手が打ち鳴らされ演奏が止む。


 手を打ったのは真っ赤な衣の魔女。(よわい)は、定かでない。大人になりきらぬ顔と体の内に、老練したものをしみこませた風貌だ。窓際の丸机に向かった椅子の上で、足を組んでふんぞり返っている。


 一方で、向かいの椅子に腰かけているのは洒落者(しゃれもの)めいた青年。膝に乗せた弦楽器を弾く手を止め、小さく首をかしげた。


「遅いだけじゃない。この区間は一拍に七連符。おまえのは時々、六連符になっている」


 魔女が言いつのる間、青年は楽器を置き、ふわぁ、とあくびをする。


「こんな曲弾けませんよ。そこの演奏装置にでも任せりゃいい」


 青年は奥の壁を指差した。大量の本が積みあげられ、鉱物がごろごろと転がった先に、古代文字の譜面や陣が書きつけられた壁がある。その壁際に、王都の広場で風船と石を売るのに使われていたワゴン車が停められていた。


 この家の(あるじ)は、灯りの石の魔法を編みだした魔女、(あかり)という。


 灯は青年に向け、机の上で磨いていた石のかけらを投げつけた。


「どうも」


 青年は石を片手でつかみとる。売ればかなりの値になる鉱石だ。


「おまえはどうしてそうなんだ、(すい)。〈(ヒト)〉が弾いてこその味わいや響きがあるだろう。だから演奏家はいつの世も腕を磨く。〈人〉が弾けばこそ心が歌い、〈(おのれ)そのものの音楽〉につながって──」


 鉱石を透かして眺めていた青年、彗は、灯の言葉をさえぎる。


「俺から言わせれば演奏装置も一緒ですよ。弾かせておけば、いつか装置にも心が宿るかもしれない……俺みたいに」


 彗はにっと灯に笑みを向ける。


 ふん、と灯は面白くなさそうに、少しだけ開いていた窓の外を見やる。夏だというのに、時には(ひょう)の混じる冷たい雨が、数日にわたり続いていた。木々はくすみ、色無森の名の通り、色をなくしたかのようだ。


 吹きこんだ風に灯は目を細めた。


「この雨、なにか運んできたな」

「厄介なものですかい?」

「……わからん。彗、ちょっと見てこい」


 彗は、やれやれと楽器を(かばん)にしまった。


「行きますよ。ご命令とあらばね」


 家を出て傘を開きながら、彗はぼやく。


「〈人〉になってもやっぱり雨にぬれるのは苦手だなぁ」



 それより数日前。

 色無森で雨が降りはじめた頃、遠く離れた王都では──。



 誰もいない王宮を、ひとりの魔術師が朝焼け色の髪をなびかせて歩く。


 元宮廷魔術師、結良(ゆうら)であった。


 あたりは氷の城といった様相だ。吹き抜けの回廊や庭園はもとより、雪の吹きこむはずのない屋内までもが氷雪に覆われている。


 結良は宮廷魔術師の部屋の鏡から、朝の城に侵入した。出てきてみれば城内はこの有様で、雪と氷を踏んで行けども行けども、人っ子ひとり見当たらない。


 かつて城に勤めていた結良には、魔法で鍵を開けて部屋をのぞくことくらいたやすいが、多くの扉は鍵ではなく氷雪に閉ざされ、開けるのに苦労した。階段も廊下も窓も、至るところが凍りついている。


 魔法の嵐が吹きあれたことは明らかだった。


「防げなかったか……」


 十年ほど前にも、王都は大雪の災害に見舞われた。〈(リュウ)〉による災害、〈流災〉だ。そのときに結良は、襲いきた〈白流(シロル)〉を撃退し、〈流〉の世界である〈(ソラ)〉とのはざまに封じた。それからずっと結良は、はざまの世界に〈白流〉を押しこめてきた。


 その〈白流〉が力を取り戻し、再び王都を襲ったのだ。

 だが今はその気配すらもない。


「自分の甘さに酔いそうだ……王都が〈宙〉に呑まれるなぞ、あってはならん」


 結良はひとりつぶやく。すべての者が〈流〉の嵐にまかれ〈宙〉に消えた、そんな最悪の事態を想定しながら、硝子の塔の階段を登る。


 やがて塔を登りきると、国王執務室の扉は半開きになっていた。凍りついた書棚を見やりながら入り口を抜け、大窓から王都を一望する。


「なに──?」


 街は、動いていた。街全体が雪をかぶっているが、往来に人影があり、雪かきのされた通りを馬車が走っている。王宮には人ひとりいないというのに──。結良は塔を駆けおりて、街へ向かう橋を急いで渡った。



 街に出て、結良は言葉を失った。


 雪かきに出ている人々、凍った運河の舟を見に集まっている者たち、馬車を繰る御者、せわしく往来を行く人の姿は──()()()()()()()()()()()()()()()


「そんな、なにが……」


 結良は言いしれぬ胸騒ぎを感じながら、王宮から続く橋を渡りきる。


 影たちは互いを恐れることもなく、大雪の翌朝の街のいとなみを続けていた。鳥や馬、木々や建物に異変はない。が、人の顔には目も口もなく、服の形に出来あがった体は、帽子から服の(すそ)まで、(すみ)で塗りつぶされたようだ。


 橋のそばで雪かきをしていた影たちが、結良に気づいた。


「王宮の魔術師様!」


 声をあげた影は、女性であるらしい、としかわからない。雪を踏んでこちらへやってくる相手を、結良は身構えつつ観察した。


 黒々とした胸元から、なにかが結良の耳に聴こえてくる。


「魔術師様、よかった! 助けてください」


 結良はまだ、相手を人と見定めていない。魔のものであればかかわると厄介だ。一方で、相手は親しげに声をあげる。


「魔法が使えないんです。どれもこれも、歌っても演奏してもなにも起こらないの。それで街ではなにひとつできません。凍ってしまった雪も溶かせなくて……」

「おまえ」


 近くで対面してはじめて、結良には彼女が一般の人間だとわかった。


 女性の胸の(なかば)からは、()()()()()が流れだしている。


 魔術師の訓練をつんだ結良は、人間と向きあうとき、その人の音楽を聴きとることができる。それは人の胸に宿っているように聴こえ、〈己そのものの音楽〉といわれる。


〈己そのものの音楽〉は、生まれる前から死したのちまで、その人をその人たらしめるものとして流れ続けるという。目の前にいる彼女は、彼女そのものの音楽が胸に秘められることなく、むきだしになったように大きく響いていた。


 それはまるで……、結良は戦慄する。


「音楽に戻ったというのか」

「え、なんて?」


 首をかしげる相手をよそに、結良は改めて街を見渡した。往来の者たち、家々の軒先や窓の向こうにいる街の人間すべてが、高らかに音楽を鳴らしていた。体をなくし、秘めていた音楽そのものになってしまったかのように──。


「これは」


 結良はごくりとつばを呑む。


 人々が〈宙〉に消えてしまったわけではない。

 王都のこの場所が、もはや〈宙〉になっているのだ。


〈第三番につづく〉

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